「十七歳で世界を変えて何が悪い?」あと、代償つきの魔術など
「日本にはちゃんと帰れるのかな」
ボソッとつぶやくと、ディアナがつっと目をそらした。ここでその反応は勘弁していただきたい。
「俺と一緒に来ていた女の子、いましたよね? あのあとどうしたか、知ってますか?」
そもそも、あちらの世界で、俺が消えたということがどういう処理をされているのだろうか。失踪か、そもそも存在がなかったことにされたのか。
「……あ、そうそう、魔術を使えるようにしておいてあげるって話したわよね」
女神さま、いくらなんでもいまの話題切り替えは強引過ぎるだろう。
まあ、もえみちゃんのことだ。俺がどこかに行ってしまったと腹を立てて帰っちゃったのが、関の山かな。何しろ彼女だったわけでもないし。
でも、魔術っていうのはちょっと気にはなった。だから、ディアナの話に乗った。
「この世界のローマ人には魔術なんて使えません。でも、異世界から来た聖也さんには使えます。やり方は簡単。あなたが強く心にイメージして、右手をこう、人差し指と中指を伸ばした状態の刀印を結んで振り下ろせば魔術発動。火とか風とか。コントロールは印に寄らなくても大丈夫。この世界の人を直接的に殺傷することはできないけど」
「なるほど、案外簡単なんですね」
「あ、待って待って!」
心のなかでつむじ風が巻き起こるイメージして言われた刀印を結び、振り下ろす。ゴウっという音がして枝が激しく揺れた。細かな枝が折れ、無数の木の葉が舞い散った。
「ダメダメ、簡単に使っちゃダメ!」
ディアナが大慌てで俺の手を抑えた。
「まだ説明の途中です! この魔術は、聖也さんに重大な副作用もあるんです!」
「えっ――」ちょっと凍ってしまった。「副作用って、どんな?」
「いくら違う世界だからといって、魔術なんてものが無制限で使えるわけではありません。魔術を使うにはそれなりの元手が必要になります」
「その元手っていうのは? まさか、俺の寿命、とか言わないよな?」
否定してほしくて言ったセリフだが、ディアナが次の言葉を言い淀んでいるのを見て、えらい不安になってきました。
「ち、違いますよね、ディアナさま……?」
「……まあ、寿命ってことはないんだけど……」
「ないんだけど?」
「聖也さんが魔術を使うときに必要になる元手は、聖也さんの『記憶』。日本にいたときの十七年の記憶を引き替えにして、この世界で魔術を発動することができるの」
「……つまり、魔術を使うほど、俺は日本での記憶を失っていくということなのか?」
「そういうこと」
未来に向けての寿命がなくなるわけではないが、過去の生きた証が亡くなっていくわけか。地味にきつくないか。
「もし、過去の記憶をぜんぶ失ったらどうなるんだ?」
「そこまでの事態になったことがないからはっきりとは言えません。でも、すべてを使い果たしてしまったら、人生の記録そのものがなくなってしまって、生きていたこと自体がなくなってしまうかもしれないわ」
「生きていたこと自体がなくなる……」
「自分の帰るべきところも忘却してしまうのだから、たぶん日本には戻れないでしょう」
「すげえ大事じゃないかよ」
「もし戻れたとしても、自分が記憶喪失なだけではなく、聖也さんの存在について他の人や社会全体からまったく記憶されていない状態で、放り出されることになってしまう」
「地味どころか、かなりきついじゃないか。いまちょっと魔術を使っちゃったけど、もうどこかの記憶がなくなってるんだよな?」
「いまくらいの魔術なら、それほど気に病む必要はないと思うわ。何事もない一日の記憶の一部が、ちょっとなくなったくらいね」
「ちょっと安心した……」
「ダメ。安心しないで。一応、忘れかけてる記憶から消耗されるだろうけど、そんなふうにちょこちょこ使っていたら、あっという間に記憶なんてなくなってしまう。聖也さんがこちらの世界にずっといるのなら、記憶をすべて使い切ってもいいけど」
「怖いことを言わないでくれ」
「でもね、いま言ったことと逆になるけど、使うべきときは魔術を使うことをためらってはいけないわ。ローマ人は魔術を使えなくても、この世界のガリア人のドルイドやエジプトの神官たちは魔法を使える。ここはゲームの世界ではない。死んだらこの世界の霊界に還ってしまい、元の世界への転生はきかないから」
死んだら元の世界に還れるなんて、都合よくはできていないんだな。
「普通は魔術といっても日用品を生み出せる程度。聖也さんのような万能型は特別。この意味、わかるかしら?」
「それだけ大変ってこと、ですかね?」
ディアナが悪い笑顔になった。楽しそうですね。
「それだけではないの。たとえば何万人もの人が大災害で命を落とすかもしれないとき、あなたの魔術で人々を救えるなら使うべきかもしれない」それは――そうだろうな。
「そういうときにエネルギー切れにならないようにするためにも、日頃から魔術を無駄遣いするようなことは慎んだほうがいいわ」
ディアナの励ましとも注意ともつかない話を聞いていると、人の歩いてくる音がした。
「誰だ?」
思わず身構える。しかしディアナは相変わらず穏やかな笑みのままだ。
ギッ――。中庭に通じる扉が開き、月明かりのもとに現れたのは、ユリアだった。
「急に大きな物音がしたので気になってきてみた。セイヤだったのか」
さっきの俺の魔術の試し打ちのことだろう。
俺の姿を認めたユリアはこちらに歩き出そうとして、足が止まった。
「あなたは、誰だ?」
手が思わず腰に伸び、護身用に持ってきたのであろう短剣を握っている。
ディアナは立ち上がるとやさしい微笑みをユリアに向けた。
「ユリア・カエサルですね」
ディアナの身体を包む柔らかな光が強くなったようだった。
「私は月の女神ディアナ。聖也をあなたのもとへ送り込んだ存在」
やさしい声にユリアは雷に打たれたようになった。慌てて膝をつくユリア。彼女の慌てっぷりがちょっとおかしかった。
ディアナはディアナでくすりと笑って俺に呟いた。
「信仰心ある者の態度とはこういうものです」
しょうがないじゃないか。俺の家は仏教徒で、ローマの女神さまを拝んでたわけじゃないんだから。
顔を上げたユリアは月の光に照らされて、昼間の快活さにどことなく神秘的な感じが加わったようで、違ったふうに見えた。
「ディアナ様、私は今日、心に誓いを立てました」
その目は煌めき、力強い想いを感じさせる。
「私はアレクサンドラ大王が世界を制覇したのと同じ年になったのに、何一つなすことなく生きてきました。私は大王の像を見たときに、それを深く恥じたのです」
ユリアは切々とディアナに語り続けている。
「建国以来、ローマは大きくなってきました。しかし、その実、元老院は腐敗し、昨日に続く今日、今日に続く明日さえあれば、自分の生きているあいだは何事もなければいいという連中が国のかじ取りをしています」
緩慢に死に向かっている国だとユリアは断罪した。
「私はこのローマを愛しています。ローマの人々を愛しています。だからこそ、このローマをもっともっとすばらしい国にしたいのです。元老院のためのローマ市民であってはいけない。ローマは様々な民族が、それぞれを認めながら、共に生きられる大きな世界にならなければいけない。だから――」
ユリアが大きく息を吸い込み、姿勢を正して宣言した。
「私は、新しいローマを創ります」
夜風がユリアの髪を揺らした。ディアナがややあって小さくうなずいた。
「ユリア・カエサル、あなたの誓願、月の女神が聞き届けました。この聖也が今日の証人です。期待していますよ、ユリア」
そう言い残すとディアナはほのかな光を発し、消えていった。
「なあ、セイヤ――」
立ち上がったユリアが背を向けたまま言った。
「十七歳で世界を変えて何が悪い?」
驚く俺にユリアが振り返る。その顔には満面の笑みが浮かんでいた。
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