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ユリア・カエサルの決断  作者: 遠藤遼
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メガネっ娘の後輩と「それ」

 海賊を退治して船を港へ戻って陸に上がると、先ほどのユリアという少女から馬を与えられて、馬上の人となった。


 海風を受けて馬に揺られながら、さしあたってこのような事態に至った出来事を振り返ることにした。上野の『古代ローマ展』で起こった出来事を――


 

「ローマ人に生まれたかったなあ」


 俺は展示されている数々の彫刻を見ながら思わずつぶやいた。


 展示会場には、平日というのに偉大な古代ローマ帝国の姿を伝える数多くの展示物を見ようと大勢の見物客が詰めかけている。さっきのつぶやきはそんな人々の足音と小さく交し合う言葉に吸い込まれて、誰かの鑑賞の邪魔をするということはなかったようだ。


 ただし何ごとも例外はあるもので、隣りで同じように彫刻を鑑賞していた綾川もえみちゃんには聞こえたようだった。


「センパイ、ほんとうに古代ローマが好きなんですね」


 茶色のセミロングの女の子で、身長は低い。百五十センチもないだろう。顔だちは整っていたが、美しいというよりかわいらしいという形容がしっくりくる。制服姿にもかかわらず、いろいろと女性らしく成長著しいことがわかる。特に胸とか。


 無邪気な子供のような瞳で、メガネがよく似合っていた。


 もえみちゃんは同好会の一つ下の後輩。家もご近所さんで、いわゆる幼なじみでもある。


 共に歴史研究同好会に所属していたが、マイナーな同好会で、所属しているのは俺たちふたりだけ。だから、活動の一環としての古代ローマ展見学もふたりだけということになってしまったのだ。


「うん。すごく好き」


「やだ、センパイ。こんな人の大勢いるところで『好き』だなんて」


「このカエサルの彫刻、すごくいいよね。古代ローマ、大好きだよ。もえみちゃんもローマ大好きでしょ? 昔、俺にローマの金貨のレプリカをくれたくらいだし」


「……わかっててやってはいるんですけど、せめてツッコミくらいは欲しかったです」


「えっ? 何か言った?」


「何も言ってませんよー。帰りはおいしいお蕎麦をおごってくださいねー」


 同好会と言っても一応、顧問の先生はいる。今日、期末試験明けに俺ともえみちゃんの顔を見た顧問の先生が、「このチケット、やるよ」と展示会のチケットを、もえみちゃんに二枚くれたのだ。


「センパイと一緒にいたおかげでチケットがゲットできました。さすが幸運体質のセンパイです。さっそく、デートしましょう」「デートじゃねえ」「今日はセンパイのお誕生日じゃないですか。お誕生日デートですよ?」「同好会の活動の一環だ」という会話のあと、学校を出て電車に乗り、上野駅で降りて西郷さんの銅像の横をすり抜け、「古代ローマ展」を開催している美術館にやってきていたのだ。


「けど不思議ですよね、センパイ。古代ローマって、世界地図で、いわゆる長靴の形にたとえられる小さなイタリア半島の、そのまたごく一部から出発したんですよね」


「うん。それが地中海世界の覇者となり、ガリア、いまのドイツやフランスあたりを制圧し、エジプトまで攻め入り、ブリテン島の南半分ほどまでが領土となったんだ」


「そこまで国って大きくなれるんですね」


 もえみちゃんが不思議そうというか呆れたようというか、その混じったような声でささやく。周りに気をつかってのことだが、そんなに近いと、制服越しとはいえ、ときどき胸のふくらみが当たったりして、ちょっと困るんだが。


 だから、ちょっと硬い話に踏み込んだ。煩悩退散。


「戦争もしたけど敗者にも寛容で、ローマ法を守るなら敗者もその文化も宗教までも古代ローマで住む場所を与えて同化していった。他にも歴史上いくつかの帝国が出来たけど、この寛容さはローマにしかなかったし、それがローマの強さの秘密ってヤツだよね」


 俺のローマ好きは小学校のころに始まる。もえみちゃんのお父さんの海外出張のお土産という古代ローマ金貨のレプリカを彼女からもらったのがきっかけだ。


 中学生のころに社会の資料集で古代ローマの遺跡のいくつかを写真で見てからは、その巨大にそそりたつような存在に夢中になった。


「センパイ、何かこう、展示会の薄暗い照明って雰囲気あっていいですよね」


 もえみちゃんは、はぐれないように俺の学ランの裾をちょんっと掴んでいる。


「うん。簡単な歴史や人物伝でもう知っていることばかりの内容でも、こういうところで生の展示物と一緒に書かれているのを見ると、雰囲気あっていいよね」


「……そうですね。私もローマ大好きですけど、もう少し違う雰囲気にも配慮があってしかるべきではないでしょうか」


 ゆっくりと歩きながら、それにしても、と思う。


 目の前には白く輝く壮年の男の立像――


「初代ローマ皇帝アウグストゥスですね。世界史の資料集の写真まんまで、感動します」


 思ったよりも、大きい。


「二千年も未来に、帝国領土から遥か東の小さな島国でも自分の像が知られているとわかったら、アウグストゥスはどんな感想を言うだろうね」


 そばの男性客ににらまれた。ちょっと声が大きくなってしまったかもしれない。軽く頭を下げて謝った。


「歴史にはそういう自由な想像ができるところがあるのがいいですよね」


 もえみちゃんはさっきの男性客が見えなかったのか、相変わらずささやきかけてくる。「そうだね」と短く答えた。


 だが、いっぽうで俺には残念な思いがある。


 俺は、アウグストゥス像の少し前の、もう一人の偉大な男、いや並ぶ者のない偉大な男の胸像の前に戻った。


「あ、センパイ、どこ行くんですか」


 男の名は、ユリウス・カエサル。日本ではシーザーともいわれる英雄。『来た、見た、勝った』という名言の主だ。


「センパイ、カエサルが特に好きなんですか」


「彼の登場によって、ローマは世界帝国への飛翔を遂げたからね」


 ガリアを制圧したのも彼だし、彼がいなければローマは逆にガリア人に侵略されていたかもしれない。後年起きたガリア人の一民族であるゲルマン民族大移動を考えれば、それもあながちありえない話ではなかったはずだ。


「カエサルの闘いの記録は『ガリア戦記』としていまも読めますもんね。古来より名文の誉れ高い戦記。英雄なのに文才まであったなんて、ちょっとジェラシーです」


「『ガリア戦記』なら俺も大好きだよ」


「んもう、センパイ。みんながいるのに『大好き』だなんてぇ~」


 何だかもえみちゃんがくねくねしていた。しばらく黙って見ていた。


「センパイ、こういうときはしかるべきツッコミが必要だと、このもえみ、センパイが小さいころからいつも申し上げてお育てしたはずです」


「いくら幼なじみとはいえ、もえみちゃんに育てられた覚えはないなあ」


 カエサル像に向きなおり、その展示のそばの説明文に目を通した。


「カエサルを葬るべく、軍団を解散しろといってきた元老院の勧告を拒否してのルビコン川越え。すごいよね。内乱覚悟で元老院に挑んだんだから」


 アメリカ大統領が私兵のみで、ホワイトハウスとアメリカ軍を敵に回したとイメージしたら、当たらずとも遠からずかもしれない。


「『賽は投げられた』っていうシーンですね。このカエサルの決断のおかげでローマの共和政体に幕を引き、実質上、帝政に移行するんですから、大きな決断でしたよね」


 共和制下の一ローマ人として生まれながらたった一人で帝政を築き、いわゆる「古代ローマ帝国」とイメージされるモノの基礎を作ったのである。


 それも、彼がほんとうに仕事をしだしたのはその五十六年の人生のなかでほんの後半戦のみ。四十歳を超えてから世界史の表舞台の登場し、世界を変えてしまったのだ。


 カエサル自身は最終的には五十六歳で暗殺される。最後のセリフが「ブルータス、おまえもか」。文才にも恵まれていた英雄はいまわの際の言葉まで名言だった。


「ユリウス・カエサルって、一度会ってみたい魅力があるよね。まあ、『女好きで借金まみれの若ハゲ』っていう三大欠点があったけど」


 でも、どの女性からも恨まれなかったという。現代的にはリア充なのか。


「何とも魅力的だよね。まあ、そんな剛毅な英雄人生を生きてはないけど」


「そうですね。センパイは図書室で本を読んでいるほうが似合っています」


 うるさい。それはそれとしてだ。


 その偉大なカエサルの顔となると、アウグストゥスの白く美しい像に追いやられて案外日本では知られていないかもしれない。


「へー、カエサルってこんな顔だったんだ」とつぶやいて去っていくカップル連れ。


 イマドキの格好の女子が連れているイマドキの男性ではあるが、そんな男とはさっさと別れたほうがいいと思います――って、もえみちゃんならいいそうだな。


 あれ、もえみちゃんが珍しく黙っているぞ。


「もえみちゃん?」と言おうとしたとき、突然、ポケットでスマホが鳴った。メールだ。邪魔にならないように電源は切ったはずなのに、忘れてたのだろうか。


 慌ててスマホを取り出し電源を切ろうとしたとき、画面表示を見て俺は言葉を失った。



「メール着信:冥界の神」何だこれは? すごい迷惑メールだな。



「あっ、やべ」間違えて開いてしまった。


「あれ?」


 急にスマホの電源が落ちた。参ったな。ウイルスでもあったのかな?


 耳が痛いほどの静寂――


 気になって周りをよく見ると――あれだけ大勢いた見学者たちがだれ一人いない。


 周りには、物言わぬ古代ローマの遺物だけ。


 唯一、命を持っているのは俺ひとり。


「もえみちゃん?」


 呼びかけても、あのメガネ後輩もいない。


 それだけだったらまだよかった。


 あのメガネっ子の代わりに「それ」がいたのである。

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