かなしいはずだ
かなしいはずだ。身近な人が他界したとき。それをきっかけに浮かんでくる、親しいはずの人間関係の軋轢。完璧な答えはない。でも、とりあえず、自分の心を守る方便を開発した?
あくまでもフィクションです。あくまでも一つの暫定的な方法論のつぶやきです。
人がなくなれば悲しいはずだ
フミコは心優しく常識的な人だ
身近な人がなくなったとき
フミコにとって身近な健在な家族
例えば子供なんかも悲しいはずだと
フミコは信じて疑わない
悲しいなら
態度で示そうよ?
そら、みんなで泣いたりわめいたりしよう?
うーん
フミコの子供は考え込んだ
悲しい・・・ねえ・・・?
身近な人の突然の他界は
いきなりすぎて
悲しいとか
実感がわかないものなんだなあと
常識にとらわれたくない性格の表れか
ぼんやり自分の心を眺めていた
フミコの家へ向かう電車の中で
フミコの子供は考えた
子供っていうけど
とっくの昔に成人している
とっくに独立して
しかし
親しく行き来したり
いろんなことを
親であるフミコに助けてもらいまくりつつも
フミコの
こうであるはず
という
思い込みを前提とした
砂上の楼閣の上に
砂上の楼閣を積み
さらに砂上の楼閣を建てまくるような
超絶技巧を駆使した三段論法には
日頃心の中で
賛同しかねていた
しかしまあ、フミコの三段論法どおり、そういう場合も多いし
そういうものだと
世間は一応の暗黙の了解をして
人のことは深入りせずに通り過ぎていく
そう
便宜的解釈の一種であるから
当たらずといえども遠からじってところかな
身近な人がなくなれば
悲しいはずだ
悲しいのだから
悲しい人と一緒に
落ち込んだり
泣いたり
怒ったり
しかし
一番悲しいのは
フミコのはずだから
フミコのために
自動的に
いろいろ気働きをして
上手に
一緒に泣き崩れたり
上手に
身の回りの世話を過不足なくしたり
するはずだ
魔法のように
魔法でも使わなければ
実現困難な世界を
フミコは当然の世界
こうあるべき世界だと
信じ込んで生きている
フミコはそういう自分に都合のいい世界観を信じているのかもしれない
かもしれない・・・とはこれいかに
つまり、この心の中の独り言も
とどのつまりは
フミコの子供の
かってな決めつけと妄想なのだ
被害妄想ともいえよう
しかし
この取り越し苦労を
フミコに確認するのは
ちょっと藪蛇でおそろしい
だから
フミコに
この
身近な人が他界して悲しければフミコの子供はフミコの思い通りに過不足なく気づかいをするはずという
…砂上の楼閣的(しかし、フミコにとっては自明すぎて証明する必要もないほど確固たる)
…三段論法
を、期待しているのですか・・・?
なんて、といただすことができるであろうか・・・?
今まさに
身近な人の他界で
平衡感覚を失っている可能性が高い
あるいは
平衡感覚を失って
とりみだしている
かわいそうな人物を演じる可能性の高い
フミコ
という人
に
そんな
あたりまえかもしれないこと
フミコのシナリオからすると
自明すぎて
愚問すぎることを
あえて
このタイミングで
質問したり
確認したりなんて
フミコの子供には
そんな勇気も
よけいなお世話も
する気は起こらないのであった
フミコさんは
この異常事態に
なにがしかのショックを受けている
ショックを受けて動揺する権利がある
しかし、同時に
フミコさんの子供も
身近な人の突然の他界に
なにがしかのショックを受けて
自分の心を整理するのに時間がかかったって
それも
仕方のない成り行きではないのかな?
フミコさんの子供は
フミコさんの家が近づくにしたがって
フミコさんの気に入るような
悲しみ?の演技が
ものすごく自然な演技が
できないかもしれない
ふがいない自分が
フミコさんの怒りに触れないかと
そんなことを気にしている
結局
この世界は
生きている人間の都合で大半を占められているわけだ
フミコさんの子供は
生きている健在なフミコさんの子供は
またぞろ
不安定化したフミコさんの
怒りの起爆スイッチとかのうえに
うっかりけつまずいて転んで
ドッカーンとやらかす
あほーな役目が
自分に回ってきそうで
損な役回りを
なぜかしら担うことの多かった
自分の子供時代を思って
いやな気持になっていた
悲しみよりも
自分が今度こそ損な役回りを演じずに済むだろうかと
ある種の保身のような
不安にさいなまれていた
フミコさんは
いい人である
いい人であろうと努力する人である
いい人であるという評判を汚したくない人である
自分から
わがままなことを言ったりしたりすることは
苦手である
たいがい
手近の
どんくさいやつのヘマのせいで
仕方なしに
なにがしかの
派手なことをやるのである
例えば怒るとか
泣きわめくとか
叱るとか
フミコさんがわがままだから
怒ったり
泣きわめいたりするのではないのである
手近の
このどんくさいやつのせいで
仕方なしに
義憤に駆られて
正義のために
あるいは自分の被害者的立場を周知するために
泣いたり怒ったりするのである
その手の込んだ
シナリオ
手の込んでいるようでいて
ベリー(Very)・スゴーク(Sugoku)・ワン(One)・パターン(Pattern)な行程
それに気づくのに
フミコさんの子供は
何十年もかかった
とうに
子供というには
いいとしすぎるころになって
やっとのことで
自分は
フミコさんの
手ごろな
スケープゴートだったと気づいた
・・・・・
誤解のないように
フミコさんは本当にいい人である
フミコさんの子育ては
99.9999・・・%完璧であり
愛情と善意に基づいているし
べつに
価値観を押し付けたり
勉強ばっかりさせたり
手伝いばっかりさせたりとは
全く別物の
結構リベラルな
必要最小限のしつけはするが
発言の自由はものすごくおおらかで
自主性を重んじ
なんというか
芸術にも興味があり
子供に芸術の習い事もさせてくれる
視野の広さもある人だ
本当にいい人なのだ
愛情深い人なのだ
ただ、ほんのひとかけら
時々彼女は
理想を演じられなくなるのだ
人間だから当たり前だ
ほんとうはゲスイこころもあるし
勝った負けたが大好きで
弱いやつを見ると
突っ込みをかけて
貶めて
落ち込ませて
しかし、フミコとしては冗談とか
気の利いた洒落を言ったと
本気で思っているところがある
問題はそのあとだ、
彼女は
それを親の権威とか
しつけとか
子供にとって有益な行為だと
すり替えて
表層意識的に誤認して納得しているのだ
ゲスイ行動はゲスイ
99.9999・・・%聖女のごときフミコさんであっても
ゲスイときにはゲスイ
弱いものに辛辣なことを言って
人格否定的な圧をかけてしまうことも
人間だから誰しもありうること
問題はそのあとだ
反発されたときに
フミコは自分が相手のためになる
「あなたのためをおもって」
言ったりしたりしたことだから
反発されることなんて
あってはならないことなのである
理解できないし
フミコが子供だった時には
何も思っていなくても
親に
反抗的な目をしたと
勘違いされただけで
余計に叱られたものだった
フミコはまだまだ
温情的なんだから
フミコの子供から反発されるような
そんな独善的だった親みたいな
フミコ自身の頑固な親みたいな
厳しすぎる頭の固い親のような
そんな反発のされ方をするはずがない
という
憤り方をするのである
かくして
フミコさんの
残念な独善は
修正されがたくなる
99.9999・・・%
本当に愛情深くて善意で素晴らしいのにね
あるある・・・
どこにでもあるあるの
善意の行き違い
軌道修正できない
なぜなら
親は間違ってはいけない
と
フミコさんは信じているから
ついでに
自分が間違ったことを
子供に対して認めることに慣れていないから
本当にそれだけのことなんだ
多分
慣れていない
子供とか
自分の目下の立場の人間が
自分のあらを指摘したり
自分の善意を
悪意に受け取って
いいことをしたはずなのに
喜んでもらえないばかりか
反発してくる
そういう時に
ささっと
「すまない」
「おしつけてしまって、ごめん」
と、
かるーく「口先で」
謝ってしまえば
あんがいスムーズに忘れてもらえることに
フミコさんは
気づいていない
知らないだけ
それだけのこと
慣れていないだけのことなんだな
そしてフミコさんの子供
の側にも慣れていないことがある
役に立たない自分を
フミコさんの前に
しれーっと
ずうずうしく
堂々と
さらけ出して
表情を変えずにいること
フミコさんの期待通りの行動をとれなくても
その場をとりなそうと
必死でよいセリフを言ったつもりで
地雷を踏むことをしなくていいんだってこと
なにもしない
ただその場にいる
ただその場に付き合う
一定の時間が来たら帰ると
心の中にスケジュールの線引きをしておく
本当に暴力的になったら
挨拶もせずに
さっさとフミコさんの家からでて
電車に乗って家に帰ればいいだけってこと
本当に
衆人の面前で
フミコさんの子供を
貶める
追い詰める発言をフミコさんや親戚たちがしてきたら
何も言わずに
何も釈明せずに
反撃も
反論もせずに
そおっと立ち上がって
お財布など
貴重品バッグだけさりげなく持って
誰に断ることもなく
いつのまにか
帰ってしまえばいい
上手に
理解されようと
必死になっていた
なんとかして
あの人たちの中で
対等な市民権を持って
あたたかく
仲間として
ほのぼのと
わらいあったり
ときに
悲しい話を
慰めあったり
したかった
子供の時から
ずっと
そして、彼らの期待する
役割を
担おうと
背伸びしてきたことは
自分を磨くことにもなったし
実際
社会に出て
役に立つ能力も
たくさん身についた
しかし、ふとした拍子に
私になにがしかの役割が押し付けられる
その立場の分類名を
この年になって
やっと
見つけた
スケープゴート
とか
サンドバック
とかだ
最初
信じられなかった
自分を生み育て
愛して
大切に育ててくれた
親や親戚たち
99.9999・・・%
たしかに
私にとって
フレンドリーな
有益な
愛にあふれた
人間関係で
それはいまでもそうだし
そうだと
彼らは信じて疑っていない
何だか知らんけど
フミコの子供は
へそを曲げているらしい
ぐらいの認識しかない
正義感の強めの人が
親不孝者め!
と
私のいないところで
文句を言うかもしれないが
皆
それぞれの生活がある
わざわざ時間を割いて
立ち去るフミコの子供を追いかけてまで
説教したり暴力をふるったりする
そんな暇人はレアものだろう
そういう
心の中の予防線を覚えて
フミコの子供は
やっとのことで
フミコさんや
その親戚たちの
好き放題
自分に注文つけてくる言動を
いなさないまでも
右から左にやり過ごす
やり過ごせなかったら
こっそり逃げればいいんだ
みんな忙しいから
そんなこと
いつまでも
文句言ったりしないし
言ったとしても
離れてしまえば
私には聞こえないから大丈夫なんだって
割り切ることを覚えた
そして
やっと
かりそめにしろ
距離の取り方がわかって
心の平安が
対人関係的不安が
解消されて
やや
安心できた
・・・・・
余談でした!
本当に愛情深い親に育てられても、子供はなにがしかのモニョリを抱えるものらしい・・・?目に見える葛藤、目に見えない軋轢。みんな悩んで大きくなった・・・?俺もお前も大物だ?
ちょっとくらめかもしれません。今、現在、筆者が落ち込んでいるわけではありません・・・。ご心配おかけしてすみません<(_ _)>(*^-^*)