いきなり女神様に弓を向けられた
「ここで死ぬか、私の命令を聞いて古代ローマに転送されるか――どっちにする、糸原聖也さん」
上野の美術館の『古代ローマ展』の薄暗い展示会場で、俺は突如として現れた美女に選択を迫られていた。引き絞った弓矢を、自分の胸元に向けられながら。
その矢先を見つめながら、無理やり、唾液を飲み下す。
こちらに弓を構えているのは、きらめくような長い金髪をゆるく波立たせた女性だった。
成熟した大人の魅力にあふれた身体つきの、目のやり場に困るくらいの美女。しかも困ったことに、身につけているのは神話の女神を彷彿とさせる薄衣で、女性的な身体のラインがすっきり浮き出て見えた。甘いバラの香りが漂っている。
女神のような姿とは、それもそのはずで、この美女は古代ローマの狩猟と月の女神ディアナと名乗っていた。
つまり、俺は女神様に弓矢を突きつけられて選択を迫られているということになる。
もう一度、口の中のつばを飲み込んで叫んだ。
「あああああっ! わかったよ、もうっ!」やけくそだった。
「古代ローマに行って『カエサル』がちゃんと歴史通りの仕事をするかサポートしてくればいいんだろっ!」
何て誕生日なんだ。だけれども、十七歳になったばかりで死にたくない。
ディアナはにっこりと女神らしく笑った。
「『カエサル』に、古代ローマの政治の中枢に躍り出てもらって、ガリア人を征伐したあと、旧体制派の内乱を鎮め、ローマを大帝国にするという仕事をしてもらえるよう、がんばってね。これがあなたのミッション」
ディアナは実にいい笑顔になり、歴史上の偉業を押しつけた。
でも、これで、あの矢で射られなくてすむんだよね――
と思いきや、女神ディアナは矢の狙いを俺の胸元にもう一度合わせ直したではないか。
「えっ!? ちょっと待ってっ!」「大丈夫。痛くない」「いやいやいやいや!!」
身の危険であることは間違いないのに、動けない。
「この矢を受けたとき、あなたの肉体と魂は、とある古代ローマに行きつきます。そこであなたは『カエサル』に会う。大丈夫。私の力でラテン語もできるようにしてあげるし、多少の古代ローマ人の常識は持たせておいてあげるわ」
「ちょ、まっ……」待ってくれと言おうとして、その先が言えなかった。
ディアナが、弓の弦からその白い手を離したのだ。
十分に力を蓄えられた女神の矢が、解き放たれる。
自分の胸に矢が吸い込まれていくのを、妙にゆっくりと鮮明な映像で認識していた。
やっぱり、死ぬのか――
刹那、視界が白熱する。耳のなかで何か大きな音が反響している。
矢を撃ち込まれた胸に灼熱の熱さが吹き荒れた。
指先や足先が無性にしびれる。身体じゅう、すりつぶされるような圧力を感じる。苦しさと違和感から叫んだ。でも、それが自分には声としては聞こえなかった。
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