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ユリア・カエサルの決断  作者: 遠藤遼
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弾劾裁判 ユリア・カエサルの演説

 議員たちの思惑が乗った視線を全身に感じながら、ユリアは両手を軽く広げて微笑んだ。


「元老院議員諸君」


 その声は、正義の怒りに燃えていた小カトーとは違い、春の暖かさを感じさせた。


 しかし、その内心、ユリアはユリアで緊張していた。


 演壇に立ってみると、出席議員の顔がよく見え、自分が小さく感じられる。


 ましてやここに、あのお節介な異世界人の少年はいない。


 だが、ここは自分ががんばるところ。根回しをしてくれたクララ、キケロの期待に、そして、隅っこで不安にしているカテリーナの願いに応えなくては――


「私たちはみな、疑わしいことへの決断を迫られたときに、憎しみも、友情も、怒りも、情け深さも取り払って、原点に返って考えてみるべきではないだろうか」


 ユリアは自分の声でだんだん力づけられていくのを感じた。


「歴史の声に耳を傾けてみれば、多くの王たちが行きすぎた情けや一時の怒りで我が身と国を滅ぼした例は数多い。しかし、我らが祖先は、感情に流されることなく公正に物事を処してきた。我らもかくあるべきでありたいと思うのである」


 凜々しく美しいユリアが大きく手を広げて語りかけ、議員たちは静かに聞いている。


「先ほどの演説は、陰謀なるものによって、我らの前には血と涙しか残されないと表してくれた。しかし、しかし、しかし、私は問う。その弁論の真の目的は何だったのかを」


 微笑みは消え、真摯な表情に変わったが、ユリアの美しさはますます輝きを強めていた。


「陰謀を憎悪させるためなのか。実際には何もしていない者たちに対して、恐怖と憎しみを喚起させるためなのか。断じてそうではないはずだ。それでは陰謀で肉体を滅ぼされるよりももっとひどい。私たちの魂の尊厳を譲り渡してしまうことに他ならないからだ」


 清冽な泉のような清らかな言論が、人間の持つ劣悪な感情を暴き立てる。


 しかし、その清らかさが強すぎる。暴かれた闇がヤジとなってユリアの邪魔をした。


「小娘が何を語るか!」「異世界人をはべらせて慢心したか!」


 ユリアの頭に血が上る。心のなかの柔らかい部分を、ヤジが土足で荒らしたと感じた。


(私のことはどうでもいい。借金まみれでも女好きでも何とでも言え。しかし、異世界から身一つで来てくれたあいつのことを、そんなふうに言うなッ)


 セイヤの笑顔、セイヤの怒った顔、セイヤの心配そうな顔。そうだ。私にとって、健気で人のよい、あの少年は――


 しかし、ユリアが言い返すまえに、まるで稲光のような鋭さで叱責した者がいた。


「演説中の下品なヤジはやめてもらおう。さもなくば、私の権限で牢屋へ送り込むっ」


 怒りに燃えるキケロが「市民の杖」の石突を床に強く叩きつけながら、ヤジを飛ばした者たちを指さして弾劾していた。


「キケロも異世界人に洗脳されたのか!」「異世界人が執政官も乗っ取るぞ!」


 立ち上がってヤジっている者もいる。小カトー派だ。キケロの瞳がさらに燃える。


 だが、キケロが再び弾劾するまえに、別の反撃が繰り出された。


「その異世界人の知恵と情報で商売を立て直した連中が何を言ってるのかしら!? うちのアメリアがいなかったら、いまごろ議員の資格も売りに出してたんじゃなくて!?」


 クララが腕組みをしてヤジを飛ばした連中を睥睨していた。


「わざわざ立ち上がってくれてるから言うけど、シラヌス、あんた属州でいろいろ楽しいことがあったらしいじゃない。ここでみんなに話してくださらないかしら?」


 クララが思いきり意地悪い笑い顔で言い放つ。議員たちが苦笑した。ヤジるために立ち上がっていたシラヌスは属州での不正の暴露をちらつかされて、真っ赤な顔で席に着いた。


 執政官キケロと財界代表のクララが、小カトー派の妨害を真正面から叩き潰したのだ。


 それは、これまで誰もできなかったことであった。


(キケロ、クララ――)


 もし演説の途中でなかったら、ユリアは二人を抱きしめていただろう。


 他の議員たちも、今日何かが変わろうとしている気配に気づいたようだ。


「すべての人間が平等に自由を謳歌できるだろうか。理屈の上ではそうだ。しかし、子供ならば怒りに駆られて行動したとしても許されるが、社会の上層へ行くほど自らの言行に責任が重くのしかかる。優しくしすぎても憎んでもいけない。奴隷にであろうと敵にであろうと異世界人にであろうと、憎悪に目がくらんでは絶対にいけない。さもなくば、権力者は直ちに腐敗して傲慢と残虐の死霊と化すからだ」


 演説の中での堂々たる反論に、反駁者たちが歯ぎしりしていた。


 代わって、議場の空気が徐々に熱くなっていく。


「この場での陰謀への不安の討議は不要だ。なぜなら、執政官キケロがすでに対策済みなのだ。刑罰については、私に言わせれば、この場合の死はむしろ救いになると思う。生きていればこそあらゆる悲惨を味わうが、死ねば苦しみすら味わわずに済む」


 ユリアは極刑を求める者たちにも配慮して言葉を尽くしながら、再び歴史を例に引いて今回の極刑の理不尽さを説く。うなずきながら聞き入る議員が増えてきた。


 そして、ユリアが優雅に、また確実にとどめを刺しにいく――


「もし今回が先例となれば、次に『元老院最終勧告』が剣を抜きはなったとき、誰がその暴走の連鎖を止めるのか。その刃は次に自分に振り下ろされるかもしれないと怯えて生きるのか。我らの祖先の目指したローマはそんな国家ではなかったはずだッ」


 ユリアが言い切った「元老院最終勧告」への明確な否定に、議員たちが圧倒される。


 ユリアは語る――


 ローマは、ローマを愛する者たちの念いでできているのだと。


 ローマは、人々の自由と繁栄のための国なのだと。


 よきものであれば敵からも学ぶ努力が、ローマを小国から現在の大国に育てたのだと。


 天啓のような演説に、女性議員の中には感動のあまり涙をこぼしている者もいた。


 最後にユリアは次の言葉で演説を締めくくった。


「カテリーナとその一派は財産を没収され、ローマから追放されるのがふさわしい」


 ユリアが壇上から降り、席に戻り始めた。


 そのサンダルの足音に、我に返ったかのようにクララが思い切り強く手を叩く。


 それが合図となったかのように議員たちが強く大きく拍手をした。


 拍手のなか、ユリアはちらりとキケロに微笑みかけ、クララにはウインクした。


 キケロが立ち上がった。「市民の杖」で床を何度か突いて、議場を静まらせる。


「元老院議員諸君、これらの意見を踏まえて、私は執政官として決断を下さねばならない。国家転覆を目論んだとされるカテリーナとその一派は――」

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