屈平と齊 腹を探り合う
屈平は魏・趙・韓・燕・齊へ極密使を派遣した。
数日後、早くも各地で密使の放った返信の鴿が届く。
朝9時 韓鴿到着「秦屈服させるべし」
朝10時 魏鴿到着「仇秦討つべし」
朝11時 趙鴿到着「合従同意す」
しかし正午到着予定の齊の返信が来ない。
昼1時 「可」と書かれた燕牘が到着した時、屈は安堵よりも不安がよぎった。
齊は肥えた土地が豊かな国富をもたらす強国である。ただ秦から最も離れているという関係から、独自路線を歩んでいる。
屈は齊の返信を待たず、齊への譲歩案を作成し参戦を促す密牘を記して鴿を放つ。
しかし齊は譲歩案に応じる態度を示すかと思えば難色を示す。
業を煮やした屈は、密偵に間諜を命じる。翌日返信が届いた。
その齊牘にはこう記されていた。
――齊拒盟主而齊請為楚之
齊は盟主にはならない楚が担うべきであるという。しかも肝心の同盟軍へ参戦するか否かは一切触れていないではないか。
鋭い洞察力を持つ屈は直感した。「齊は参戦しない」と。
そして屈は更にこう確信した。「齊と秦は必ずや密約を結んでいる」と。
ここで屈は、国家間の最前線で繰り広げられる権謀の奥底を掴み得た心地になった。
屈は満足した。そして恐れた。
齊の不参戦を今、私が口にすると楚廷はパニックになる。
ここは、まず苟且の口約束であっても齊の提案を表向き受け入れ、楚は齊に騙されたフリをしよう。
そして屈はこう呟いた「齊に振り回されるのは今日までだ!」
屈は楚廷に戻り、王族名族の面前で「盟主は楚が担うべきである」という齊の提案を説明した。
楚廷では切迫した声に満ちる。
「直接国境を接している楚の危機感を齊は知らぬのか。」
「楚が矢面に立てというか!」
気色ばんだ臣下は口ひげをふるわせた。
屈は、しばらく両肘を机について頭を支えていた。
同盟軍の参加予定の兵数は、それぞれの国力から算出済みである。
秦の総兵力は多くても30万だ。
同盟軍は楚5万・魏8万・趙8万・韓8万・燕4万・齊10万で合計43万。
そして陽動部隊となる義渠は恐らく1万か2万。
齊の不参戦は誤算に違いない。が、想定の範囲だ。戦意のない齊兵は全体の士気に影響する。督戦も必要になるだろう。
しかも我々は任意の攻撃点を選ぶことができる。効果を高める挟撃も採用した。また秦軍が苦手とする奇襲・強襲を韓軍は心得ている。腹案はとうにでき上がっていた。そして何より作戦計画も図上演習を繰り返し、周到に検討済みである。
従って――齊なしでも勝算はある。
心の中でそう確信した屈は、ようやく髪をかき上げて、一世一代の演技で答えた。
「これは、楚が本気か否か。齊は見ているのだ。」
屈は反論を遮ると、楚が同盟軍の盟主になることを承諾すると齊に伝えた。
齊は楚への謀略成功をほくそ笑んだに違いない。
一方屈も更に大きくほくそ笑んだ。
齊と秦は必ずや密約している。曖昧な齊の態度は時間稼ぎだ。秦が迎撃態勢を準備するまでの時間の引き延ばしに違いない。
「こんな時間稼ぎが必要なほど、秦は弱っている。」
こうなれば事態は一刻を争う。各国は軍旅の輜重を整えさせ、出発を急いだ。