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ユリア・カエサルの決断  作者: 遠藤遼
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ユリア、引っ越しする

 引っ越し作業は滞りなく終わった。


 一等地パラティーノの豪邸よりは遥かに小ぶりだが、元の家と比べれば大きくなった。物を運ぶのにも便利だし、収納も助かる。


 ユリアの借金の元凶の一つである彼女の蔵書が、いい加減、収拾つかなくなってきたところだったのだ。


「いいところに建ってるよなあ、この家」


 ユリアが額の汗を拭いながらしみじみ言った。袖なしの服を着て肉体労働しているため、脇や胸の辺りの白い肌も丸見えで、目のやり場に困ることこの上ない。ブラジャーもちらちら見える。ほんと勘弁して。


「な、何度目だよ、そのセリフ」と、がんばって他に目をやった。「ここは元老院議事堂だってあるローマの政治の中心、フォロ・ロマーノなんだぜ」


「うん。フォロ・ロマーノに住居を持てる公職者は最高神祇官ただひとり。元老院議員も市民集会に集まる市民も、ここに私が住んでいることをしょっちゅう思い出すことになる。あー、終わったー。疲れたー」


 そう言って大きく伸びをしたユリアの脇のまばゆい白さにドキリとした。


「一息つこう、セイヤ。冷たい飲み物を用意させよう。ちょっと着替えてくる」


 ユリアが甘酸っぱい汗の香りを残して奥へ下がった。


「……俺も水でもかぶって、いろいろ冷静になろう」


 邸内に掘られている井戸を探す。


 初めての家だからちょっとだけ迷ったが、すぐに見つかった。


 しかし、残念なことに、ちょうどリディアがそこで洗い物をしていた。鼻歌交じりで上機嫌だ。他の奴隷ならまだしも、リディアは相変わらず俺に悪態をつきまくりだから、せっかく機嫌よく仕事しているところに押しかけたら何を言われるかわかったものではない。


(そういえば、この最高神祇官邸は井戸が二本掘られているって聞いたな)


 敷地の奥へと、背の高い木々に囲まれた小道を歩いていく。


 緑の木々の織りなす濃い影のなかを進むと、心地よい涼風が頬をなでた。


 街の声もほぼ聞こえない。最高神祇官の役目柄、鎮守の森のようにしているのだろう。


 ざあっという水音がした。井戸があるようだ。


(この井戸も誰か洗い物をしているのだろうか。顔を洗うだけだから許してもらおう)


 そう思って井戸に辿り着き、絶句して硬直した。


 一糸まとわぬ姿でユリアが水浴びをしていた。


「せ、セイヤ――っ!?」


 ひざをついた姿勢のユリアがこちらの気配に気づき、顔だけ振り返る。身体を隠そうとするものを取ろうとして動けくなり、胸だけ両手で隠していた。おかげで大きな胸がつぶれて大変なことになっている。


「ゆ、ユリア――」


「あんまり汗をかいたから、着替えるのに、そのままじゃ恥ずかしくて――」


 背中を斜めに向けて、真っ赤な顔でうつむくユリアに目が釘付けになってしまう。


 木の葉の作る紫を帯びた影を飾りとして、水を浴びた金色の髪が日の光を跳ね返して背中に張り付いている。ほっそりした腰から丸いおしりへ、流れ落ちた水が幾筋も細く垂れていた。みずみずしい果物のような白いおしりがなまめかしい。


 以前、ユリアの胸を見てしまったときはろうそくの明かりのもとだったが、今回は明るい日差しのもと。ユリアの美しい裸体のすべてがさらされていた。


「す、すまない。顔だけ洗わせてもらえればと思ってきたんだけど、いや、その……」


 ヤバいヤバいヤバい。早口でまくしたてるが、さすがにこれはヤバい。


「と、とにかく、こっち見ないでっ!!」


「は、はいっ!!」


 俺は大慌てで回れ右をして、木の陰で見えないところへ駆けこんだ。


 まだ心臓の鼓動が跳ねまくっている。


 ざあざあと大きな水音がしきりにしていた。


 張りのあるおしりだけではなく、まえに見た豊かな胸までまぶたの裏に甦る。それにさっきのユリアの恥じらいの表情。ちょっと前かがみになってしまう。


 滝のような激しい水音が気がつくと途絶え、ややあってユリアが歩いてきた。もちろん衣服は身に付けているが、髪はまだ濡れている。赤く染まったままのユリアの頬に一筋の金髪が張り付いていた。よく見れば衣服が濡れて所々身体に張り付いている。きちんと身体を拭かなかったようだ。


「ままま、待たせたな――」「あ、はい――」気まずい。


「それにしても、よくこの井戸を見つけたな」「あ、ああ。井戸が二本あると聞いてたので。向こうはリディアが使ってた」「そ、そうか――」沈黙。気まずい。


「おまえはっ、水浴びしないのか」「う、うん。顔と手だけ洗う」「そ、そうか……」


 うつむくユリア。「うぅ……も見られた……もうヤダ……」とユリアのとぎれとぎれのつぶやきが聞こえた。


 目を合わさないで軽く頭を下げ、井戸へ歩こうとしたとき、ユリアが声をかけた。


「できれば、ここは私専用の井戸にしたいのだが……」「う、うん。そうしよう」「じゃ、じゃあ、今回だけ、特別ということで」「う、うん。特別ということで」


 しかし、今しがたまでユリアがそこで水浴びを裸でしていたのだと思うと、その――


 おかげで気づくのが遅くなった。


「ユリア様ぁ、お着替えお持ちしましたぁ……?」


 真新しい短衣を持ったリディアがこちらにやってきた。さっきまで別の井戸で仕事していたじゃないか。何て有能な奴隷なんだ。


「何で、ここに、セイヤ、なのです……?」


 濡れ髪で赤い顔のユリアと俺の二人を見比べ、リディアの顔から表情が落ちた。


「ユリア様……」リディアってこんな低い声出せるんだ。


「異世界人にはローマ市民権がないのです。だから、あたしがいますぐこいつを始末しても何ら問題ないのです」「どうしたの、リディアっ。問題大(おお)ありだよっ」「大丈夫なのです。証拠は全部消しておくのです。さあ、ユリア様、いますぐこいつを()れとご命令するのですっ」「その刃物どこから取り出したっ!?」


 匕首を構えた幼女に追いかけられ、もうひと汗かくことになったのだった。

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