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ユリア・カエサルの決断  作者: 遠藤遼
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美少女弁論家キケロ

「あらためまして、今日はわざわざお越しくださいましてありがとうございます」


 キケロの家の者に分類されるもえみちゃんがそう言って、俺らを屋敷のなかに案内する。広い。クララの家も広いと感じたが、キケロの家はもっと広い。そして、もっと古い。


 広間に通され、各々に飲み物が出された。リヴィアだけがユリアの後ろに立ち、他のみんなは俺も含めて椅子に腰を下ろした。


 やがて、扉の向こうからひとりの少女がやってきた。


「……お待たせしました。ようこそ、わが屋敷へ――」


 おしとやかというより、抑揚の薄い、感情をあまり感じさせない声。


 それが、彼女の声の第一印象だった。


 入ってきたのは小柄な女の子だった。以前、ユリアが言っていた通り髪は青く、右側は目にかかるほどに垂らし、後ろ髪はアップにしている。肌の色は白い。ユリアのような、白いと言っても桃色を帯びた白さではなくて、いつも室内にこもっている人特有の青白い肌をしていた。目鼻立ちはかわいらしく整っているが、表情も先ほどの第一声と同じで乏しく、無表情といえるくらい。全体としてクール系の美少女である。


 背が低いだけではなく、胸もユリアと比べて慎ましやか。ローマ的には美人なのだろう。


 全体的な印象はユリアやクララより年下に見えるが、同い年の十七歳だという。


 このクールな美少女こそ、執政官にして、いまのローマでもっとも有名な弁護士であり、哲学者であり、この屋敷の主トゥッリア・キケロだった。


 なるほど、もえみちゃんが「キケロちゃん」と呼びたくなるのもよくわかった。しかし、彼女はいまのローマにおける最高権力者である。そう思って見ると、その怜悧な表情もただ知的なだけではなく、齢に似合わないある種の凄みを感じた。


 ユリアが立ち上がり、笑顔で両手を広げる。


「キケロ、お招きいただき光栄だ。あいかわらずかわいらしい。元老院の叡智の光だ」


 こういうときのユリアは、決して嘘をついているわけでもなく、本心と違うことを言っているわけでもない。これまでのユリアの数々の口説きシーンを見てきたのでよくわかる。


 自分の裁判でキケロが弁論を失敗して負けた恨みもあるが、同時にキケロに対してかわいらしく叡智のある者だと思っている。どっちもユリアの本心だ。


 だから、複数の女性に甘言を囁きながらすべての女性の心を裏切らないのだろう。


 しかし、キケロの方はちょっと違ったようだ。


 ユリアの言葉を聞いたキケロは、ちょっとではあるが明らかに眉をひそめた。


「執政官という重要な仕事も、智慧も、名声も、美も、財も、すべてを持っているきみに何を手土産に持っていけるか悩んだのだが、結局、果物にした。エジプトの珍しい果物で、とても甘くて滋養もある。きみのますますの幸福を願って、私とクララから――」


 ユリアが自らキケロに持ってきた贈り物を手渡す。内容がバナナなので笑ってしまいそうだったが、この時代のこの地域では貴重この上ない食べ物のひとつ。ユリアもキケロも大真面目である。


(あれ? キケロの表情が和らいだぞ)バナナ効果なのか?


「『かわいらしい』扱いされるの、好きじゃないみたいなんです。気を付けてください」


 もえみちゃんが小声の日本語で教えてくれた。なるほどね。さっきユリアが「かわいらしい」という言葉を送ったことに不機嫌になったわけか。


「……ありがとう。おいしそう。ところでその人たちがモエミちゃんと同じ異世界人?」


 平板な声で最低限の質問がなされる。うちの後輩は、歴史に名を残す偉人に対して「キケロちゃん」「モエミちゃん」の仲になっていたのかと妙なところで感心してしまった。


「ああ、私のところにやってきたセイヤと、クララのところにいるアメリアさんだ」


 一礼すると、じっとキケロが俺たちを凝視している。


「あ、あの、何か……」


「……別に。ずいぶん平べったい顔の男の子だなと思って」


「けっこう毒舌だ!」こちとら生粋の日本人なんだから、仕方がないじゃないか。


「アタシも、キケロがこんなにかわいい女の子だなんて思わなかったわ」


 さらっとアメリアさんが言う。さっきのもえみちゃんの声が聞こえていなかったのだろうか。案の定、キケロの目がすっと細くなった。


 アメリアさんが俺を小突き、ウインクした。この人、わざとだ。


「こちらに来て、いろいろ戸惑うことも多いですが、ユリアのおかげで何とかやっています。こんな、美しい人が、執政官を務めている世界だなんて、夢にも思いませんでした」


 とにかく場を持たせたくて何でもいいからしゃべってしまった。「かわいい」と言いそうになったのを「美しい」に強引にねじ伏せたのだが、果たして。


 キケロが心もちあごをそらした。もえみちゃんが、俺だけに見える角度で小さく親指を立てた。グッジョブらしい。


「……そっちの若いほうの人は、礼儀正しい」


 ローマの女性同士でしばらく談笑やら情報交換やらが行われた。


 よく表情が変わり、明るく楽しげなユリア。


 どこかしらつんけんしながらも、よきツッコミ役でもあるクララ。


 無表情で最低限しかしゃべらないくせに、人の目を引き付けるキケロ。三者三様だ。


 でも、やっぱり、ユリアがいちばんいいと思う。って、いちばんいいって何がだ?


「……ところで、ふたりともカテリーナのことについては聞いている?」


 本題を切り出したのは、キケロだった。


「ああ、少しは」と、朗らかなユリア。


「まあ、ね」と、眉をひそめたクララ。


 やっぱりユリアがいいと思う。身近であるゆえの欲目かもしれないけど。


「……実は、ふたりの力を借してほしい」


 そう言って、キケロは頭を軽く下げた。驚いた。ローマの最高権力者が、現在はただの借金王に過ぎないユリアに頭を下げたのだから。


「……と、こうすればモエミちゃんの世界では何でもいうことをきいてくれると聞いた」


「おいこら後輩」「何でしょうかセンパイ」


「おまえどんなこと吹き込んだ」


「種明かしはしないように言ったのですが」


 ユリアは面白そうにしている。クララは怒るかと思ったが、唖然とした顔をしていた。キケロの振る舞いに、どう対応していいかわからないという顔だった。


 ユリアの反応がいまいちなことに気づいたのか、キケロが今度は軽く拳を握り、両手を肩くらいの高さにあげ、小首を傾げながら、両手首をくたっと倒した。


「……お願いするにゃん」キケロが仔猫になった。


「ぐああああ! 何だキケロ、そのあざとい仕草は!? ――最高じゃないか!」


 ユリアの心は鷲掴みにされたようだった。もともとキケロの容姿について、ユリアはそれなりに好ましく思っていたようだから、あざとい仔猫ちゃんポーズは破壊力抜群だった。


「……モエミちゃん、連れてきて」


 キケロが促し、もえみちゃんがいったん部屋を出る。


 ほどなくして戻ってきた彼女は、ひとりの女性を伴っていた。


 年齢は二十代後半くらいだろうか。彼女も色白だが、あまり生気を感じさせない。どこか困ったような八の字の眉毛で、目は沈んでいる。姿勢もうつむき加減。一言で言うなら「疲れている」という印象の女性だった。そうか、この女の人が――


「何でカテリーナがここにいるのよ!?」


 すっとんきょうに叫んだのはクララだった。俺も、さっきもえみちゃんからキケロの家にカテリーナがいると聞いていなければ、同じように叫んでいただろう。


「あんた、キケロの命、狙ってんじゃないの!?」


「はい。でも、キケロ様に、バレちゃい、ました」


「だったら何でなおさらここにいるのよ。頭おかしいんじゃないの!?」


「そんな……キケロ様のところに、いれば、逆にかくまってもらえる、かなって」


 小さな声で、ぶつぶつと独特のしゃべり方をする人だな。なるほど、ユリアの好みそうな生気にあふれた女性ではない。思いつめそうなタイプには見える。だから、借金に苦しんでいろいろ考えた挙句、国家転覆をもくろむなんてすさまじい思考をしたのか。


 キケロも大変だな。カテリーナの思いつめがぐるっと回って、暗殺をもくろんだ相手の家に転がり込んできたんだから、まるで石田三成に逃げ込まれた徳川家康だ。


 改めてキケロが話を始めた。カテリーナの件だ。内容はモエミちゃんがさっき俺らに話してくれたことと大きく変わらない。


「……私は執政官の立場上、カテリーナの助命を強く言えない。彼女が国家転覆を狙ったことは事実だし、命を狙われたのは執政官である私だから。でも、私はカテリーナに極刑を言い渡したくない」


 キケロが結論を述べた。


「だから、あなたにカテリーナの助命演説をしてほしい。クララにも議会工作を」


 ユリアはキケロの話を受けるだろう。俺はそう思っていた。


 カテリーナもそれを期待してか、八の字の眉でユリアを見ている。


 じっくりと考える時間を取って、ユリアがこう言った。


「せっかくだが、断る」

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