1000キロにわたる陽動作戦
齊との交渉が連日行われる頃、楚から西北にはるか1000キロ離れたオルドスの高原では、義渠が秦への戦闘準備を始めていた。
楚と義渠が同盟を組み、秦を両側から挟み撃ちにする。攻められた秦は双方の攻撃に備えなければならないため、戦力は半減する。
この二正面作戦の発想は、後に魏の知謀・范雎により外交理論として確立するが、屈平は范雎が生まれる十数年前からその方法を採用していた。
この戦法の成否は偏に「遠交近攻」――楚と義渠とが固い絆を結べるかに掛かっている。
交渉にあたる屈は、かなり早い段階で義渠へ軍偵を派遣していた。
出発二旬後、軍偵は義渠へ到着した。砂と岩の荒涼たる風景はまさに胡地に相応しい。
面会した義渠の族長は鋭い眼光の正直者だった。しかも人望厚く統率に長けている。軍偵が「鬼秦を挟撃する戦略はいかがか」を持ち出すと、族長の眼は変わり、欣んでその願いを受け入れた。
秦に対する義渠の怨恨は相当なものであった。族長は騎乗に長ける部族から精鋭を選び、秦の諜報にかからぬよう月のない夜を選び、平沙の無人地帯に音もなく結集した。
空気は乾き、ひどく星が美しい。
老練な族長は簡潔に指示する「長城線突破後、各騎兵は秦の止営地のある「平涼」まで一気に突破する。襲撃の先頭には私が立つ。以上だ。」そして、胡馬に一鞭あてて丘を駆け下りた。
族長はかつて秦繆公が築いた防騎柵を倒潰する。そして一路南下し、秦領深く侵攻した。率いる騎馬の数は実に3万。先陣の族長が振り返ると、地平線からは叢雲のごとく馳馬の黄塵が揚がるのが見られた。
義渠は、沙漠に点在する沼沢地の一つ平涼を極秘裏に占領した。
理想的な奇襲だった。夜が明けると死屍2千が転がり、逃れようとした敗兵は一人残らず捕縛した。
いよいよここから戦国時代最大の欺瞞作戦が始まる。
族長は平涼郊外にある狼煙台を占領すると、輜重車で運んできた特別製の狼糞を燃やした。乾燥した狼の糞は燻すと独特の黒い煙を発する。秦軍法では黒煙は「至急」、烽煙の四条は「敵兵10万」を示す。
騎馬隊は東西2隊に別れ、丘陵地の巌蔭に潜伏し偵察観望する。
秦は全て法規定に則る。迎撃に来るであろう秦兵は二倍だ。囮となる平涼は急遽防塁が作られた。構築資材の木は遮蔽維持のため、すべて他の沼地から伐りだした。
それから十日後の未明、地平線を圧して秦軍の大軍が現れた。その数はやはり20万。
敵襲の報を聞き、兵が色めき立つ。
族長「旗色は?」すぐさま千里眼が遠望する。
「旗は・・・・、黒です。」
竿上に象牙を飾った黒旗は牙軍である。秦の精鋭部隊である。守備兵は恐懼した。
「よいか!この戦いは陽動だ。犬死するな。一気に秦軍を北に吸い上げろ。」
落ち着いた族長の声を聞きながら、脇では楚の軍偵が「我レ誘因成功ス」と帛牘に走り書きすると、遥か南方の楚に向けて鴿を高々と放った。
南に連なる山の稜線からは無数の人影が一斉に湧き出した。
そして天地を揺るがす咆吼とともに秦兵は平涼へ殺到した。