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秦軍 四川を攻略す

 

 鯨王の崩御から一週間後、秦軍20万が早くも咸陽を出撃したという情報が入った。

 子蘭は秦軍が向かう方角はどちらかと探らせ、神経をとがらせた。数日後に届いた密偵の返答が届く。

 「南方に向かうものの如し」

 満座口を開く者はない。楚廷は蒼白になった。


 秦楚の間には天然の要害が二つある。一つは秦嶺山脈であり、の山々が屏風にのように立ちはだかる。

 二つ目は長江の最大の支流・漢水である。

 これは天然の堀の役割をしている。大部隊の移動には不向きである。しかし秦軍は半月をかけて秦嶺山脈の峠を越え、漢水上流で停止した。


 当時の戦術では敵よりも高い標高から交戦することが鉄則である。

 そのため漢水上流から楚都へ向かうルートを辿られると、秦軍は交戦時に常に位置的優位を保つことが出来る。

 子蘭は、邀撃の楚軍3万を攻撃が予想される老河口へ配備し臨戦態勢を命じた。

 ところがここから秦軍は不可解な行動をとる。


 密偵の情報によると、停止していた秦軍は予想に反して吐蕃チベットの山岳地帯に消えていったという。

 そして1ヶ月後に所在不明となっていた秦軍は、楚の最西端都市・漢中に来襲、漢中守備隊は全滅した。

 漢中は南北交通の要衝ではあることは確かだ。しかし、漢中から楚に進撃するのは地形的に不利である。

 迂回してわざわざ楚の先端を攻略するよりも、漢水から一直線で楚都に攻め入る方が得策だろう。

 しかも秦軍の本隊は依然としてチベットに潜伏している。何を考えているのか。子蘭には分からなかった。


 すると支隊は漢中を出発、来た道を辿って、漢水上流に逆戻りすると、楚国内へ一直線に進んできた。

 子蘭は楚都に戒厳令を発出している中、秦軍本隊がチベットより四川へ侵攻したという情報を得た。


 四川は未開の地で、四方を急峻な山岳地に囲まれているため流刑の地とされていた。

 断片的な情報では、秦軍は四川盆地に展開し各地で交戦状態にあるという。

 精強な秦軍と応急で寄せ集めた蛮族との戦いの勝敗は明らかだった。

 程なく秦は蜀を屈服させると、秦軍はさらに南進する。

 そして雲南に届こうとした時、本隊は東に変針、四川盆地に散開していた部隊どもども長江上流のまで攻略し、秦はまんまと四川全域を占領した。

 楚が秦の速攻に目を奪われている間に、楚国に来襲すると思われた支隊4万は北方に消えていった。

 子蘭が動向を注視していた軍勢は囮だった。完全に秦に出し抜かれ、むざむざ四川全域を失った。


 四川盆地は温暖で肥沃な土壌は米作に向いている。

 しかも水害も旱魃もすくない。そのため現在でも中国有数の農業地帯である。

 秦の蜀巴占領は、広大な四川盆地を開発することで国力を増強する目的であった。

 またそれと同時に秦は長江の上流域を掌握することで、漢水のほかに長江を使った進撃が行えるようになり、楚に対して圧倒的に有利な立場に立った。

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