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いなかっぺ 恥を知る

 


 楚の秘密兵器――屈平を留学させた判断は、正しかった。

 この時期、国政に関する議論は、朝廷や官府以外で行われていたからだ。

 つまりこう言うことである。

 中原の国々は、それぞれ各国から集まる国政のブレーン(論客)を雇っていた。彼等にはそれぞれ邸宅が与えられ、給料が支払われ国政の研究にあたらせた。

 これら論客は連日討論を行い、様々な論客と議論を戦わせた。そして傍聴する役人は、議論の中で出てきたグッドアイデアを見つけると、それを国政に採用していた。


 本日の論題が発せられた。議長が題目を発表する。

 「死生は、これいかん。」

 屈平は勇躍した。「慎みて申す。死は人の閉なり。生は人の盛なり。」

 十五の若輩、トクトクと死を論じた。堂内から音が消え、ざわつきがもれる。

 どこからか典拠を尋ねる声が聞こえる。

 「典拠は『伊尹説』なり。死すれば必ず土に帰し、此を鬼と謂うと。」若い声が響いたが、堂内に失笑が漏れた。

 屈は「伊尹は、古代夏商の聖人にして・・」と付け加えようとすると、説明を遮るように発せられた声に耳を疑った「『伊尹説』は偽書である。」と。

 稚気あふれる童顔は紅潮する。

 議長は屈に諭した「『伊尹説』は偽書なり。浅学非、信ずるあたわず」


 誰かが小声でこう語った「死生は命なるを知らんや?」薄笑の論客である。

 屈は分からなかった。この論客は屈に代り、こう続けた「少学曰く、死生と富貴は天命なりと」論客は静まった。『論語』顔淵篇の一句である。

 屈は『論語』を知らなかった。

 遠くで論客が呼応した「然り。死生は命なり。夜旦常あるは天なり。これ皆物の情ならんや」一同は肯いた。『荘子』内篇にある一節である。

 屈は『荘子』を知らなかった。


 一通り議論が終わった後、議長は屈に問うた。

 「汝は何者か」

 屈は応えた。「我は楚だ」

 議長は「そうか。初(初心者)か。ならば仕方ない」と応えた。

 中原では「楚」と「初」の発音は同じである。単純な聞き違えだ。

 しかし、全くの悪意がなかったことで、屈はかえって強い辱めを感じた。

 屈はかぶりを振った「初ではない、楚だ!」

 「楚?」議長は首をかしげる。

 「伍子胥ごししょを知らぬか? 伍子胥の楚だ!」

 「そうか。伍子胥の楚か。あの死屍に鞭打った男の。」

 堂内がドッと笑った。

 屈は、有名な楚人として伍子胥をあげた。

 それは的を射ている。確かに伍子胥は楚人であり、典型的な激情家である。

 自らの復讐のために死んだ王の墓をあばき、しかばねを鞭打った人物である。

 当時の中原では伍子胥は「変人」を意味する。屈はそれを知らなかった。

 屈の握った拳に怒りの爪が突き刺さった。


         *


 それから十年後、屈は自らを極限まで鍛え上げた。

 彼は百花斉放の学派に精通し、揺るぎない自信を獲得した。

 日々の研鑽で磨いた彼の弁論術は神の領域に達し、説得力のある言い回しや華麗な装飾を施した表現は論敵をも魅了する。

 そのハッキリした口調、他の者を寄せ付けない確信に充ちた態度は、威風辺りを払うに至った。

 ああ大邦なる楚よ、我はなんじを神州楽土たらしめん。

 彼は帰国を決意し、遥か南方の楚廷へ凱旋した。鯨王は彼の顔付を一見して感嘆した。これでこそ天下の国士だ。

 太い眉、濁りのない眼光、そして強く真一文字に結ばれた口元。その風格は古武士や益荒男を彷彿とさせた。

 逸材が少なかった楚では、さっそく彼を令尹(宰相)に抜擢した。

 慧眼の士となった屈は楚の政界を仕切り、列強との交渉を一手に引き受けた。

 人々は狂喜した。期待のエース、いよいよ登板である。


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