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ユリア・カエサルの決断  作者: 遠藤遼
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追い詰められるユリア軍

 翌朝、ローマ軍はアラウ川を越えた。


 驚いた。敵襲をかいくぐりながら、糧食台車も含め、街道と同じく速やかに行軍できる街道と同じ幅の橋をたった一日で完成させてしまったのだ。


 それはガリア人も同様だったようで、ガリア側の斥候と思しき者たちが橋を指さし、大声で怒鳴り合いながら急いで帰っていく姿が見えた。


 技術力で圧倒され、しかも二倍以上の兵力が整然と進軍してくるのだ。当然だろう。


 橋を越えたユリアはガリア人の集結している場所の南側から攻め込むことを考えていた。念のため左右の木立に斥候を放ったが弓兵は発見されなかった。それでも木立の深いところは避けて行軍しながらユリアが説明してくれる。


「南側から攻めれば太陽を背にすることになる。兵法書に言う地の利だ」


 軍の規律も正しく進軍させているユリアの手腕は見事で、家にあふれる書物から十分に用兵の智慧を蓄えているようだった。


(兵力も大差があり、司令官のユリアもしっかりしている。ローマ兵の士気も高い。これなら、無難に勝利をつかめるはずなんだけど)


 そんなふうに考えていたまさにそのときだった。


 またあの矢の攻撃が降ってきたのだ。


 右と思えば左、左と思えば右。前から後ろから、矢が襲いかかる。いったい何人の弓兵がいるのだ。俺たちローマ軍は見えない敵の放つ矢の攻撃にすっかり翻弄されていた。


「ここにいては的になるだけだ。急いで木立を抜けて平野に戻ろう」


 遠くに灌木があるだけの平野を目指してしばらく進軍したところで、俺は馬を止めた。


「どうした、セイヤ」


「ユリア、あれ――」


 そう、俺以外では唯一、ユリアならばあの存在しない存在が見えるはずだ。


「『絶望の吐息』、か?」


 ユリアの確認にうなずくが、今度は何が間違いだったのだ――


「セイヤ、逃げろ」「逃げろって、どこへ――」


 幸い距離はかなり離れているが、ゆらゆらと俺を探して近づいてきている。


「このままでは『絶望の吐息』と真正面からぶつかってしまう――」


 ユリアも進軍を止めた。


 ドミティウスさんが何事かと馬を寄せてくる。


「どうかなさいましたか、司令官」


「ドミティウス、この辺りに神殿かそれに類する聖地のような場所はないか?」


「そんなものはありませんなあ」


「そうか……」


「いや、そうだ。右手に見える丘が、古来から収穫の捧げ物をする祭壇が――」


 ドミティウスさんの言葉が終わるまえに、俺は丘に向けて馬の腹を蹴った。


 背後でユリアが命令する声が聞こえた。


「全軍、右手に見える丘の上に進路を変えよ。急げ!」


 急な進路変更ながら、ローマ軍の馬蹄が秩序よく響く。


「しかし司令官、丘の上に陣取っては、逃げ場がなくなります」


「ここにいても同じだ。よく考えれば、平野は平野でどこからも丸見えで逃げようがない。条件が一緒なら、高い場所に陣を取った方が有利のはずだ」


 振り返れば、軍が大きく右に曲がり、俺の後を追うように丘に登りはじめていた。


「すまない、ユリア。あのままだったら『絶望の吐息』に自分から飛び込んでたから、進路を変えてもらったのはありがたいけど、大丈夫なのか」


「心配するな。丘の上は見晴らしがいいから周囲を警戒しやすく、矢の攻撃は防ぎやすい。セイヤが自分の身を守ることを考えれば、自然と私に幸運が転がり込むのだろ?」


「ユリアは面白いことを言うんだな」


 だが、ユリアの言うこともあながち的外れではなかった。


(俺が『絶望の吐息』から身を守れば、それはユリアにとって英雄への道になる。極めつけの幸運体質じゃないか)


 ローマ軍はユリアの指揮のもと丘を目指した。方角的にはガリア兵たちの南側であるので作戦に大きな変更があったわけではないが、囲い込まれた羊のように次々と丘を上がっていく。意外と傾斜がきつかった。


「セイヤ、祭壇は正解だったようだな。見ろ、『絶望の吐息』が消えているぞ」


「ありがとう、ユリア。だけれども、ガリア兵たちが俺たちの動きに気づいたみたいだ」


 遠くのガリア兵の斥候が、これ見よがしに哄笑するのが見えるようだった。


 ユリアは歩兵軍団を丘に上げながら、騎兵軍団には出撃を命じた。騎兵軍団がガリア人と戦っているあいだに歩兵軍団は三列陣形で配し、さらにその奥に輸送車隊が陣取ることで兵士たちの邪魔にならないようにした。


 だが、その俺たちの努力をあざ笑うように矢が降ってくる。この丘へ追い込むだめ押しのような攻撃を耐え凌いで丘を登りながら、ユリアが次々と指示を下していた。


 ドミティウスさんが負傷者の状況を報告に来た。幸い命を落としたものはいなかったが、二百人を超える兵が負傷していた。まだまともに一戦も交えていないのにである。


 その一方でいい知らせもあった。送り出した騎兵の方はガリア兵の前衛を蹴散らして帰ってきたのだ。直接対決ならば、敵ではないと言えるだろう。


「痛み分けと言いたいところだが」戻って来た騎兵たちが斜面に上がってくるのを出迎えながら、ユリアが俺にだけ言った。「負傷者が多すぎる」


 楯での警戒を怠らないように命じて、草を踏みしめながらユリアが俺とドミティウスさんを伴って自分の天幕に入った。


 天幕に入る前に、後ろを振り返った。


 丘の上にローマの軍旗が翻る。


 堂々たる布陣だが、まったく逃げ場もなかった。


 目の前に大きな地図が広げて木駒を置き、自軍の位置とガリア兵の位置を確認した。


「どう考えてもおかしい」ユリアが不機嫌に言った。


「あれだけの弓の攻撃をするには一回に数百単位の兵が必要だし、負傷者の状況からしても結構な弓勢がある。もしそれだけの兵がいれば斥候が気づかないわけがない」


「それどころか影も形もない。やはりドルイドの魔法でしょうか?」


「わからん」とユリアは即座に言った。「多分そうだろうが推測でモノを言いたくない」


「失礼しました」


「魔法だとしても、今回は不自然な風は吹いていない。まったく予期せぬときに予期せぬ方向から矢の攻撃が降り注ぐ。魔法だとしても別種のモノのように思うが」


 俺はユリアとドミティウスさんの話をただ聞いていた。


「セイヤ殿、仮に魔法だとして、何か打ち破る方法や魔術はありますか?」


「えっ? あ、いや……」


 答えに窮するとはこのことだ。ユリアも俺を見ている。俺はただ首を横に振った。


「もう一度整理しよう」と言って、ユリアが地図に向き直った。


「今日、我々が襲われたのはこれらの場所。あとはこの丘にきてからだな」


 ユリアがさらに別の木駒を置いた。その数、十個。


「それは何?」


「矢が放たれた辺りに置いてみた」


「ほんとうにバラバラに攻撃が来てますな。飛距離があるというだけとは思えない」


「弓兵だけで三千人以上はいないとこれだけの攻撃はできないだろう。だが、現実には弓兵どころかガリア人の姿は見えない。あるのはまばらに木立や森があるだけか……」


 ユリアが腕組みをした。彼女の腰の剣の金具が音を立てた。


「森というならやっぱりドルイドなのかもな」と言うと、ユリアが腕をほどいた。


「もしそうだとしたら、この丘の上は結構マズいぞ」


 ユリアは地図を指した。「丘の周りは上ってきた道を除いて木々で囲まれている」



 昨夜、ユリアに「この戦いは負けない」と言ったばかりだ。しかし――


(これは俺の知っている戦いと違う――)


 史実のガリア戦争でも、ごく緒戦に似たよう丘の上での戦いはあった。


 しかし、それは『カエサル』が自分の意志で選んだ戦場で、圧勝している。


 だが、現実は俺のせいもあって追い込まれているのが、ローマ軍なのだ。

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