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ユリア・カエサルの決断  作者: 遠藤遼
23/49

セイヤ、アメリアさん、もえみちゃん――日本の三人の会議 Ⅱ

「俺は――」ほんとうは戻れるものなら戻りたい。


 古代ローマは大好きだし、一度自分の目で見てみたいと思ったが。


 ローマに来てからこっち、とにかく考える時間もなかった。


 いや、バタバタすることで、考えないようにしていたのかもしれない。


 父さん、母さん、建売一戸建てのわが家。学校、クラスメイト、教科書やノートや図書館の本。その他もろもろ。もえみちゃんに問われたことで、心のなかで見ないようにしていた、懐かしいものたちが込み上げてくる。でも――


 ディアナと最初に会ったときの、歴史が変質してしまったあとのカエサル像の注意書きが頭のなかに浮かぶ。「ある元老院議員の像。名前は伝わっていない」――英雄を名もない一個人にしてしまうのは、どうしてもイヤだった。


 何より、ユリアのあの笑顔。快活で太陽のような美少女。あの子がローマの英雄になれるのなら、まだ英雄の卵にすらなっていないのかもしれないけど、見てみたい――


 けど、もう一つ、心に引っかかっていることがある。


 このままユリアを『カエサル』として仕事をさせたら、俺はユリアに、あの颯爽として華やかな、よく笑ってよく食べて、自信に満ちたあの少女を「カエサル暗殺」の終末に引っ張っていくだけじゃないのか。ディアナは「暗殺は『カエサル』にとって必然ではない」と言っていたけど、ほんとうはどうなのだろうか――


 俺は、そんなことをあんまりうまいまとめ方もできずに、ぽつぽつしゃべった。


 もえみちゃんがため息をついた。


「センパイ、なんて乙女な思考を……」「何でそうなるんだよ」「あたしだって暗殺なんてイヤですよ。だから、あたしも協力しますって言ったじゃないですか」


 キケロについているもえみちゃんが協力してくれるのはありがたい。たしかにそれは先日の段階でわかっていたことで。


「大丈夫よ、セイヤちゃん。アタシもあのユリア様を暗殺なんてされたくないわ」


 アメリアさんが思いの外やさしい声で俺に微笑みかけた。不覚にも目頭が熱くなった。


(ああ、だからもえみちゃんは今日、アメリアさんも呼んだのかな?)


 キケロはユリアに協力する。だから、クララも逃がすなよ、といったところだろうか。


 いろいろ考えてくれている後輩である。


「ところでセンパイ。アメリアさんは愛のために、あたしはセンパイを追って、このローマに来ました。では、センパイがこのローマに来た理由、まだ聞いてませんでしたよね」


 もえみちゃんに促されて、あの日、上野『古代ローマ展』会場で何があったかを二人に説明した。「絶望の吐息」のこと、女神ディアナのこと、ディアナが持っていた俺の筆跡のサインがあった「契約の羊皮紙」のこと――


「なるほど、なるほど」聞き終わったもえみちゃんがしきりにうなずいた。


「さらに疑問が増えました。センパイだけやたら切羽詰まってローマに来ていますね」


 もえみちゃんの言葉が鋭い切っ先を伴って突き付けられる。


 アメリアさんも真剣な顔つきで俺を見ていた。


 もえみちゃんもアメリアさんも自分の意志でローマへ来た。


 俺だけが「ローマ行きか、しからずんば死か」という二択で追い込まれたにすぎない。


「その『契約の羊皮紙』という書面、センパイが自分で書いた覚えはないんですよね?」


「もちろんだよ」

「だったら」と、もえみちゃんが再び切り込んでくる。「その契約を書いて署名したのはほんとうは誰なんでしょうね?」


 何も答えられずにいたら、もえみちゃんの明るい声がした。


「考えても分からないことはいっぱいあります。大丈夫。そのうち分かるときが来ます」


 顔を上げれば、もえみちゃんのいつもの笑顔があった。


「ああ、そろそろ待ち合わせの時間ですね。今日のキケロちゃんの話なんですけど」


 もえみちゃんが身を乗り出すようにした。


「カテリーナっていう女の人、知ってますか」


「ごめん。知らない」


「アタシは知っているわよ」と、アメリアさんが俺のほうにちょっと寄ってきた。隙あらば身の危険がやってくる。


「執政官に立候補して、キケロに敗れたオンナでしょ?」


「正確には立候補もできなかった、です」


「どういうことですか」


「執政官の公約に『借金帳消し』を掲げたの」


「借金は誰だって嫌なものですからね」魂の底からの想いだった。


「これを公約にすれば借金で悩んでいる層を味方につけることができると踏んだんでしょうけど、元老院の連中は基本的に金を貸す側よ? 借金帳消しなんて公約を掲げられたくないから、カテリーナが立候補できないように妨害工作をしたのよ」


 アメリアさんが説明してくれた。クララもその妨害には裏で多少力添えをしたという。


「ちなみに、そのときのユリア様はカテリーナに対して中立。邪魔もしなければ、味方にもならなかったようです」と、もえみちゃんが補足する。


「借金帳消しならユリアも喜びそうなのにね」ナツメを一つ口に入れた。甘い。


「ひとつには、カテリーナの政治的な位置づけです。彼女は、かつて平民の支持を中心に政治を考えようとした民衆派という人たちを粛清した勢力にいました」


 ユリアのこれまでの考え方からすれば、あいつは間違いなく民衆派だ。それなら別に、カテリーナに力を貸す理由はない。


「もうひとつの理由は、たぶんユリア様は、すでに天文学的な数字になっていた自分の借金を返す気がないからだと思います」もえみちゃんもナツメを食べた。


「ユリアのことだから、莫大な借金があることで、貸主がかえって自分を見捨てられなくなるので、好都合だと思ってるだと思うよ」


「センパイ、完全にユリア様に堕とされましたね」


「いま、何か変な字を使わなかったかな?」


「で、カテリーナなでんすが、真面目な人なんですが、真面目な性格だからこそというべきか、あいかわらず借金で苦しんでいます。……飲み物も用意すればよかったですね」


 ユリアみたいな豪放な借金観を持っていれば、借金に苦しむことなんてないのだろうけど、みんながそれをやったらローマは経済的に破綻するだろう。


「それも知ってるわ。はじめてセイヤちゃんがクララのところに来た日、セイヤちゃんが帰ったあとカテリーナがクララに借金の申し入れをしにきたもの。お茶ならあるわよ」


 アメリアさんがトートバッグから水筒とコップを取り出す。日本製品だ。


「カテリーナさんもクララにお金を借りているんですか。……え、日本茶?」


「これも魔術で作ったのよ。実家の静岡のお茶の再現。結構おいしいでしょ? クララ、いままではカテリーナにもお金貸してたみたいだけど、あの日は断ったわ。ユリア様が百タレント貸せなんていう無茶苦茶な手紙を書いてよこしたから」


 ということは、何だかんだ言って俺が手紙を見せた段階で、クララはユリアの願いをかなえてくれるつもりだったのか。とんだツンデレお嬢様だ。


「クララのところでお金を工面できなかったからでしょう。彼女はキケロちゃんのところに来ました。……アメリアさん、日本茶、懐かしくておいしいです」


「感謝しなさいJK。で、何しにって、これは愚問だったね。お金を貸してくれって?」


「ええ。キケロちゃん、ちょっとだけ貸したようです」


「珍しいわね~。うちのクララ、キケロはケチケチだっていつも言っているわよ」


「病気のお母さんの薬代と言われたら、貸さないわけにはいかなかったみたいです」


「大変だね。……ほんと、日本茶、久しぶりでほっとする」


「あとでウソだったとわかって怒っていましたけど」


「ウソだったのかよ!」


 まあ、善意の拡大解釈をすれば、自分の母親の病気をでっち上げてまでお金を借りようとしないといけないほど、台所事情がよろしくないということなのだろうか。


「今日、ユリア様に相談したいのは、そのカテリーナのことなんです」


「お金なら貸せないよ。むしろ借りまくっているんだから」


「……センパイ、ほんとうに、ユリア様に似てきました」「人聞きの悪いことを言うな」


 英雄を育てるには金がかかる、と思おう。そうしよう。泣いてなんかいないよ。


「ユリア様に借金するなんて無謀な考えはさしものカテリーナも持ってないと思います」


 カテリーナさんがどんなに困窮してもそこまで行かないのは、一定の常識人と思っていいだろう。ユリアにお金を借りるなんて、生まれたばかりの赤ちゃんにいますぐ東大合格しろというようなものだからな。え、言いすぎかな。


「でも、それと同じくらい無謀なことを考えているみたいでして……」


 もえみちゃんが深刻な顔をした。お茶をぐっとあおる。


「借金を苦にしたカテリーナ、ちょっと国家を転覆させちゃおうかなーって、考えてるみたいなのです」


「待て待て待て待て」慌てた。貴重なお茶を吹くところだったじゃないか。


「何それ。ローマって、そんな簡単に転覆しちゃっていいの?」


 しかも、動機が借金苦である。ユリアにお金を無心しようというほうがまだ常識的だ。


「国家転覆の一環として執政官の暗殺も計画していたようなのですけど、その計画が執政官である当のキケロちゃん本人にバレまして……」「バカだ!」


「本人はバレていないつもりで、今日も元気に元老院に出てます」「完全なバカだ!」


 そこで俺は、あることを思い出した。「あっ、そうか。『カティリナの乱』か」


 こんなに思い出すのに時間がかかるとは、記憶がなくなってるのかなと疑ってしまう。

「そうです、センパイ。カティリナがカテリーナという女性になっていますが、あの乱がいま起ころうとしているんです」


「アタシ、その乱のこと、よく知らないんだけど」アメリアさんがお茶のおかわりをついでくれながら、もえみちゃんに質問する。「元老院でその情報を知っているのは誰?」


「最大派閥の小カトーとその一派は全員知っていると思っていいと思います。キケロちゃんのお友達も、たいてい知っています。たぶんユリア様もつかんでるんじゃないかなぁ」


「小カトー、ここでも絡んでくるわけか――」


「前に何かあったんですか?」


「二度程会ったことが会ってね」と、小カトーにピザ屋で初めて会ったときのこと、浴場でごろつきどもを差し向けられたこと、そのときに語った言葉を教えてあげた。


「それは……割りと面倒かもですね。小カトーは完全にローマ元老院の保守派で、現在の元老院を牛耳っています」


「『牛耳る』っていう言葉を使うということは、やっぱりあんまりいい人じゃないの?」


「政治家の信条としてはおそらくアンチ自由思想。ローマ市民の発展よりも前例と慣習の人です」そりゃあ、ユリアと合わないよな。


「そのくせ肚黒なんですから、キケロちゃんもいろいろやりにくそうです」


 そうだろうなあと思う。哲学者でもあるキケロには権謀術数バリバリの人物と渡り合うのは性に合わないのではないか。


 アメリアさんはといえば、険しい表情で腕を組んで黙ってしまった。


 記憶のなかの乱の出来事を整理しつつ、わが後輩に聞いてみた。


「もえみちゃん、そのカテリーナ、殺されるんじゃない?」


「えっ!?」と、アメリアさんが大きな声を出した。


 ここは偉大なるローマとはいえ、古代世界。二十一世紀の日本と比べてまだまだ科学も人権思想も発展していないし、戦争だってある荒削りな世界だ。


 そして俺は、俺たちの歴史の上での「カティリナの乱」の結末を知っている。


「元老院議員がそんなに簡単に殺されるの?」アメリアさんの疑問はもっともだ。


「殺されますね」と声を潜めた。そう、この時代にはとんでもないものがあるのだ。


「『元老院最終勧告』――これを発動させれば、特定の個人を『国家の敵』として断罪し、殺害し、すべての記録から抹消し、過去・現在・未来を貫いてローマから抹殺できます」


 この時代のローマ元老院における、伝家の宝刀である。


「センパイの話したとおりです。いま小カトーを中心として『元老院最終勧告』も辞さない流れが出てきています。小カトーから見れば、国家転覆を企てたこと自体、万死に値するということでしょう」


「俺たちの歴史ではキケロがカティリナと対立。『カエサル』も弁護をしたけど、結局は小カトーに押される形で『元老院最終勧告』が発動。カティリナ一派は粛清だったな」


「その通りです。でも、センパイ、この世界の『キケロ』は女の子なんです」


 もえみちゃんが口角を上げた。


 その笑顔を見て、俺は直感した。――こいつ、歴史を変えようとしている。


 もえみちゃんの笑みは、天使の微笑みか、悪魔の誘いか。


「キケロちゃんは、本心では『元老院最終勧告』を発動させたくないみたいなんですよ」


「俺たちの歴史では、『カエサル』がカテリィナの助命嘆願の演説をしたけどキケロが却下してカテリィナ一派は処刑されたけど、そうしたくないってことなのか?」


「キケロちゃんは執政官の立場もあるし、小カトーとの関係の手前、自分から無罪放免を言い渡すことはできないらしくて。最大派閥を向こうに回したら、政治ができないのは古今東西どこも一緒ですから。でも、史実通りにユリア様にカテリーナの助命演説をしてもらえれば、キケロちゃんは却下しないでカテリーナの命を救えると思うんです」


 アメリアさんがお茶をずずっとすすってから質問した。


「史実ではカティリナは殺されちゃうのよね? ぶっちゃけ歴史を変えていいの?」


「特に、俺の場合は下手なことをすれば『絶望の吐息』で殺されるんだけど?」


「そこが厄介なんですよねぇ」と、もえみちゃんが他人事のように言った。他人事だけど。


「それをいうなら、あたしたちがここにいること自体、歴史を変えまくってますし」


「そうといえばその通り、なんだよなぁ」


 歴史を変えないことが自分の身を守るなら、このローマに存在しないことがいちばん身を守ることになってしまう。それはそれで「絶望の吐息」コースなのだ。


 どこまでセーフでどこからアウトなのか、はっきりわからないのがいちばん悩ましい。


「あと、あたしの立場からすると、これはキケロちゃんのためにもなります」


 俺たち異世界人は、基本的に仕えることになった相手のために努力する。もえみちゃんの立場なら、キケロのために働くことは何らおかしいことではない。


「キケロも最後は暗殺、だもんね」


「あら、そうなの? 詳しいわね。さすがセイヤちゃん」


「センパイはローマの歴史は詳しいですよ。あと、あたしのスリーサイズとかも」


「知らないし興味ないし聞きたくないし」「JKコロス」


「不利になりそうなので話を戻します。センパイの言うとおりキケロも暗殺されてます」


「キケロはこの粛清を認めたことで、やりすぎだったんじゃないかとあとで責められて、しばらくローマから逃亡することを余儀なくされるんだよなぁ」


「今回の件がキケロ暗殺の直接の原因ではないけど、いろいろ積み重なって暗殺されるフラグの一つみたいなわけで。あたし、キケロちゃんが暗殺なんてイヤです」


「ふーん。で、アタシたちみんなでその方向で支援しようってわけ?」


「はい。お願いします」


「それなら俺とアメリアさんに根回しするだけでもよかったんじゃないの? 今日、ユリアとクララをキケロの家に呼んだのは、どうして?」


「実はですね……いるんですよ」


「誰が?」「カテリーナ」「どこに?」「キケロちゃんの家に、です」


 もえみちゃんが当惑した表情を浮かべる。俺とアメリアさんは顔を見合わせた。


「完全なバカね。セイヤちゃんの言うとおりだわ」俺も付け加えることはなかった。

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