将棋が指せなくなった
結局のところ才能がすべてだと思う。生まれもってそこそこ性能のいい脳みそを持って生まれた奴が成功していく。凡人が一生かかっても到達することのできない高みへと至っていく。
こればっかりは何事にも当てはまってしまうことだ。あまりにも無常で残酷なことだと思う。
いま自分が直面していることも、もっぱらそんなところの問題だ。
将棋、将棋を指してきたことしか記憶にないほどこの一年、将棋に没頭して明け暮れてきた。毎日詰将棋を解いた。詰将棋ハンドブックの3手や5手の赤青緑をどれか一冊、時間を計って解いた。棋譜ならべだって毎日一局は符号を見なくても並べられるまでおなじ将棋を何度も並べた。ネット指しの15分60秒で読みの力を鍛えるために指した。そのあとは自分の指した将棋を盤と駒を使ってならべた。勝った対局だけだ。負けた対局はヘボい手を指した自分が許せなくなって、そんな汚い指し手を二度と見たくなくて並べていない。必死にやってきた。どうしても美しく、それでいてどこまでも深くて広い思考の世界に自分も到達したかった。
ただもうダメだ。指せる気がしない。手が全く見えなくなった。無理やり指そうとしても脳が、とくに脳の後ろの部分がはげしく自分が将棋を指すことを拒絶する。靄がかかったように盤面のなにもかもが見えなくなってしまう。気が付くと自分でも理解ができないような手を指してしまっている。
訳が分からなかった。だから指した。指した。ひたすらに将棋を指した。結果としてなにも変わらなかった。むしろひどくなった。脳が悲鳴を上げているかのように苦しくなった。
笑いがこみあげてきた。自分の手を持ち上げることができなかった。涙はでなかった。その辺の記憶は曖昧であまり思い出したくもない。
何も思い浮かばなかった。将棋以外になにかすることを思い浮かべようにもなにも思い浮かばなかった。腹が空くと近くのスーパーに行って鶏肉と玉ねぎとジャガイモを買って煮込んで食べた。スマホを開いて動画を見る気分にもならなかったので音楽をひたすらに聞いていた。人の声が耳に入るとたまらなく不快になったのでBGMを延々と聞いていた。なにも無い。空っぽな感情が自分の中を支配していた。
一月ぶりくらいに酒を飲んだ。いつもは料理に使っている日本酒をコップに注いで飲んだ。体が熱くなって脳にふたたび血が廻った気がした。ほんの少しだけ笑いがこぼれた。生きていてよかった、そう思えるほどに救われた気がした。
気が付くとまたスマホを取り上げて将棋を指そうとしていた。アプリ10分切れ負けのボタンを押す。対戦相手を選んでいるそのときに脳がまた悲鳴をあげた。慌ててアプリを閉じた。
指したくなった。将棋を。ただ指そうとすると脳が拒絶する。仕方がないのでYouTubeで将棋動画を見ることにした。元奨のほっしーがライブをやっていたのでそれを眺めていた。
ほんの数秒間で何通りもの先の盤面をみていて、それをこともなさげに話していた。きっと将棋が楽しいのだろう。それが無性に羨ましかった。
しばらくそのライブを眺めていてそのあと寝た。
朝、また将棋を指そうとして脳に拒絶された。
そうしてすることが本当になにもなくなったので今これを書いている。
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