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楚の劣等感

 負けたらアカン 中原に


 なぜ楚人は屈平の育成に熱心なのか。中原と楚の地域格差からである。

 中原は高燥な黄土平野が広がり、オオムギコムギが広く普及した。中央アジア発祥のこの穀類は蒔けば力強く自生し、安定的に大きな収穫を約束した。収穫は地域社会を潤す。地域文化を萌芽する。こうして中原は高度な文明社会が育まれ、新しい文化が芽吹いていた。

 一方、楚の土地は卑湿である。中原で育つオオムギコムギは根腐れして成育しない。そのためヒエアワで飢えを凌いだが、狩猟しなければ生きて行けなかった。気候は暑湿。『風の谷のナウシカ』に出てくる瘴気しょうきも楚特有の毒気に由来する。「熱毒」という風土病が多く、各地で呪術や鳥獣信仰が残る。高床式住居も多く、野生の菱、棗、団栗などの採取生活をおくる部族さえ珍しくない。

 そのため中原は楚を忌み嫌った。

 楚の鯨王の姓は「ゆう」という。歴代の王は熊皮製の黒冠に黥面、しかも鬚ぼうぼうとした山男である。眉をひそめた中原が、楚王に「熊」という称号を与えたのも無理はない。

 無学の王は文字を知らない。楚は周王室神授の雅名として「熊」を大切にした。

 弁護しておくが、楚も独自の古代文化を持っていた。しかしそれは花ひらくことがなかった。なぜか。それは文字が発明されなかったからである。文字がないと知識の蓄積が行われない。知識の蓄積の差は中原文化との決定的な差となった。

 鯨王は思った。文字だ。文字だ。我々は文字を覚えなければならない。

 そのため楚は、屈平のために中原から大量の竹簡・木簡を購入した。買い付けを命じられた使者も文字が読めない。そのため集められた書籍は、なかなかニギヤカなものになった。

 『春秋』『尚書』などアタリもあった。が、『青史子』などのニセモノ、『鬻子説』などのオオゲサモノ、『務成子』などのマガイモノ、そして『想艷指南』などのエロモノも混ざっていた。

 屈平は、中原から運ばれてきた典籍を悉く繙き、一心に諳んじる。

 かくして熾烈な英才教育を修了した。屈の博学ぶりは既に楚で右に出るものがいなかった。

 鯨王は考えた。屈の奮励は嘉賞に値する。だが得た知識でどのように楚の未来を担うかは、最新の学問と国政を学ぶ必要がある。

 鯨王は哀れな少童の鹿島立ちを不安と期待を込めて見送った。

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