表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ユリア・カエサルの決断  作者: 遠藤遼
17/49

千里の道も借金から

 翌日、ユリアと二人でクララの家を訪問すると、昨日と同じ部屋に通され、ほどなくしてアメリアさんを伴ったクララが現れた。


「性懲りもなく、またやってきたわね! 私がこの家の主リキータ・クラッススよ!」


 バーンという登場音が聞こえそうな入室も変わらない。っていうか、なじみのユリアにも、この登場の仕方をいつもしているのだろうか。横でアメリアさんが俺に投げキッスをしたのは見なかったことにしよう。


「昨日はあのあとも借金申し入れが連続よ。昨日といい今日といい、厄日かしら」


「ああ、愛しのクララ。久しぶりだね。私が属州に行っているあいだ、何がさみしかったって、きみのそのステキな笑顔が見られないのがとてもつらかった……」


 ユリアが儚げな笑顔とともに、流れるようにクララをやさしく抱きしめた。見てはならないものを見てしまったような気がした。


 先日の小カトーに対していたときの営業スマイルとは別格の、女神のような笑顔である。


 クララはというと、どぎまぎしていたが、結局、ユリアの抱擁を受け入れていた。


「あ、あんた、どうせ、属州中の女の子にそんなふうにしてたんでしょ」


「そんなわけないだろう。きみのように聡明で美しい女の子は、いないよ」


 半分うそである。属州からローマへ旅立つ日、ユリアがぎりぎりまで書類を書いていたが、それが仲良くなった女の子たちへの手紙だったと最近ユリアから聞いてしまった。


 ただ、ユリアの微妙な表現にちょっと感心した。「きみのように」ということで他の女性の影を感じさせつつも、クララを序列いちばんにすることによって、さらりと彼女の自尊心を満たしてあげている。


 結局、クララのほうも腕を回して、ユリアを軽く抱きしめた。


「おかえりなさい、ユリア」「ただいま、クララ」


 外国人だからハグくらい当然なのだろうが、ユリアだと何だか問題なものを感じる。


「キャー、すてき! アタシもあんな風にされてみたいわー」


「アメリアさんか。聡明ですてきな女性とお見受けする。クララをよろしく頼む」


「キャー、ユリア様にそんなこと言われるとアタシもどきどきしちゃう」


 ユリアのなかではアメリアさんは女性扱い枠なのか。


 ユリアのほうがクララの腰に手を当ててエスコートしながら、椅子に座らせる。ユリアはそばにあった水差しから水をくんであげるとクララのまえに置き、自分も座った。もはやどちらが主人で客かわからない。


「先日、セイヤに持たせたブローチは気に入ってもらえたようだね」


 ユリアが微笑む。クララが赤面し、そっぽを向く。クララのその胸には、昨日、お届けした蜂のブローチが光っていた。


「昨日から大喜びで寝るまでつけていたものね」「アメリアうるさい!」


 ユリアはとってもいい笑顔になった。


「よく似合っている。まさに元老院の華だ」


 女たらしにほめられたクララが首まで真っ赤な顔になっている。


「クララ、ちゃんとお礼を言わないと」「アメリアうるさい!」


 クララはしぶしぶといった調子で小声でお礼を言った。「ありがと……」


 ユリアはパッと華やかな笑顔になった。


「どういたしましてクララ! その一言で、属州での疲れが消えたよ。これから元老院議員として、よろしくお願いする。そして愛してる」


 クララが赤面しつつも渋い顔になった。何か言いたそうな顔をしている。


 ユリアはその彼女をにこにこと眺めている。何というか男前である。


 クララは黙って水をすすり、水でのどを潤し、さらに水を飲んだ。


「クララ、飲みすぎよ」「アメリアうるさい!」


 思わず吹き出してしまった。クララにギンッと睨みつけられる。


「そこの変な奴、属州で捕まえたんだって?」


 商人でもあるクララはいろいろ情報を掴んでいるんだな。


「そうだ。港町ガデスでな」


「ガデス……船の出入りはどうだった? 何か値が変動しているのはあった?」


「船の動きは上々だろう。相場は安定していた。なかなかあそこまで足を運べなかったが、セイヤのおかげで直接見ることができたのはよかった」


 ユリアが俺に微笑みかける。安心する笑顔だ。


「そこでヘラクレス神殿に行ってな。アレクサンドラ大王の像を見てきた」「ふーん」


 クララが興味なさげに相槌を打つ。彼女としては、アレクサンドラより目の前の小麦とオリーブの相場を知るために、ガデスの情報が欲しいのだろう。


「アレクサンドラ像を見て、あることを誓ってな」


 ドキリとした。ユリアが自分の決意をここで述べるのだろうか。


 踏み込んでその日の夜、ディアナと会った話までするのだろうか。


「何を誓ったの?」


「『愛しのクララから百タレント借りよう』と」


「「はいぃぃ?」」


 俺とクララの声が見事にシンクロした。


「ちょっと、あんたね! いやしくも、アレクサンドラ大王を詣でて立てた誓いが借金なの? 何考えてるの? バカなの? 死ぬの?」


 こいつは、現代日本アキバ的な言い回しをずいぶんと駆使できるんだな。


「うん。元老院議員になったら、絶対、クララに百タレントをお祝いでもらおうと――」

「はいそこちょっと待っていつのまにか『借金』から『もらう』にすりかわってるからダメ絶対!」


 クララが肩でフーフー息をしている。ちょっと同情した。


「ダメだったか……」ユリアが嘆息した。こいつ、確信犯か。


 このままではらちが明かない気がしてきたので、ユリアに尋ねる。


「あのさ、ユリア、いまさらなんだけど、何でそんな大金が必要なの?」


 理由を説明すれば、ちょっとはクララに説得力を持つのではないかと思ったのだ。


「ああ、そうだな。ほんとうはそのお金でクララをびっくりさせようと思ったのだが」


「超高額借金申し入れで十分びっくりしたわよ!」


「実は百タレントを使って公共事業を考えている。具体的には街道の修理だ」


 クララの眉がピクリと動いた。


 古代ローマでは、公共事業は元老院議員や金持ちたちが費用を出資して行う高貴なる義務であるとともに、ステイタスだった。民衆のためになるお金の使い方をすることで、ますます民衆の人気が上がるという寸法だ。


 ちなみに、ローマで有名な「街道の女王」アッピア街道も、ローマ人の生命線でもあるアッピア水道も、アッピウスという元老院議員の要請によって創られた。それ以後、街道などには建設立案者の名前が、民衆のために役立った名誉として残されている。


「何のために?」「もちろん、ふたりのためだ」


 何だろう。また口説きモードに聞こえるのは、気のせいだろうか。


「アッピア街道みたいな大きいのは百タレントでも無理よ。最近は物価も上がってるし」


「主要な街道筋の修繕事業を大々的に展開する。複数カ所でやれば話題にもなる」


 そこまでの街道修理であれば、ユリアの名を記した碑のひとつも立つのだろうか。


「それから、剣闘士の試合を市民に開放したい」


 こちらも政治階級からときどきもたらされる。俗にいう「パンとサーカス」のサーカス。


「これらをすることで、ローマ市民たちの支持を増したい」


 なるほど、クララが目を丸くするほどの金額を傾けての公共事業と見世物なら、元老院議員になったばかりのユリアが一躍有名人になることもできるだろう。


 ディアナに誓った「新しいローマを創る」ということは、必然的に古いローマの体制でそこそこの利得を得ている層に対しては、大なり小なり迷惑なことであるはずだ。改革はだいたい、いつの時代も改革される側にとってみれば、ある種の簒奪なのだから。


 だから、味方が要る。


 ユリアが自分の理想の味方と考えるのは、「新しいローマ」に住むローマ市民たちそのものになるはずだ。ゆえに、ローマ市民たちの支持を早く固めたいのだろうと思う。


 逆に見れば、ユリアは元老院議員たちを積極的な味方と捉えていないということになる。俺のいた世界の『カエサル』は結局、旧守派の元老院議員たちによって暗殺されるのだから、その構図はこちらの世界でも成り立っていることになるのだろう。


 だが、こっちの『カエサル』はまだ元老院議員になりたての美少女だ。そして誰でもないユリア自身がローマを自分で揺り動かさない限り、ユリアの出番はまだない。


 お金の使い道ひとつで「ユリアは元老院より市民の支持を取りつけることを重視している」と危険視されることはないと思うのだが、元老院の側がどう見るかは俺にはわからない。いろいろ考えていたら、このやり取りもけっこう胃が痛いんだけど。


「クララ、私も元老院議員になったわけだが、特に小カトー以下の保守派の連中の無能さには呆れてきている」


「まあ、小カトー派は元老院内の政治なら大好きだけど、実際には何もしてないわよね」


「個人の生き方としてストイシズムは結構だが、杓子定規な法解釈や前例主義で硬直した政治で困るのはローマ市民だろう?」


「小カトー派が立法に出張ってくると、物流とお金の流れが必ず鈍くなるのよね。そのくせ自分たちは別荘を二つも三つも持ってる」


「自分たちの生活が守れればそれでいいんだろう。あんなバカが元老院で幅をきかせているのは、ローマの不幸だよ。だから、見せてやるんだ。『お金をこういうふうに使えば、ローマはもっとすばらしくなるし、何よりみんな喜んでくれる』って」


 小カトーが自分の当面の敵と言った背景には、ユリアのこんな考えが潜んでいたのか。


 ユリアは明るい表情のまま話を続けている。どれだけすばらしい街道ができるか、どのような見世物で人々が喜ぶか、まるですでに目のまえにあるかのように描写していた。


「そうすれば、新参の元老院議員である私でも仕事をするのが楽になる。出世が早くなれば、そのぶん借金だって早く返せる」


 ユリアの言っていることは一理ある。しかし――。


 気になってアメリアさんを見ると、クララの後ろに立って苦笑いをかみ殺している。


 アメリアさんも知っているのだろうか。『カエサル』は借金を返さずじまいだったのだ。


 返そうと思ってはいたが、返すまえに暗殺されてしまったのだと、しれっとした顔であの世で開き直りそうで怖いけど。


(その意味でも、ユリアを暗殺されないようにしないといけないのかもしれない)


 しばらく腕組みをして考えていたクララが、腕を解いて、ため息を大きくついた。


「まあ、女の子への贈り物だ何だと言わなくなっただけ、アレクサンドラ大王の霊験があったと思うべきなのかもしれないわね。アメリア、この話、どう思う?」


 投資話として受けるべきか、「会計士」の意見を求めたのだろう。


「セイヤちゃん、このお金はどうしてもいるのね?」


 意外なことにアメリアさんが、日本語で逆質問してきた。


 俺の答えなら決まっている。


「ユリアとローマのためにどーしてもいるんです。是が非でも貸してください」


 貸してもらえなければ、「絶望の吐息」に殺されるのだ。


 アメリアさんがあごに指をあてて考えているあいだ、祈るような気持だった。


 どのくらいそうしていたか、アメリアさんが俺を見て、それからクララを見て、言った。


「百タレント、貸しましょ」


 クララはちらりとアメリアさんを振り返ったが、すぐにユリアに向き直った。


「わかったわ。百タレント、ユリアに貸してあげる。借用書の準備を」


 羊皮紙を取り出すまえに、アメリアさんがひとこと付け加えた。


「ただし、街道修繕の記念碑や剣闘士試合の告知にはクララの名前も出すこと」


 アメリアさんはさらにクララにささやいた。


「火事場泥棒で財産を築いたなどという汚名をそそぐことができるチャンスにもなるわ」


 立派な「会計士」だった。クララもそのくらい考えていたのかもしれないが、これはいわばアメリアさんからクララへのダメ押しだったのだと思う。


 ユリアはアメリアさんに対してにっこり笑った。


「もちろんだ。ふたりの名前をきちんとローマ市民に覚えてもらおう。そして、近い将来、ふたりで執政官になるのだ」


 すげえな。ユリアの奴、ここでもただの借金王ではなく、人たらしだった。


 執政官といえば、皇帝のいない現在のローマでは最高権力者の役職である。


 現在の共和政体のローマでは、権力がひとりに集中しないように、ふたりで執政官を務めることが定められていた。これには、戦争のときに軍を率いる執政官が戦死した際に、国家のかじ取りが空白にならないようにするという極めて冷徹な鉄則も含まれている。


 その執政官への野望(とあえて言っておくが)までも、ユリアが明言したということが衝撃であり、その同士としてクララを、この段階で指名したことがさらなる衝撃だった。


「あたしが……執政官……」


 執政官になるなどあまり考えたことのないクララだったろう。


 しかし、ユリアがその扉を開いた。執政官への道という未来を耳元でささやいたのだ。


「ふふ、ふふふ……おもしろいわ! だから、ユリアのことが好きなのよ」


 クララはそのようなささやきに対し、潔癖でありすぎはしないが悪酔いもせず、いってみれば一緒に踊ってくれる性格のようだな。


「まったく。我が家の金蔵はユリアに捧げるためにあるわけではないのだけど。いいわ。とことん付き合ってあげるわ」


 ユリアはクララというパトロン(悪く言えば金づる)を、執政官への夢をささやき、焚きつけることで完全に自分のものにしてしまったようだった。


 ユリアの爽やかな美少女ぶりの奥にある何かがより明確な姿を見せようとしている。


 それがどんな姿になるかは、これからのユリアの選択と俺の補佐に懸かっているのだ。

少しでも面白いと思っていただけたら、ブックマークと☆の評価がもらえると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ