弾劾裁判が終わって
ユリアによって助命されたカテリーナとその一派は、ユリアの演説の求め通りに、それぞれの親戚の住まう遠方の地に旅立つこととなった。
ついでながら、事の発端となったカテリーナたちの借金についてはクララがすべて弁済してくれた。カテリーナたちも心が軽くなったに違いない。
あの縦ロールさんもいいところあるんだなと思ったら、「そんなわけないでしょ。ユリアが自分の借金に上乗せしてくれていいからって言うから、あたしがお金を払ってあげただけよ。ちゃんとつけてあるからね」と言っていた。感動した気持ちを返してほしかった。
言いにくけど、ユリアがクララに借金を返さないというのは、もはや自明のことだと思うのだが。クララ自身だってそのことはわかっているはずだ。
そうであるならば、やっぱりクララはツンデレさんな感じで、カテリーナたちの借金を救ってあげたのだろうか。もし仮に万が一にも、ユリアによる借金返済をクララが期待しているのだとしたら、クララはそのうちほんとうに破産してしまうと思う。アメリアさんがいれば大丈夫だと思うけど。
ちなみに、カテリーナ一派の借金をすべて合わせても、ユリアの作っている借金の千分の一ほどだったらしいという。
(ユリアがカテリーナのような神経の持ち主だったら、何回、国家反逆を企てて極刑騒動になったことやら)
ローマからのカテリーナが旅立つ日、彼女はユリアを訪ねてやってきた。
ただ、タイミングの悪いことに、その日はユリアの引っ越しの日だった。
「お引越し、ですか……」
「うん。最高神祇官になってな。今日から、最高神祇官邸に住むことになった」
キケロとの話し合いの通り、ユリアは最高神祇官に立候補し、当選した。年齢的には最も若い最高神祇官の誕生である。
当選にあたってはユリアがどこまで票を買収したか、俺は知らない。
ただ、最高神祇官当選に、キケロが裏でユリアを推していてくれたことは、もえみちゃんから聞いている。約束は果たしてくれたのだろう。キケロとしても、先のカテリーナ弾劾事件において、俺を大怪我させたことの負い目は感じていたようだったから。
それらがなかったとしても、やっぱりユリアは最高神祇官に当選したと思う。
「私にはディアナ神の魔術師という幸運の源がいるのだからな」
神の使いが守護するユリアなら最高神祇官にふさわしいだろうと、ローマ市民の支持が盛り上がってくれたのだ。
ユリアを守るために魔術を使ったことが吉と出たみたいだ。
余談だが、最高神祇官の当選をユリアが母のアウレリアさんに話したところ、お母さんはまず疑い、次いで疑い、さらに疑ってから、やっとユリアが最高神祇官になったことを受け入れ、なぜか知らないけれど俺の手を握りしめて、涙ながらにお礼を言っていた。
そのお母さんは、一足先に最高神祇官邸に輿で移動していた。
「最高神祇官邸は官邸であり、、元老院議事堂もあるフォロ・ロマーノの一角にある。しかも、裏手にはうら若き巫女の家もたくさんあるじゃないか」
「言っとくけど、巫女さん口説いたりしたら、さすがに最高神祇官クビになるぞ」
「ああいう女性は遠くから眺めることに意味があるんだ。手を出したくても出せないもどかしさに、いやが上にも燃え上がる熱い想い。セイヤにはこの機微がわからないかなあ」
そんなバカな会話の最中に、あいかわらず深刻そうな顔つきのカテリーナがやってきたのだ。なんか、ごめんなさい。
ユリアは嬉々として引っ越し業者の男たちに指示を出していたが、俺だけを呼び寄せると、作業の邪魔にならなそうなところへ俺とカテリーナを案内した。
手ぬぐいで汗を拭きながら「作業中で、ろくなもてなしもできず、すまない」と頭を下げる。ユリアって、こういう躍動的な汗が似合うよな。
かたやカテリーナは、いつもの物憂げな顔つきである。
「こちらこそ、お礼に来るのが遅くなって、すみません、でした……」
「気にすることはない。あなたこそ、これから慣れない土地での暮らしが待っているが、どうか気を落とさず、身体にはくれぐれも気を付けてくれ」
途切れる会話。だが、ユリアが元気よくカテリーナの肩を叩いた。
「笑顔、笑顔! ローマ出立は残念だろうけど、あなたはまだ生きている。これからの人生があるじゃないか」
カテリーナは、あいかわらず八の字眉で何度か言いためらったのち、ユリアに質問した。
「ユリアさん、あなたはなぜいつもそんなに笑顔でいられるんですか。あなただって私以上にお金で困っているはずなのに。私は何が、いけなかったので、しょうか……」
ユリアの答えは明快だった。
「私はお金に困ったことなんてないぞ。誰かに工面してもらったことはあっても」
「クララに工面してもらいっぱなしじゃないか」思わずツッコんだ。
「その通り。愛しのクララのおかげで、私はお金に心をむしばまれたことはない」
「少しは自力で稼げよ」
ユリアは俺の言葉には耳を貸さず、しかし、カテリーナの目を見て言った。
「お金は使うためにあるものだ。お金に使われるような人生はまっぴらだ」
思わずツッコもうとしたが、目に力がある。冗談を言っている顔ではなかった。
カテリーナも、ユリアの迫力に押されていた。
「まあ、私のやり方を気に食わない連中もいるだろう。具体的には元老院議員のうち百五十八人は私に敵対感情を持っていて、うち五十二人は殺意を抱いたことがあるそうだ」
「ほんとうかよ、その人数!?」
「いまさら何を驚いている。人数は正確だぞ。今回、ちゃんと調べたからな」
「そんなこと把握してどうするんだよ」
「セイヤを守るためだ」……不意打ち禁止。
ユリアは、カテリーナに人差し指を立てて続けた。
あとあと思えば、これはユリアの一種の奥義の開示だったに違いない。
「カテリーナ、人間というものは、現実のすべてを見ようとするんじゃないんだ」
「はい」
「多くの人は、自分の見たいと思う現実しか見ない。だが、私はそうではない」
「『そうではない』?」
「正確には、そうであってはならないと思っている。知りたくもない現実も知ったうえで、彼らが見たい現実を見せ、私が見たい現実を創り出す。それが私、ユリア・カエサルだ」
そのユリアの表現は凄絶でありながら美しく、凛としていながらどこか危うい妖艶さに似たものすら感じた。
ちょうどリヴィアが飲み物を三人分持ってきてくれた。
「あ、ありがとう、ございます……」カテリーナが一口飲んで、ため息をつく。
「私も、あなたみたいに生きられたら、よかった、かも……」
「私のように生きることは可能だが、私の人生を生きることは不可能だよ」
ユリアは一気に飲み物をあおった。
「あなたしか、あなたの人生を生きる人はいない。天においても地においても、あなたという魂はあなただけの特別なものなのだから」
カテリーナは、黙って飲み物の入った木のカップを見ていた。
ユリアも自分の言葉がカテリーナの心に沁みこむのを待つかのように黙っていた。
やがて、カテリーナは顔をあげた。
「私、大丈夫、です。きっと。手紙、書いてもいい、ですか……」
ユリアはにっこり笑った。「もちろん。楽しみに待っている」
カテリーナは残っていた飲み物を飲み干し、ほっとした顔をした。
それは俺が初めて見た、彼女の安心した顔だった。
少しでも面白いと思っていただけたら、ブックマークと☆の評価がもらえると嬉しいです。




