ディアナの秘密、セイヤの正体
暗い天井が見える。
その一部に奇妙な「ゆがみ」が視える。あの歪みは――「絶望の吐息」。
逃げないと、死ぬ――でも、身体が縛り付けられたように動かない。
まずい――焦るが指一本動かない。声も出ない。
ゆらり。「絶望の吐息」が居眠りから覚めた肉食獣のように震え、俺に狙いを定めた。
形なき絶望が、カタチを取って眼前に迫る――誰か、助けてくれ――!
「うわあああああぁぁぁっ!!」
大声を上げて目が覚めた――夢だったのか……。
夢のなかと同じ真っ暗な部屋だった。でも、声が出る。そして「絶望の吐息」はいない。
どこかに光源があるのか、左のほうが仄明るい。
(ああ、自分の部屋か――。長くて変な夢を見ていたな)
古代ローマに転送されて、目もくらむばかりの輝かしい美少女の『カエサル』に出会い、何だかいろいろ騒いで、俺は魔術師で、でも人は傷つけられないから、周りのモノや輿を粉砕してユリアを守って、暴漢に刺された。――無茶苦茶な夢だな。
となると今日は試験最終日だっけ。あれ、試験は終わったんだっけ?
「目、覚めた?」
突如、やさしい女の人の声が聞こえ、ぎょっとなった。
飛び起きようとしたが、起き上がれない。
左脇腹にひきつるような強い痛みが走った。夢じゃないのか。
「そう。夢じゃないわ」
心のつぶやきに呼応する答え。動けない身体の代わりに頭だけを動かした。
「まったく。何て危ないことをしてくれたの……」
明かりだと思ったのは、彼女の身体から発される光だった。
夢ではない夢の発端、月の女神がそこに立っていた。ディアナが涙を流しているように見える。まだ意識がしっかりしていないのだろうか。
「ほんっっっっとに心配したんですよ」
ぽかぽか殴られた。けっこう力が強かった。
「ディアナ、そこ傷口……」
「もうそんなに痛くないはずです。私、ちょっと奇跡を起こして傷を治しましたから」
そう言ってもまだ痛い。ということは、もっとひどかったのか。
「私が治していなかったら、聖也さんは今夜が人生最後の夜になるところでした」
「マジかっ!?」
「ご丁寧に毒が塗ってあったんですよ。犯人はその場で取り押さえられ、主人の元老院議員ともどもキケロちゃんがしこたま絞り上げています」
うん。今日の様子を見てて思った。キケロって怒らせたら怖いタイプだな。
「ところで、ここ、どこ?」
ユリアの家ではないようだが。
そして、別種の違和感も心の片隅に感じた。
「キケロちゃんの家です。ユリアも隣りの部屋にいます。呼んできましょうか」
そうだね。でも、できればもう少し傷を治してもらえないだろうか。まだ痛いです。
その一方で、違和感は確信になりつつある。
「ほんとうは、聖也さんにはもう少し寝ててもらったほうが、いろいろな騒ぎに巻き込まれなくて済むと思ったのですが」
「月の女神の使いなら、一日で大怪我のひとつも治ったほうがいいんじゃないかな」
ディアナがくすりと笑って、俺の横にひざまずいた。目を閉じ、ほのかに光を発しはじめた両手をかざし、俺の身体に光を送り込む。温かい。
光が、まるでバターが染みるように身体に浸透し、痛みやひきつりが薄くなっていく。
しばらくその心地よさに身も心もゆだねていたが、思い切って尋ねた。
「おいこら後輩」「何でしょうかセンパイ」
言ってしまって、ディアナがしまったという顔をした。光が途切れる。
俺は肘を使って上体を起こした。もう痛みはほとんどない。
「精神集中をしているときなら、ボロが出るんじゃないかと思ったけど、こうも簡単にいくとは思わなかったよ、ディアナ。それとも、もえみちゃん?」
ディアナは肩をすくめて大きくため息をついた。その身体を一瞬光が覆い、その容姿が見知ったもえみちゃんの姿に変わる。
「センパイ、どの辺でわかったんですか」
「さっき、キケロのことを『キケロちゃん』って言ってたろう? あれが決定打かな」
それに今日は満月の夜ではないはずだ。メガネの後輩が苦笑した。
「センパイのことが心配で動転してましたからね」
「でも……ディアナに変身したり、瀕死の俺の傷を治したり、とんでもない大魔術だろ。もえみちゃん、記憶をどんだけ使ったんだ?」
そもそもディアナに変身する必要なかったのではないだろうか。
もえみちゃんが近くの椅子を寄せてベッドの横に座った。
「センパイ、あたしのことを心配してくれたんですね。うれしいです。結婚しましょう」
「大丈夫みたいだな結婚なんてしない」
病み上がりのせいか、ツッコミがいまいちな気がする。
「でも、センパイは半分しか正解していませんよ」
いたずらっぽく笑うもえみちゃんに、鼻白む。
「どういうことだ?」
「センパイに話したじゃないですか。あたしの魔術は日用品具現化限定だって」
「でも、俺の傷を治してくれたんだろ?」
「そうです。では、その力は誰のものでしょうか?」
俺が応えられずにいると、もえみちゃんがますます面白そうに笑った。
「ふふふ。センパイはさっきのディアナはただの変身だと思っているようですが、あたしはほんとうに『ディアナ』でもあるんですよ」
「えっ?」
もえみちゃんはますます楽しそうである。
「ここにいるのはディアナであると同時に、センパイの知っている正真正銘の綾川もえみだということです。正確には『もえみ』は『ディアナ』の分身、あるいは分け御霊です」
「ちょっと待って。よくわからなくなった」
「まあ、しょうがないですよ。あたしも、あの展示会場でセンパイがいなくなったあと、ディアナに記憶を呼び戻してもらうまで、自分がディアナの魂の分身として生まれてたんだなんて知らなかったんですから」
つまり、ディアナともえみちゃんは同一人物だということなのだろうか。
「ディアナの魂全体をタコに喩えると、あたしは足の一本みたいなものらしいです。個性は別ですけど。だから、満月の夜に現れるのはあたしではなく、本物のディアナ神です」
もえみちゃんはディアナの一部分、ということなのだろうと納得しよう。
「ディアナ曰く、あたしはもともとセンパイをストーキングする使命で生まれたのです」
「……おまえ、ほんとに女神様の一部なのか」
「失礼です! あたしは分身とはいえディアナなんですよ! 偉いんですよ!」
「偉い神様ならストーキングするな」
「おっとこれは失礼。下品な言葉づかいでした」
にししっ、ともえみちゃんが笑う。たしかにこいつは俺の知っているメガネ後輩だ。
「でも、ストーキングと意味するところは一緒ですよ。あたしは、センパイを監視するために生まれたんですから」
「何で監視される必要があるんだ」
「それはもちろん、ユリア様を支えるにふさわしい人物かどうか、導くためです」
「………………」
「曲がりなりにも英雄になるはずのユリア様を補佐する役目を、思いつきで選抜するほど私はアグレッシブじゃないですよ」
それはそうだろう。そうだろうとは思うのだが、ということはユリアを支える人材になれるように俺のほうが導かれてきた、ということにならないか。
「実は、その通りです」と、後輩の答えはシンプルだった。
「センパイ、覚えていますか。センパイがローマに興味を持つようになったきっかけ」
「もちろん覚えてるよ」
それは一枚のコインだった。古代ローマの銀貨のレプリカ――。
「あっ!」
「それをあげたの、あたしでしたよね?」
「そうだ。もえみちゃんのお父さんの海外出張のお土産だったよな」
「あれ、あたしの本体であるディアナの霊的指導によるものだったらしいです。あたしも知らなかったんですけどね」
何てことだ。俺はローマ好きになるように育てられていたのか。
「センパイこそ今日は魔術を盛大に使いましたが、記憶はどの辺が欠落した感じですか」
言われて自分自身の「魔術の代償としての記憶の喪失」を振り返った。
「……通っていた小学校の名前が思い出せない。あと、小学校のころの先生も」
そこだけ器用に記憶がえぐれているというのは、焦燥感を伴う気持ちの悪さがあった。
「なるほど。そのくらいで済みましたか。まだまだ日本に帰れますね」
もえみちゃんは淡々としていた。
「いや、そんな気持ちじゃ、きっとダメなんだろ?」
頭をかいた。埃でぱさぱさだった。
「ユリアの大変さみたいなのが、今日のでちょっとわかったからさ。記憶を失って日本に帰れなくなるのがイヤだなんて半分腰掛の気持ちじゃ、彼女を守れないよ」
だから、いまのところ、日本に戻る選択肢はない。のちのち変わるかもしれないけどね。
「でも、俺、分かんないこともあるんだ」
「何がですか?」
「彼女を守っているのは、俺なのかな?」と、俺はベッドに仰向けに倒れる。
「海賊相手に戦って、さっきは元老院前で戦って……あれはいったい誰なんだろ……」
ユリアとの剣術稽古はからっきしなのに。
怪我をしたせいで気が弱ってるのか、次々と言葉が込み上げてくる。
「もとを正せば『絶望の吐息』で死にたくないからディアナの命令に従った。でも、実際にユリアを守るのは剣の力だ。そしてそれは俺にはない。だけど、なぜか力が出てくるときがある。まるで自分のなかに誰かもう一人みたいなんだ」
言ってしまうとこれまでのことが不意に説明できる気がした。
「そいつがユリアを守っていて、俺はそいつの道具なんじゃないか?」
「で、でもですね、センパイ! おかげさまでユリア様の更生は順調なんです」
「あいかわらず女の子のおしりばかり追いかけているし、借金に糸目はつけないヤツだぞ。あと、更生とか言うな」
「センパイが来てからのユリア様の変貌は、目を見張るものがあるらしいですよ? キケロちゃんの家で啖呵を切ったのも、キケロちゃんに聞いたら、『ユリアはあんなに自分の意見をきっぱり言い切る、熱いタイプではなかった』って言ってましたから」
「………………」
「センパイにかっこいいところ見せようとして、がんばるようになったんじゃないんですかね? だから身の危険を案じる先輩の言葉に、ユリア様は素直になれなかったのかも」
もえみちゃんの分析に、俺どう答えていいかわからない。
「それと」もえみちゃんが少しだけ言いよどんで、でも続けた。
「センパイが血まみれで運ばれたとき、ユリア様、半狂乱でした」
「えっ?」
もえみちゃんがちょっとさみしそうな笑みを浮かべた。
「子供みたいに大声で泣き叫んで、センパイの身体に覆い被さって。センパイから離したら、キケロちゃんの襟をつかんで詰め寄って。見ている方がいたたまれませんでした」
そう言われても、俺はそのユリアを見ていないし。
「センパイ」と、もえみちゃんが俺の上体を引き起こす。「あたしが前に聞いた質問の答え、ちゃんと考えましたか?」
「どんな質問だったっけ?」
「『契約の羊皮紙』の署名が、なぜセンパイの筆跡だったか、ですよ」
もえみちゃんが真剣に俺の瞳を見つめていた。筆跡のことなんて忘れてたよ。
「そこに答えがあります」
「……もえみちゃんはその答えを知っているの?」
卑怯かもしれない問いにもえみちゃんは遠回しに答えた。
「あたしは『ディアナ』でもあるんですよ。でも、本体の話では先ほどの大立ち回りの最中、センパイも自分の秘密を垣間見たって言ってましたけど?」
「俺の秘密?」視線をさまよわせ、考える。「――さっき、ユリアの姿に、『ユリウス・カエサル』の姿がダブって見えた瞬間があったことかな」
涙が出るほどリアリティを感じたのに、今は遠い景色を見ているような感じだった。
さらに質問を重ねようとしたとき、ノックとともに扉の向こうから聞きなれた声がした。
「セイヤ! 大丈夫か! モエミ殿、物音がしたようだが、ディアナ様はどうされた!?」
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