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戦略構想



 屈が宰相に就任した時、秦が領土を拡大していた。楚と同じ夷狄の国であった秦の変革ぶりは誰もが刮目した。

 国内人材をエリート教育した楚とは異なり、秦はまず官吏の世襲を廃止した。そして他国の有能人物を積極的にスカウトした。

 そして中原出身の政治家・商鞅を登用とすると、画期的な行政改革を断行、烏合の愚連隊を強力な中央集権国家へ変えることに成功した。

 その後、秦はなんと隣接する晋へ戦戈を向けた。晋は中原最大の強国だ。その軍は精強無比の誉れ高い。誰の目にも無謀な挑戦に思われた。

 強さの理由は「騎射」にあった。当時伝統的な戦術は戈による馬戦車である。それに対して晋軍は戦士が直接1頭の馬に跨がって弓を放った。これは三人乗りの戦車に比べて機動性と攻撃性が格段に優れていたからだ。

 しかし秦軍は敏腕の軍師を配備する一方、単騎に複数の伏兵で邀撃する戦法で対抗する。不利な戦術を巧みな作戦で補うと、次第に秦は主導権を握った。一方、窮地に陥った晋は内紛を起こし三国(魏・趙・韓)に分裂した。最大国の瓦解は、中原の勢力均衡図の崩壊を意味した。

 秦の拡大をいち早く察知していたのは楚である。

 秦は楚の西北、楚は秦と長く国境を接する隣国同士である。秦の矛先は次に楚を狙うのではないか。屈平は胸騒ぎを覚えた。

 屈は、秦への密偵派遣を命じる。

 屈は苦い経験から情報の重要性を痛感していた。広い中国では情報伝達に時間が掛かる。そのため中原から遠い楚は不利となる。それゆえ楚は諜報組織を発達させ、各国に密偵を多数配置していた。

 中でも威力を発揮したのが、楚独特の通信手段である鴿こうによる伝達システムである。鴿は飛翔と帰巣本能に優れ、数百キロ以上離れた地点からも巣に戻ることができる。密偵はそれぞれ鴿を携え各地に潜伏し、赴任地で脚に帛牘はくとくを巻き付けて放鳥する。鴿は昼間に1000キロ移動する。そのため早朝放鳥すれば当日のうちに楚廷の鳩舎に戻ることができる。楚人は粗野であったが、鳥獣の飼育には最も長けていた。

 そんなある日、飼鳩使から情報が入った。魏からの伝書である。秦に敵対する勢力である魏・趙・韓・燕・楚・齊の六国が同盟を結び、一致団結して秦を討とうというものであった。

 楚宮の武台殿に召見された王族・族長・臣下は、意見を戦わせた。


 「秦は中原を攻めるに違いない。」

 「しかし、中原の列強が結集すれば秦とて安心できぬ。」

 「となると秦はまず、楚を攻める方が与しやすいのではないか。」

 「仮に楚を攻めるとしたら秦はいつ侵攻してくるか?」

 「楚は雪が降らない。季節を問わずいつでも攻められる。」

 「それでは、いつ戦えばよいのか。」鯨王が尋ねると、屈平は立ち上がり、毅然と応えた。

 「いま!戦機はあとには来ませぬ。」


 慄然とした冷気に包まれた廷内から、聞き慣れぬ高い声が生まれた。

 「秦とグルになって楚を滅ぼそうとしている。平は。」

 鯨王の次男・子蘭しらんだ。放縦游侠の彼は、屈平と同年生まれである。

 屈と子蘭との間で、問答が始まる。

 子蘭「火徳である楚廷は红壤こうじょうで造られたのを忘れたか。それにも拘わらず今、鳩は楚廷の上空で今も厄災を撒き続けている。」

 そして屈平を指さし、昂然こうぜんと言い放つ。「鳩の糞は白色だ。これは楚の火徳を消す企みではないか。」

 子蘭に構っているヒマはない。

 「鳩糞は耕土に撒けば五穀豊穣、社会繁栄を約束する吉祥。鳩はともかく平の鴿糞は黒白で陰陽和合を示すが。」

 楚廷に失笑が漏れた。

 屈は子蘭にまず落ち着けと諭す。そして喫緊の問題は秦の脅威だと諭した上でこう告げた。

 「楚軍は20万にすぎない。しかし六国が同盟すれば、兵力は60万を優に超える。しかも秦は晋との戦いで兵力は30万に減少した。お前ならいつ秦を攻める?」

 言いよどむ子蘭に屈は付け加えた。「60万の財布と30万の財布、盗むならどちらが得だ?」

 楚廷は嘲笑で溢れる。

 「一日の待機は、より多くの血を流す結果を生むぞ。」屈はこう言い残して自室に籠もった。

 子蘭は公の場で面子を潰された。

 彼の心に、嫉妬の種子が植え付けられたのはこの時である。


 屈は日夜作戦の想を練った。

 想を練り始めると屈は食事も時間も忘れる。

 没頭する屈の背後には孫臏そんぴん・呉起子・尉繚子うつりょうし虎韜ことうなどの兵書が積み上げられ、机上に敵情報告の機密書類が溢れる。

 ひたすら伽羅を焚き、部屋の空気は強烈な異臭を発する。


 彼が克服すべき課題は二つあった。

 寡兵をもって多兵に勝利しなければならないこと。

 そして函谷関かんこくかんという複雑な地形でどう戦うかだ。

 

 ――同盟が秦を滅ぼした後、六国は覇権を争うだろう。そのため各国は全兵力を提供することはない。

 恐らく同盟軍が派遣できるのはせいぜい30万。一方秦軍40万は死にものぐるいで防戦するに違いない。

 寄せ集めの30万と、決死の40万。我々に勝ち目はない。

 しかも問題は、中原から秦へ攻め込むルートだ。崤函こうかん街道という一本の道しかない。

 ルートには函谷関という狭窄部がある。秦はこの一点に兵力を集中させるだろう。自分が敵将だとしても答えは同じだ。地形的にも地勢的にも函谷関は攻めにくく秦には守りやすい。

 彼らは息をひそめてしばらく黙然した。どこからか楚笳の音が聞こえる。

 かなり久しくたってから、ふと着想が浮かんできた。

 ――攻撃する数日間だけでも、函谷関から秦軍を除けないか。

 彼は情報官から入手した『秦兵必携』を繙く。徒兵行軍は一日24キロ、戦車利用で40キロとある。屈は算盤に算木を組み乗算を始める。

 戦いは何が起きるが分からん。不測の事態に備えると14日間はほしい。戦車を函谷関からカラにするには総行程560キロ、つまり函谷関から280キロ離れた地点まで誘い出す必要がある。

 屈は軍機房から秦の地形図を取り寄せた。函谷関を起点に両脚規コンパスを用いて半径280キロの弧を描く。すると秦の国境より北にある「河套かとう」という地名に突き当たった。

 河套は内モンゴル南部にあるオルドス地方を意味する。オルドは突厥語で現在は義渠ぎきょという遊牧民が支配していた。

 屈は軍機房に義渠を調べさせる。ほどなく調査報告書が届いた。

 ――義渠は秦の宿敵なり。

 騎馬は機動性が高く強襲に長ける。義渠を陽動部隊として南下させ、秦に攻め込むよう依頼する。そして秦軍が義渠により北へ誘い出されているスキに、同盟軍が函谷関へ殺到する・・・。

 遂に屈平は動いた。


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