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「  」の最期

 「  」の最期


 「  」は、楚の流刑地であった辺境の地・黔中に配流された。

 早朝、舟は湘水まで遡ると、彼一人だけ岸辺に下ろした。

 木偶のごとき頭部には多数の黥(犯罪者を示す黥)が施され、その表情は喜怒哀楽を失っていた。

 白髯の混じる蓬頭に肉落ち骨秀いでた頬、肉刑ではなそぎに遭い、左右の耳垂たぶもなかった。

 背中には笞刑むちうち、両腕には杖刑つえうちの跡が無数に残り、左足は太ももから下が義足になっている。

 (これは子蘭の私刑行為ではなく『周禮』で規定されている五刑であり、当時の処罰規定に則られた行為である。)

 杖を頼りにヨボヨボと歩く姿は、枯れ木か骸骨が歩いているように見えた。


 河岸にいた年老いた漁夫が彼を見つけた。国士では、と尋ねた。

 ものうげな「  」は、直ぐには応えなかった。ただ、時を置き、穏やかに笑みを含む漁夫の人柄に心を許した。

 「私は、楚という運命の下に生まれ国士に任じられた。時勢に抗い、楚を救うべくこの身を捧げた。」

 深い複雑な事情を察した漁夫は「  」の問わず語りに耳を傾けた。

 人間は嫉妬し、狂い、殺し、記憶からも滅する対象がなくては生きて行けないのだろうか。

 「  」が怨敵の崩御まで語り終わった頃には、数刻の時が経過していた。

 頼りない残月は西山の麓に沈み、河面を渡る風は夕刻の到来を告げる。

 焚き火のはぜる音を聞きながら、漁夫は「  」の数奇な運命に涙を流しこう諭した。

 「今の世の中は濁っております。その流れは止められぬ。その中で我が身を一顧だにせず国難に立ち向かった。事をなし遂げられなくともそれは立派な勇士と言えましょう。」

 「  」は静かに首を振って立ち上がった「勇士は死を懼れず。国士は我身を省みず」というと、黙々と彼は懐に石を詰めこんだ。

 漁夫はハッとした。彼は死ぬ気だ「ああ夫子!」

 「  」は振り返った。

 命を粗末にしてはいけない。漁夫は懇願するように叫んだ「死生は、命なり!」

 「  」は、遠い少年時代、中原講堂での修業を思い出した。

 「死生は、命なり・・・」

 楚の事を思うと激しい憤りと憂いが彼の胸中で激しく渦うずを巻き、やがて心は灼けるように熱くなった。

 しかしもう涙は出ない。あまりに強い怒りは涙を涸渇させてしまうのであろう。

 「我は濁世の楚に殉ぜん」

 彼は漁夫の制止を振り切って歩みを進めた。

 湘水の滝壺の上に辿り着くと、彼は何か考えあぐねているようだったが、無言のまま楚へと続く濁流の中に身を投じた。

 その後、程なくして楚は秦に滅ぼされた。


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