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ユリア・カエサルの決断  作者: 遠藤遼
15/49

クララとアメリアさん

 そういえば、いつのまにか『英雄カエサル』に対して「こいつ」とか「おまえ」とか言っていたなと、わが心の変化に愕然としたころ、ユリアが一通の手紙を俺に持たせた。


「これをパラティーノの丘に住むリキータ・クラッススという人に渡してきてほしい」


「ドラゴン便は使わないのかい」


 あの竜型伝書鳩は首都ローマでもときどき見かけていた。普及しているようだった。


「近いし、それにセイヤには一度、彼女に会っておいてほしいのだ」


 彼女、というからにはリキータ・クラッススは女性なのだろう。


 とうとうユリアの好みの女性へのラブレター運び役を仰せつかってしまったのか。


「まあ、大丈夫だ。私が元老院議員になったお祝いをもらいに行くだけだから」と言って、ユリアは元老院議院だけに許された、赤く縁どられた長衣姿で俺を送り出した。


「お疲れさまなのです。ご愁傷さまなのです」とリヴィアに送り出され、リキータ・クラッススの家に向かうことになった。ご愁傷さまってヤだな。


 ユリアの家から歩くことしばし。高級住宅街(パラティーノ)のなかでも人目を引くひときわ大きな家がリキータの家だった。


 入口でユリアの使いできた旨を告げると、室内に案内された。しばらく待たされ、出された果汁入りの水でのどを潤していると、扉が大きな音を立てて開いた。


「あたしがリキータ・クラッススよ! あんたがユリアんとこの新しい奴隷!?」


 バーンという登場音が聞こえそうな勢いで現れたのは、ひとりの少女だった。


 身長はユリアより低い。髪型は赤みを帯びた髪を縦ロールにしている。この時代にどうやってこんな髪型を作っているのだろう。顔だちはユリアのようにきれいというよりかわいらしいと言ったほうがふさわしい顔立ち。まだまだ未発達な胸と相まって、少し子供のように見えるが、実際のところはどうなのだろう。


 しかし、リキータの後ろに立つ男によって、思考が真っ白になってしまった。


 男は無言でリキータに従っている。歳は三十手前くらいだろうか。背は高く、引き締まった身体つき。顔だちはクールで、いかにも六本木あたりのベンチャー企業の社長然とした感じ。どことなく先日の小カトーに似てなくもなかったが、問題はその顔だった。


「え? 日本人……?」


 その男の顔は明らかにローマ人の顔ではない。それなりに彫りの深い方だろうが、これはあくまでもアジア人の顔。それも日本人の顔だった。


「ようこそ」と男性にしてはやや高めの声が、外国人訛りのない真正の日本語を発した。


 ローマ伝統の長衣を真っ向から否定するような露出の高い服。おかげで、ほっそりしていながら筋肉質である上半身が開放的に強調されている。


 片耳のピアス。お化粧ばっちり。ひときわ目を引く真っ赤な口紅。流し目からの微笑み。さらに微妙に内股。これってひょっとして……?


「ずいぶんかわいいボウヤがお使いできたのね。いろいろ教えてア・ゲ・ル」


 日本語ゆえに間違いなく伝わるそのアグレッシブでアバンギャルドな言葉の意味に、足から頭まで一気に鳥肌が発生した。これがいわゆる「おネエ系」と言うヤツなのか。


 俺は「絶望の吐息」の出現レベルの恐怖心を感じた。


「あらあら、ウブな反応。ますますかわいいわ」


「ちょっとアメリア、あたしのわかんない言語でしゃべんないでよ! そういうことするとあんたのこと、『トラノスケ・ヤナギサワ』って本名で呼ぶわよ!」


「いやあっ! やめてえっ! もうその名前は捨てたの! そんな男は死んだの!」


 ラテン語になったものの戦慄は消えない。しかし、がんばって名乗った。


「はじめまして。セイヤ・イトハラと申します。よろしくお願いします」


「礼儀正しいのね。ますます好きになっちゃいそう。アタシのことは『アメリアちゃん』って呼んでね。『柳沢虎之介』なんて知らないから」


「と、虎之介……」


「いやあっ! やめてえっ! この男の子、かわいい顔してとんだドSだわっ!」


「最初、うちに来たときはその名前だったんだけど、少ししたら『アメリア』って名前でこの格好になっちゃったのよ。ま、こっちのほうが好きらしいからいいけど」


「東京で公認会計士をしていんだけど、ユピテル神にクララの補佐をするようにって連れてこられたのよ。ヨロシクね」


 アメリアさんがウインクした。立ち直りも早いのだな。でも、公認会計士をやってたなんて、すごい優秀なんじゃないか。ところでクララって誰?


「リキータの愛称よ。たぶん、あなたのところのユリアもそう呼んでいるはずだわ」


 そのクララが俺を下目づかいで眺めつける。「(へい)(げい)」という言葉が頭に浮かんだ。


「へえぇぇ。どんな奴かと思っていたけど、まだ子供じゃない。あんた、いくつ?」


「このまえ、十七歳になりました」その日にローマに飛ばされました。


「はっ! あたしやユリアと同い年じゃない」


 同い年だったんだ。脳内でクララを妹的ポジションに整理しそうだったが、修正しなければいけない。


 それにしても、リヴィアと言いこいつと言い、なんでこうツンケンしているんだろう。ローマ女性に最悪な第一印象でも与える何かを、俺は持っているのだろうか。いや、宴席では子供から元老院のお姉さま方まで、ユリアが一緒にいることもあってそれなりに話しかけてもらえたし、こいつらだけが特別なのだと思う。思おう。泣いてなんかいないさ。


「で、あんたは何しに来たの?」


「ユリアから、この手紙を渡すように言われてきました」


 丸めた羊皮紙を渡すと、クララの目が半眼になった。


「ユリアからの手紙って、ろくなことないのよね」すごい信用ないな、ユリアよ。


「議員になって最近静かだったから、かえって不気味なのよ」とか言いながら、クララが手紙に目を通す。通すのだが。通したのだが――


「るらあああああああ!」


 縦ロールのお嬢様がこめかみをビキビキさせて奇声を発した。


「ゆううううりいいいいああああああ!!」


 羊皮紙を真っ二つに破り去る。


「あンの、大バカの巨乳はァァ!!」


 手紙を床にたたきつけ、それでも気が済まないらしく、げしげし踏みつけていた。


「ちょっと、クララ、落ち着いて」「バカッ、バカッ、バカッ!」「クララ、落ち着いてって」

「乳にしか栄養がいってないんじゃないの!? ほんっとにバカッ!」「クララ!」


 とうとうアメリアさんがクララを羽交い絞めにして持ち上げた。この辺は男なんだなと思う。途端にクララが赤面した。


「あああ、あんた、降ろしなさいよ!」


「わかった、降ろすわよ。降ろすからクララも落ち着いて」


 呆気にとられていると、クララは椅子に腰を下ろし、アメリアさんが飲み物を用意する。


 ふーふーと肩で息をしながら飲み物を飲むクララ。


 少し落ち着いた様子のクララが、改めて俺を睥睨した。


「あんた、この手紙の中身、知ってるの?」


「いや――知らないけど」


「そりゃそうよね。知ってて持ってきたんだったら、あんたも相当な大バカよ」


 いったいどんな中身だったのだろう。床の上で哀れにも破り捨てられ踏みつけられた羊皮紙に目をやったが、残念なことに裏返しだった。


「あの手紙はね、借金の申し込みよ」


「えっ!?」


 ユリアは「私が元老院議員になったお祝いをもらいに行くだけ」とか言ってたけど、借金してきてくれとは聞いていないぞ。先日追加で借金したじゃないか。もうないのか?


 クララが頭の悪い子を見る目で俺を見た。


「あんたね、そもそも『元老院議員になったお祝い』とやらを、自分からもらいに行く段階で非常識だと思いなさいよ」


 諭されてしまった。でも、その通りすぎで、ぐうの音も出ない。お祝いはいただくもので、自分から催促するものではない。


「あんた、ひょっとして、やっぱり必然的にバカ? まえの世界では何やってたの?」


「高校生でした」


「コーコーセーって何よ」


「勉強と身体の鍛錬の時代よ。アタシたちの世界での麗しき青春時代」


「十七歳でそんなことしかしてないなんて、職人でも議員でも、ローマでは無駄飯食いよ。あたしなんか、十五歳で元老院議員やってたわ」


 クララが髪をかき上げ自慢する。かえって幼く見えた。


「じゃあ、クララの家は名門なんだな」


「そうよ! ローマ屈指の名家にして長者番付第一位はこの私リキータ様なんだから!」


「大火事が出たときに被害者の家財を安く買い取り、価値のあるものは高額で転売し、さらに財産を増やしたのは評判が良くなかったのよね」


「アメリアうるさい! 火事で焼け出されて困っていた人たちにはお金を提供できたし、それらを欲しがっていた人たちには適正価格でお売りできたし、あたしはお金を殖やせた。三方よしでよかったの!」近江商人に怒られそうだった。


 でも、商人としてはかくあるべしなのかもしれないけどね。


「あんただって、まえの世界ではカイケイシとかやって、暴利をむさぼってたんでしょ」


「暴利をむさぼってなんていませんー。……っもう、公認会計士の全力で資産を倍増させてあげたのにクララったら憎まれ口ばっかり叩いて。でもそんなクララもかわいいわよ」


「はいはい、ありがと」


「ところで? ユリア様は今度は、いくら貸してくれって言ってるの?」


 アメリアさんがやや強引に話題を変えた。こっちとしても気になるところだ。


「百タレント」


 額を聞いてアメリアさんの顔色が変わった。魂の抜けた顔になった。


「百タレントって――ねえ、セイヤちゃん、あなたの御主人様は戦争にでも行くの?」


 戦争という単語にびっくりした。ユリア、というより『カエサル』といえばガリア戦記。その戦いがもうこの年齢で始まるのだろうか。


「タレントって、このまえの身代金で出てきたな」


 頭のなかで計算する。一タレントが六千万円相当だから……六十億円!?


 俺の沈黙を単純な無知によるものだと思ったのだろう。クララが額に手を当てながら、説明してくれた。


「あのね、あんたは知らないかもしれないけどね、百タレントっていったら、一万人くらいの兵士を一年間くらい養える金額なのよ。それを一括で貸せって言うのよ?」


 改めて俺が驚く番だった。それは戦争を疑いたくもなるだろう。


「額も額だけど、それだけの額を、何にも知らない奴隷に持たせた手紙一通で借りられると思っているユリアもユリアよ!」


「お怒りはごもっとも。まあ、俺は奴隷じゃないんだけど」


「じゃあ、あんた、何なのよ? うちのアメリアは、一応あたしの家庭教師ということにしてるけど、あんた、何もできないんでしょ?」


 返事に窮する。公認会計士でもないし、そもそも社会経験ゼロの学生だったんだ。何もできないだろうと言われればそれまでである。かといって奴隷でもない。


「えーと……友人?」


 その辺のことは実はユリアもあいまいにしている。


 ユリアは俺を客人か友人のように扱っている。リヴィアが俺の世話もしてくれるように手配しているところからも、奴隷扱いしているわけでないことはわかる。


 ユリアの気持ちとしては、何事も白黒分けるだけではないということなのだろうか。


 だが、その発想はこの利に聡い少女にはなかったようだ。


「ふーん、友人ねえ……」


 再び俺を睥睨するクララ。まあ、ユリアみたいに輝くような美人の友人としては、平凡人である自覚はあるけどね。ちょっと泣きそうだった。


「まあ、それはそれとして。友人ならなおさら、借金の申し込みを手紙でするなって、言ってやんなさい!」正論だよなー。


「そうだよね。それにそんな大金、おいそれとは用意できないよね……」と、ユリアのすっとんきょうぶりにため息が出るよ。


 ところが、逆にクララに怒られた。


「ちょっとあんた! バカにしないでよ。百タレントくらい、どうってことないわ!」


 冗談かと思ったが、クララの顔つきからしてほんとうのようだ。さっき一万人の軍隊を一年養えるとか言っていたけど、それが簡単に出せるほどクララの財力は巨大なのか。


「ユリアにはもう一千二百タレントはお金貸してるんだから。全然返してくれないけど」


 途方もない金額だった。そして途方もなく申し訳なくなった。


「……それは、たしかにユリアがひどすぎだと思う」


 俺が頭を下げると、クララが真っ赤な顔になった。


「な、何よ、急に……。そんなことしてもダメなんだからね」


「一万人の兵士を十年以上養えるお金だろ? そりゃ、たしかにひどいよな……。帰ったら、俺からユリアにもちゃんと返すものは返せって言っておくから」


 クララがますます真っ赤な顔になり、とうとうそっぽを向いてしまった。


「何だって言うのよ。びっくりするじゃない。案外いい奴――」


「何か言ったか?」


「言ってない! っていうか、ユリアが自分で来ないのがムカつくのよ!」


「その通りだよな」と、だんだん良心がとがめてきた。この辺りで帰るべきだろうかと悩んだ、そのとき――


 部屋の一番奥の天井辺りが、揺らいだ。


(ウソだろ――)


 あれは、「絶望の吐息」。クララの家の中にあの暗闇の存在が出現するのか――


(俺、いま何した!?)


 一体何がユリアの人生を英雄の道から危うくさせたんだ――!?


「どうしたの、セイヤちゃん。お金借りられそうにないと思って落ち込んじゃった?」


「それだ!!」


 突然の大声でアメリアさんもクララも引いてたが、逃げ場がない以上、賭けるしかない。


「お金、何としても貸してください!!」「せ、セイヤ?」「ユリアを連れてくればいいですか? あいつに頭下げさせれば貸してもらえますか?」「かかか、顔が近いっ」


 突如、肩の辺りをむんずと捕まれた。「絶望の吐息」に捕まったのかと暴れたが、有無を言わさず席に下ろされる。アメリアさんの腕力だった。


「セイヤちゃん、落ち着いて。どうしてもお金がいるのね?」


 アメリアさんの後頭部辺りに暗闇の靄がいる。アメリアさんには見えないのか。


「はい。絶対に貸していただかないといけないんです」と、言い切った途端だった。


(消えた――)


 あの「絶望の吐息」が消え去っていた。


(マジかよ。借金するのが英雄の道なのかよ――)いろんな意味で汗が出た。


「あら、セイヤちゃん、何か落ちたわよ」と、アメリアさんが小さな箱を拾ってくれた。


「あ、そうだ。これ、ユリアから渡すように言われてたんだけど」


 帰り際、または先方ともめたときにはすぐ渡すように言われていた。変なことを言うものだと思ったが、借金の申し入れでもめたときのための保険だったとすれば納得だ。


「何よこれ」「スペインでのお土産だって」「こんなもので騙されないんだからねっ!」


 言いつつほっぺたの赤いクララ。かわいいじゃないか。でも、この様子だとかわいそうに、この子もユリアのかわいい仔猫ちゃんなのだろうな。


 いそいそとクララが箱を開けると、中から出てきたのは色とりどりの宝石をあしらった蜂をかたどった金のブローチだった。繊細な作りで丁寧な仕事。そしてデザイン的に二十一世紀でも通用しそうな感じ。うーん、さすがユリア。審美眼はあるな。


 受け取ったクララは片手を頬にあててうっとりとそのブローチを見つめていた。

「あら、かわいいじゃない、クララ。うらやましいわ~」と、アメリアさんがくねくねしていた。クララも「すてき……」という小さくつぶやいている。


 クララが我に返った。


「こ、こんなもの! でもそれはそれ。お金を借りたいなら、ユリアが自分であたしのところに来なさいって言っときなさい! これは! もらっとくけど!」


 真っ赤な顔のままクララは怒鳴る。まあ、そうなるな。


 帰ろうとした俺の背後の至近距離にアメリアさんが立ち、耳元でつぶやいた。


「ねえ、セイヤちゃんが身体で払うなら、アタシがすぐにお金を用立ててあげるわよ」


「けけけ、結構ですっ!」


 アメリアさんのお誘いを断っても「絶望の吐息」が出なかったので助かった。

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