日本からのお客さま
「使ったなあ、お金」
「使ったわね、お金」
ユリアとクララによる剣闘士試合の最終日の翌日の夜、ユリアの家の客間でふたりはそう言い合って、お互いににんまり笑っていた。
ふたりは横になってローマの本式の夕食をとっている。打ち上げだった。っていうかこのふたり、すげえ仲良しだよな。
「まったく、またいろいろ投資したり商売しなきゃいけないじゃない」
「大丈夫だ。これからどんどん情報のほうが転がり込んでくる」
大成功だった剣闘士の試合の興行も、道路の改修とそれを告知する碑文も、上々の出来だった。この点では、ユリアのほうが商才ありに見えた。
が、その一方――
「セイヤもご苦労。毎日毎日私の代わりお客さんをさばいてくれたので助かったよ」
怒涛の百タレント消費祭りのあいだ、簡単にいえば、俺はユリアの秘書と化していた。
「やっぱりセイヤは私の幸運の源だ。このまま身の回りの世話をしつづけてもらおう」
ちょっとげんなりした。
げんなりしたと言えば、この大散財祭りのあいだに月の女神ディアナとの月一回の進捗報告があったのだが。「ねえ、ディアナ、大丈夫なのかな? ユリア、ヤバくね?」と尋ねた俺に対するディアナのコメントは「順調です。このまま耐えてください」だったのである。耐えてくださいって……。あっ、何か目の前が涙でぼやけてきた。
「まあ、あんた、よくやったと思うわ。ねえ、どう? べべべ、別にあんたのことが気になるとかそういうのはこれっぽっちもないけど、ユリアのところが嫌になったら、あああ、あたしのところに来ない? たぶんユリアんとこ嫌になると思うし。たぶんあたしの方がきっといいわよ。女性関係に悩むなんてわけのわからないことはないし」
「………………っ!」
「経済的にも安定しているから、借金に悩むこともないわよ」
「っ………………遠慮します」
「……あんた、いま相当心が揺れてるわよね?」
「………………ソンナコトナイヨ」
「セイヤちゃん、苦労しているのね……」アメリアさんさりげなく俺の肩を抱こうとしたので、するりと身をかわす。
アメリアさんと言えば、昨夜の浴場での出来事はユリアに話していなかった。時間がなかったせいもあるが、小カトーの話をユリアに説明するのがマズいように思うのだ。
クララの提案はとても魅力的だけど――俺がいなくなったらうちのユリアはどうなることやら。主に「オンナとカネ」的なところで。何でこんなことで悩んでいるんだろう、俺。
そのユリアは上機嫌で、葡萄酒をかっこんかっこん飲んでいた。はぁ。
「ところでセイヤ、あたし以外のところのユリアの借金ってどのくらいあるの?」
「細かく計算はしていないけど、たぶん総計で百タレントくらいだと思う」
「だったらもう、あたしがぜんぶ精算して、あたしのところで借金は一元管理してあげるわ。ユリアもそのほうが楽でしょ」
すっとんきょうなまでの額の散財でクララもおかしくなってしまったのか。それにしても、身体を横にして食べるのにはまだまだなれない。
「この子、酔ってるわね」と、同じく横になって食べ物をつまんでいるアメリアさんが苦笑している。見れば、クララのコップには水で割った葡萄酒が注がれていた。
「未成年なのに、飲んで大丈夫なんですか?」
「ローマでなら、うちのクララもオトナの女よ。でも、この子、お酒弱いのよねえ」
俺とアメリアさんがこそこそ話をしていると、クララがこちらに一瞥くれた。
「ちょっと! そこのふたり! あらしは酔ってなんかいないんだからね!」
「自分で酔っていないって言っている段階で酔ってるよね」
「セイヤうるさい! あらしは元老院議員として、慎みある飲み方しかしてないわよ」
「ほんの一口でいつも眠ちゃうのに。今日は浮かれてるのね」
「アメリアうるさい! あらしは、あんたみたいに、葡萄酒を水で割らないで飲むような、のんべえじゃないんだからね!」
「『あたし』が『あらし』になってるわよ。アタシたちの世界ではこれが普通なの」
ローマでは葡萄酒は水で割って飲むのがあたりまえで、ストレートで飲むのはクララの言う通り、そうとうな酒好きという烙印が押されるのだ。でも、葡萄酒を飲む早さから見て、アメリアさんは日本の基準で考えても十分にのんべえだと思う。
「こうして飲んでいると日本にいたときのこと、ちょっぴり思い出しちゃうなぁ」
「はあ」
「アタシね、公認会計士の仕事の時には自分を偽って男の姿になってたのがストレスで。週末の夜は『曼珠沙華』という会員制バーを開いていたの。アメリアというのはお店での名前。でも、いまは一日中、自分らしい姿でいられる。だから、いま幸せなの」
アメリアさんもそれなりに酔っているようだった。
ユリアはこれ幸いと、クララで借金全額一元管理債務整理の話を進めようとしていた。
「では、これからもクララにいろいろお願いさせてもらおうかな」
「そーよ、そーよ」
「実は、セイヤ名義の借金もほんの少しばかりあってな――」
「いつの間にそんなことしたんだ、おまえっ!? 勝手に人の名前で借金するなよ!!」
「そっちも精算したいんだがいいかなー?(棒)」ユリアのヤツ、目も合わせねえ。
「どーんときなさいよぉ! ユリアの借金なんて……借金なんて……ぐすっ……あんた、さっさとお金かえしなさいよぉぉ! うわぁぁぁぁん!」
酔うと泣くタイプだったようだ。
「セイヤちゃん、悪いけどこの子のこと、少し見ててくれないかしら」
「アメリアさん、どうかしたんですか」
「今日中に精算しておかないといけない請求書がいくつか残っているのよ。アタシはこれで帰るから、後は頼むわね。もう少しセイヤちゃんと話したかったのだけど……」
今回、アメリアさんには、街道改修から剣闘士試合までいろいろなところで仕事を教えてもらった。ありがたい話である。身の危険を感じるシーンもあったが、そのたびに「『トラノスケ・ヤナギサワ』って呼ぶわよ!」とクララが一喝してくれた。アメリアさんにとって、男だったときの名前は鬼門らしい。
アメリアさんは名残惜しそうに俺に流し目を送っていたが、クララが何事か喚きはじめたのを聞いて、結局のところ仕事に戻っていった。ほんとうはアメリアさんは酔っぱらいの縦ロールを押し付けて帰りたかったのかもしれない。
「おら、セイヤぁ、あらしにつぎなさいよぉ」「はいはい」
ああでもないこうでもないとどうでもいいことをしゃべりながら飲み食いしているあいだ、ユリアの忠実な奴隷であるリヴィアは食事もとらないで彼女のそばにいた。
「リヴィア」「はい」
その短いやり取りで、その都度、リヴィアはユリアの衣類のひだを直したり、髪を直したりしていた。クララがいるから身だしなみに気をつかっているのだろうか。
そのリヴィアに耳打ちする別の奴隷がいた。リヴィアがうなずいてユリアに近寄る。
「ユリア様」
「うん?」
リヴィアのほうから逆に声をかけられ、ユリアはつまんだ木の実を皿に置いた。
「お客様なのです」
「客? こんな時間に誰だ?」
「それが……セイヤのお客様らしいのです」
「ふーん。まあ、入ってもらえ」
ユリアが鷹揚に答えた。俺に来客? ローマでの知り合いといえば、ユリアの借金関連くらいなもので、個人的に親しい人はまだできていないと思うのだけど。
ややあって来客が客間に通される。入口が俺の視界からは影になるので、顔は見えない。
ようこそ、と声をかけたユリアの声が不審の色を帯びた。
「……見たことのない服装だが、セイヤの知り合いか?」
俺は身体を起こし、彼女の視線の先を追った。
そこにいたのは茶色のセミロングの女性。
顔だちは整っていたが、全体の作りはローマ人とはずいぶん異なっている。ひとことで言って平たい。特に印象的なのは、何か面白そうなものを見つけた子供のような快活そうな瞳で、ちょっとユリアに似ている。
さらに、その目の周りである。おしゃれ好きのユリアでさえ知らないそれは「メガネ」。
着ている衣服は、俺だけがよく知っている服――高校の制服じゃないか。
いや、もっと根本的に、その女性、もとい女の子はよく知っている子じゃないか。
「センパイ! 不肖、綾川もえみ、ローマまでセンパイを探しにきたであります」
その女性は俺に対し、にっこり微笑んで敬礼していた。
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