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第3章

 その後、桐島秀一と二階堂京子は恋人同士として蜜月を過ごし……三月の中ごろ、そろそろ役所に婚姻届けを出しにいこうという日の前日のことでした。「話があるの」と京子から連絡があり、秀一は彼女のマンションまで会いに行きました。今では彼の生体情報も登録してありますので、認証がすぐに通ってすんなり部屋の中へ入れます。


「大事な話って何?」


 明日、とうとう婚姻届けを出すという前日のことだったので、(もしかして、やっぱりあなたとは結婚できないわとか、そういう……)と思い、(いや、流石にそれはないだろ)と否定しつつ、秀一としては話を聞き終わらないうちはそわそわと落ち着かない気分だったといえます。


「ずっと、いつ言おういつ言おうとは思ってたんだけど……」


(やっぱりわたし、女の体のほうがいいの)――これが一番確率として高いかもしれないと秀一は予想していたわけですが、そのあと京子の唇から洩れたのは、まったく別の言葉でした。


「あのね、今からわたしがする話は、とても大切なことなの。ちょっとこっちに来てくれる?」


 そう言って京子は、ベッドルームのほうへ秀一のことを連れだしました。(早速の夜のお誘い……)というわけではなさそうだというのは、もちろん秀一にもわかっていました。


「あなた、前……わたしに聞いたことがあったでしょ?なんでメイドロボット一台置いてないんだって」


「ああ。そしたら京子は、『わたし、ロボットとかアンドロイドって嫌いなの』って言ってたよな」


 京子はこくりと頷くと、天井一面にミルキーウェイのホログラフィを映しだしたあとで、続けてこう言いました。


「寝室って、一番プライヴェートな場所じゃない?だからわたしも、盗撮とか盗聴については、幾重にもフィルターを張って注意してるのよ。ねえ、あなた知ってる?市販されてるロボットかアンドロイドは、個体識別管理コードがついてるでしょ?そして個体識別管理コードがついてるロボットやアンドロイドっていうのは……政府の側で必要があれば、彼らを使っていくらでも盗撮や盗聴が可能なのよ」


「なんだって!?」


 秀一は驚きましたが、そのあとすぐ、腑に落ちるところがありました。京子は警察機関の人間なのです。そうしたことを知っていてもまったく不思議はありません。


「多少お金はかかるけど、自分の家にアンドロイドを置きたいなら、自分で造るか信頼できる業者にオーダーメイドで頼むか……もちろん、その場合だって危険はゼロとは言えないわ。わたしのいる特務捜査本部のようなところは、留守を狙ってターゲットの家に忍びこみ、執事ロボットやメイドロボットを短時間で改造することが出来る。それがわたしがアンドロイドを家に置かない理由よ」


「そっか。なるほどな……だけど、なんで今それを俺に?まさか、結婚したあとはアンドロイドを互いの家に置かないことっていうのが結婚するのに必要な条件のひとつとか、そんな話でもないんだろ?」


「ええ……」


 京子はベッドサイドに腰かけたまま、少しの間俯いていました。秀一がすぐ隣に座ると、ギシリ、とベッドがしなります。


「これは秀一と同じような<一般市民>には一切隠されていることなんだけど……政府機関のほとんどはマザー・コンピューター<サクラ>の支配下にあるといっていいと思うの。参議院、衆議院含めた国会議事堂も、外務省、文部科学省、農林水産省、国土交通省、総務省……まあ、警察、自衛隊、司法機関を含めた日本の主要な機関は<サクラ>の端末であるアンドロイドがその業務のすべてを監視し、<彼女>はそれが日本という国にとって一番いいことだと思ってそうしてるってわけ」


「まあ、そういう陰謀論的なことは、昔からネット上にいくらでも存在していたよ。でも、日本国民である約一億人の人っていうのは、俺を含めてそれなりに楽しく幸せに暮らせてるってわけで……そんな、昔の映画のマトリックスじゃあるまいし、俺にそんな話してどうすんだよ。第一、そういうことっていうのは仮に配偶者に対してでもバラしたりしたら駄目なんじゃねえのか?」


「そうね。マトリックス……確かに、わたしが今これから秀一に言おうとしてるのは、そういうことなのかもしれない。知らないでいれば、そのまま幸せだったのにっていうような意味合いにおいてね」


 京子はナイトテーブルの上の電子タバコを手に取ると、脳に微量の快楽物質を生じさせるリキッドをセットして吸いこみました。ちなみにこれは違法ではありません。


「わたしは、遺伝的エリートの家系に生まれたから、両親からのプレッシャーっていうのがとにかく半端なかったの。それでまあ、そうした特別なエリートたちだけが通う学校でなるべくいい成績を取るように求められて、最終的に警察官になることになったわけ。あのね、警官っていうのはわたしのなりたかった職業なんかじゃ全然なかった。でも、シンギュラリティコンピューターが、わたしに向いてる職業は「警察官である」と決めたから……今はこの仕事に就いてるってわけ。でもわたしは、ずっとそんなのおかしいんじゃないかって思ってた。学校に通ってる頃から逃げだしたくて堪らなかったくらい。でも、思春期の頃ってまだ、自分が正しいのか間違っているのか、俯瞰して見られるほどには思想体系とかそういうものが進んでいないじゃない?教師にそうした質問なんてしても、大抵は判で押したような返事しか返ってこないし、<危険思想>を持つ子供を持った親は、子供が未成年だった場合、刑務所行きになる可能性もあったから……とりあえず、エスカレーター式にわたしは成人して大学卒業後は警察庁に入庁したの」


「そっか。じゃあほんと、俺と京子じゃ生まれも育ちも違うってことだよな。それで、そんなしょうもない一般市民の劣った遺伝子を持つ男と結婚するだなんてってことで、両親が反対してるとか、京子が言いたいのはそういうことなわけか?」


「違うわよ。わたしの実の両親は、ふたりとも死んでもういないの。父も刑事だったんだけど、たぶんそのせいもあって、シンギュラリティコンピューターはわたしに向いてる職業を警察官って導きだしたんでしょうね。それで、母はエリートの子息を育てるための学校の教師だった。それで、ふたりが結婚したのは、これもまたシンギュラリティコンピューターがふたりの相性がいいって判断したからなんだけど……たぶんね、父は何かのことで知ってはいけない事実を知ったか何かして、それで殺されたんだと思うの。もっとも、証拠は何もないし、これからも何か新しい事実がわかるってことはないでしょうね。でもわたし……ある時、特捜部の仕事でこの世にはある組織があるっていうことを知ったの。つまり、そうしたマザーコンピューターを頂点とする社会では、人間は真に自由ではないっていうことよ。それで、こうした世界を変えようっていう地下組織があって……わたしもそのメンバーのひとりなの」


「…………………」


(この女は一体、今度は何を言い出そうっていうんだ?)


 秀一は警戒心を強めました。京子は最初、警察官であることを黙っており、その時は最終的に彼女が秘密を打ち開けてくれたことで――むしろ、互いにより深い愛の芽生えのようなものがあったわけですが、今度ばかりはそうもいきそうにないと、秀一はそう直感していました。


「それで、そんな話を明日婚姻届けを出そうかっていう結婚相手にしてどうするんだ?」


「ただ……黙っておくのはフェアじゃないなってそう思っただけよ。ここまでのことを話したら、重い女だと思って、あなたが離れていくかもしれないと思ったし……」


 どう言ったらいいのか、秀一にはわかりませんでした。ただ、この時京子は泣いていました。ですから、彼はただ恋人の肩を抱いて、自分のほうに引き寄せたというそれだけでした。


「べつに、そんなことは思わないさ。だが確かに京子のしていることは危険なことだ。君がそんな地下組織のメンバーだということがわかったら、夫の俺まで仲間だと思われ、何かあった際には殺されるということになるだろう。それで、君は一体どのくらいまでその危険な深みってやつに嵌まってるんだ?」


『もう、結婚なんていうことはやめだ、やめだ!!』と秀一が怒って去っていくとばかり思っていたのでしょうか。この時、京子は秀一の胸の中で、体を震わせて涙を流していました。温かい涙がワイシャツ越しに触れ……秀一のほうではただ、(どうやら俺のほうでもこの女とは離れられないらしい)と感じるばかりだったと言えます。


「わからない。あなたのために、もうメンバーでいることをやめようかとも思ったの。だけど、父と母が何かの陰謀に巻き込まれて死んだことを思うと……わたしがしてるのはね、ただ、わたしの知りえる情報を地下組織に渡してるっていう、それだけのことなの。それで、前にいた部署でミッションに失敗して左遷されたって言ったでしょ?それもね、地下組織の他のメンバーを助けるために、わざと失敗したことだったのよ。自分があなたとこうして幸せになろうとしてるのに、わたし、偽装結婚しようとしてる人たちの名前をリストにして随分報告したわ。というのもね、また何かこうして少しずつでも地道に功績をあげて、もっと責任のある立場に戻りたいからなの」


「そうか。それで、いつかそうしたことを通して……ご両親が何故死んだのか、そうしたことがわかればと思ってるってことなのか?」


「そうね。それもあるわ……でも、わたしが所属してるその地下組織はね、人類のコンピューターからの解放を究極の目標にしてるのよ。そんなことが果たしていつかなされるものなのかどうか、わたしにもわからない。ただ、もしかしたらいつかそんな日が来るかもしれない、わたしはその歴史の小さな駒、それもゴマ粒ひとつくらいの存在なんじゃないかって、そんなふうには意識してるわ」


 この時秀一は、中学時代や高校時代に見た、ある映画のことを思いだしていました。それは世界各国のマザー・コンピューターが連動し、人類を滅ぼすといった内容の映画でしたが、秀一はこの映画を大して面白いと思いませんでした。というのも、大体のところ似たテーマの映画というのはこれまでの間腐るほど作られていましたので、(特に何か目新しいところのない映画だな)としか思ったことはありませんでした。


 けれど今、確かにそんな日が来るのかもしれないと思いました。それがもし自分の生きている間に起きなかったとしても、今京子の言ったとおり、人間の意志決定がそこまでシンギュラリティコンピューターに侵されているなら……必ずいつか何かの形で反動というのは起きるでしょう。正直、秀一は何も知りませんでした。もちろん、最初から優秀な遺伝子を有した人間がエリートとして育てられるために、特別に分けられるということは知っていましたし、そうした人間しか政府機関に入ることが出来ないこともわかっていました。


 けれども、そのことを今の今まで「おかしい」とか「変だ」とすら考えたこともなかったのです。ただ、毎日の安全と娯楽が保障されてさえいれぱ――難しいことはそうしたエリートと呼ばれる人々に任せておいて、自分は<一般市民>として面白おかしく暮らしていければいいとしか思ったことはなかったのです。


「だけどさ、もし警官になるのが嫌だったら……もっと他のものになったって良かったんじゃないのかい?そりゃ、ただの<一般市民>になったら、こんな豪華なマンションにも住めなくなるけど、そのかわり自分のための自由な時間も得られるようになる。もちろん、京子みたいなエリートは、そもそも俺たちなんかとは考え方が違うのかな。確かに俺も、マザー・コンピューター<サクラ>の価値基準で見たら、人間は彼女にとっては家畜みたいなものなのかなって思ったりもするけど……」


「家畜ね。確かにそうかもしれないわね」


 この時、京子は言おうかどうしようかと迷い、ここまで話してしまったのだからと、すべて話してしまうことにしました。


「あのね……<独身税>だなんて、随分つまらない政策を霞ヶ関も通過させたもんだって、そう秀一さんは思ってるかもしれない。でも、そうじゃないのよ。わたしの父さんと母さんも、不妊治療をしてようやくわたしのことを授かったわけだけど、どんなに科学が発達しても、この分野に関してだけはアンドロイドやコンピューターにもどうすることも出来なかったのね。そして、不妊治療によって生まれた子供たちっていうのは、さらに不妊治療をしてまた子供を作るっていうことが多くて、そうやって何十年も経つうちに……エリート側の人間たちはおしなべてみな、なかなか子孫を作れないという傾向にあることがわかったの。でも、それも最初のうちはある程度まではどうにかなった。つまり、飛行機が行き来する飛行時間が昔に比べて短くなったことで、国際結婚が増えたでしょ?そうやって別の遺伝子が入ることによって、そうした不妊傾向も解消されたのね。そこで、エリート階級の間でも国際結婚によってさらに優秀な子孫たちが生まれた……でも、それもそろそろ頭打ちになって来てるってことなの。エリートの支配階級の間では再び不妊傾向が強くなり、コンピューターのほうであの男の持つ遺伝子とこの女が持つ遺伝子がかけあわさればとか、そうした計算もするわけだけど、それも最終的にはうまくいかないことがわかると――とうとうマザー・コンピューターも自分の間違いを認めざるをえなくなったのよ。エリートをエリートだけの閉ざされた世界で飼育することには限界があり、<一般市民>との遺伝子のかけ合わせが必要なんだって。つまりね、エリート階級の人間がいつでもコンピューターの言うとおりの相手と結婚するとは限らず、一般市民の男性や女性と結婚することがあるでしょう?確率としてね、そうした子供たちのほうが不妊的傾向が少なく、その後もすくすく育つことが除々に実証されてきた結果として……今回の<独身税>という政策があるわけなのよ」


「へえ。そいつは初耳だ。もしかしてそいつも政府の隠された陰謀のひとつってことなのかな?」


 秀一が半ば茶化すようにそう言うと、京子は「あなたったら……」と言って、何故か少しだけ笑っていました。そして、秀一のほうではあらためて、そんな京子のことを不思議に感じたかもしれません。何故なら、自分がもしエリートの側に生まれたとしたら、自分のような<一般市民>の男のことなど、よほど容姿的に格好いいか、一般市民ではあるけれども、能力的に優れている何かでもない限りは――とても相手にする気になどなれなかったでしょう。けれども、京子の中には間違いなく、自分に何か惹かれるところがあるのだと、そのことだけは確信できていたからです。


「じゃあ、本当にいいの?明日、わたしと結婚するっていうことでも……」


「もちろんさ。それに、明日婚姻届けをだして結婚したところで、俺たちの関係に何か変わることなんてあるのかな?確かに、俺は明日以降、突然公安課の連中に踏みこまれてブタ箱行きになる可能性があるかもしれない。けど、そこのところは君のほうでも大丈夫なように十分考えてくれるだろ?」


 秀一が京子の瞳を覗きこんでそう聞くと、彼女は長い睫毛を伏せ、彼の体に身をもたせながら言いました。


「ええ、もちろんよ。それに、地下組織の人たちに情報を渡す時には、もともと物凄く気を遣ってるから、そうした心配はないのよ。ただ、万一ってことがありますものね。それに、もしその万一の事態が起きたとしたら――『自分は<独身税>を回避するために偽装結婚しただけで、地下組織のことなんか何も知らない』って裁判所で証言してくださっていいわ。それだって誤魔化した年数分かそれ以上のお金を国に返すよう言われるかもしれないけど……でも、そのくらいなら執行猶予つきですぐ釈放されると思うもの」


「やれやれ。それだって今まで平和で安穏とした人生を生きてきた俺にしたら、随分物騒な話だぜ。けど、面倒な話はごめんだって思うのと同時に……俺もその地下組織とやらには少しばかり興味がある。監視社会の恐怖ってやつについては、これまでずっと長く映画や小説のテーマとして描かれてきたにも関わらず、俺もあんまり深刻に考えたことはなかった。だけど、そうしたことってのは、おそらくきっといつか誰かがやらなきゃいけないことなんだろうな」


「そうね……これだけがっちりコンピューターによって監視網が張り巡らされてるのに、どうやって人間が本当の自由を取り戻せるのか、わたしにもわからないわ。それに、今のような社会のまま、何も知らないほうが幸せだっていう部分もある。だけど、いつか何かが……臨界点のようなものを越えて変わる瞬間がやって来るんじゃないかってことだけ、予感は出来るのよ」


 この日――もしかしたら彼女のほうでもそうだったかもしれませんが、秀一はそうした気分になれず、京子の部屋で食事とお酒だけ楽しんで、それから自分の家のほうに戻ってきました。とりあえず、京子にはああ言いはしたものの、本当にこのまま彼女と結婚してしまっていいものなのかどうか、迷っていました。


<独身税>が課されるのは来月からで、時間はもうほとんどありません。二階堂京子以外の誰かを見つけて駆け込み婚するにしても、それもまた「相手をよく知らない」うちにする以上、非常に危険なものであるように今の秀一には思われてなりません。それに、自分ではあまり認めたくないものの……秀一は彼女のことを愛しはじめていました。そして、誰か女性にこんな気持ちを感じたのも初めてでしたから、いつもの功利主義によって京子のことを捨てるということがどうしても出来なかったのです。


(そうなんだよな。前までの俺なら、そんな危険な女と関わって、厄介ごとを背負いこむなんざ、絶対ごめんだと思ったことだろう。つまり、それはこういうことだ。結婚して独身税が免除されるのはいい……だが、結婚して五六年ばかりもして、地下組織がどーだのいうこともすっかり忘れた頃に京子が逮捕され、夫の俺も仲間か何かだと思われて刑務所行きになる……で、確かに偽装結婚を主張したりなんだりすれば、罪は軽くなるにしても、その支払わなかった分の税金を返せだのなんだの、面倒なことになるのは間違いない。目先の得よりも、長期的に考えた場合、あんな女とは別れたほうが俺のためになる……だが、そうわかっていて俺にはあの女と別れるということが出来ないんだ)


『ゴ主人サマ、何カ悩ミ事デゴザイマスカ?』


 旧式の執事ロボット、グスタフ・クラークにそう聞かれ、秀一は苦笑しました。彼は今、京子の寝室で見たホログラフィと同じミルキーウェイを見上げながら、惑星脱出のことさえちらと考えましたが、それはあまりに昼メロの見すぎというものだとわかっていましたから(その昔、一時期そうした設定のものが流行っていたことがあるのです。つまり、地球上で許されぬ罪を犯した男女が、地球以上に過酷とわかっている惑星へ逃亡をはかるといった設定のものです)。


「おまえたち旧式のロボットはいいよな。より人間に似せた高度なアンドロイドってことになると、人間さまと同じように色々考えたりするようになるわけだが、おまえらときたら悩みという言葉の意味を脳内辞書で調べるといった、そんな程度だものな」


『確カ二ソウカモ知レマセン。デモ、ソレデアレバコソ、御主人サマは私二悩ミヲオ打チ明ケ二ナッテモヨロシイノデハゴザイマセンカ?ダッテソウデショウ?私ハ命令サレタコト二忠実二聞キ従ウダケノロボットナノデスカラ……デモ、何カ悩ミ事ガアル時、人トイウノハ誰カ二聞イテモラウダケデモ楽二ナルト申シマス。ソレニ、私タチロボットハ、守秘義務トイウモノガアリマスカラ、ソノ悩ミガ外へ洩レタリスルコトモアリマセン。デスカラ、御主人サマノ気ガ楽二ナルノナラ、私二オ話スルダケ、ソノ悩ミ事ヲオ話二ナッテミテハイカガデショウカ?』


「そうだなあ。ありがとう、クラーク。今はそのおまえの気持ちだけ、ありがたく受け取っておくよ」


『サヨウデゴザイマシタカ……』


 ――前までの桐島秀一なら、気楽にぺらぺらとこの執事ロボット相手に色々なことをおしゃべりしていたことでしょう。けれども、秀一の家にいるロボットは、この家の持ち主だったおじいさんがとても大切にしていた旧式ロボットで……つまり、そんな昔に量産され、デパートで買うことの出来た執事ロボットなのです。ですから、二階堂京子の言っていたことが本当であれば、自分の留守中、すぐに政府機関へ彼の見たことや聞いたことがすべてリークされることになるでしょう。


(そうなんだよな。もしかしたら今、この瞬間にも政府機関に俺は見張られてる可能性だってあるんだ。もちろん、俺は今は政府機関にとってなんの意味もないゴミかクズといった程度の一般市民ではあるだろう。だが、俺がもし何かのことで突然政府にとって重要人物ということになったら――家の中のコンピューターを通して蓄積した情報をすべて調べられることになる。やれやれ。出来れば俺はこのまま、政府機関になど目をつけられることのないクズかゴミのままでいたかったんだがな……)


 けれど、秀一はそこまでわかっていても、明日、二階堂京子と会った時『やっぱり、この結婚はやめにしよう』とか『もう少し考えさせてほしい』と自分が言うことはないだろうとわかっていました。


(『二つよいこと、さてないものよ』か。まったくその通りだな。それに、俺には京子に、そんな危険な地下組織とは関わるのをやめろと言うことも出来ない。だって、俺もその彼らの思想には共感するところがある……もちろん、だからといって今の快適な生活を捨てて、これからは自分の額に汗して働けなんぞと言われたら、それはそれで絶対嫌なんだがな)


 秀一はこの日、色々グダグダ考えているのが嫌になり、酒を飲んでそうした面倒なことは一切忘れるようにして寝ました。けれどもこの翌日、彼が目覚めてみると――秀一は全然知らない場所にいて、その上、隣には初めて会う女性が横になって寝ていたのです。


「えっ!?ちょっと待っ……」


 頭のてっぺんにツキィーン!と来る痛みを感じて、秀一はベッドの上に蹲りました。しかも、記憶はないものの、自分は裸で、その上隣で寝ている女性も同じ状態ということは――答えはひとつしかないように思われます。


「やっべっ!!今一体何時だよっ!?俺、京子と十一時に約束……」


 またしても脳天を突き抜けるような痛みを感じて、床に膝をつきながらも、秀一は自分の衣類を集めてどうにか身に着けようとしました。そして、彼が下にジーンズを履き、上に黒のジャケットを着ようとしていると――。


「ねえ、もう帰っちゃうの?」


 秀一はこの時、ベッドに上体を起こした女性をあらためて見て、驚きました。どこかで会ったことがあるのは間違いないのですが、名前や具体的な素性等が一切思いだせません。けれども、彼女のことを<知っている>ということだけは何故か間違いないのです。


「あ、あのっ、俺きのう君とどこで会ったのかなっ。俺、確か自分の家で寝てたはずなんだけど……」


 この時、ベッドにいた女性は、胸を隠しもせずにブラジャーをし、ベッドの下に足を下ろすとTバックのパンティを履いていました。ちなみにどちらも白です。


「店で会った時も、結構出来上がってる感じはしたけど……まさか、覚えてないわけ?」


「…………………」


 本当のことを言うわけにもいかず、秀一は黙りこみました。そして、壁にデジタル表示された時計の時間を見て、飛び上がりそうになったのです。


「えっ、もう三時半かよ!?俺、一体何時間寝たんだよっ。信じられねえっ!悪いけど、俺用事あるから帰るわっ」


「あんた、きのうの夜、色々愚痴ってたわよ。明日、恋人と結婚するんだけど、なんか本当は気が進まないんだ的な……だからわたし、あんたのこと誘ったの。『じゃあ、わたしと寝て確かめてみたら』って。だって、そうでしょ?明日彼女と結婚する、その前の晩に他の女と寝る男……そんな男、サイテーじゃない。でも、それでも相手の女の子と結婚したかったら、あんたのその気持ちは本物なんじゃないのって」


「お、俺、マジでそんなこと言ってたっ!?」


 心当たりがあるだけに、秀一はまたしてもギクッとしました。太腿くらいまで隠れる丈のブラウスを着ると、女性のほうではくすりと笑っています。秀一のうろたえぶりが、あまりにおかしかったのでしょう。


「コーヒーくらい、飲んでいったら?どうせもう、彼女との約束の時間には遅れてるんでしょ?」


 この時、秀一は初めてどっと肩から力が抜けていくのを感じました。変な話、一度冷静になってみると、自分が心のどこかでほっとしていることに気づいたのです。


「あんた、ベーグルなんて好き?」


「あ、ああ……」


 部屋のほうはリビングダイニングの他に寝室がひとつあるといったタイプの2LDKでした。そのリビングとダイニングの境目にカウンターがあって対面キッチンになっているのですが、秀一はそこにあったスツールに座り、出されたコーヒーを飲みました。


「間に、なんか挟んでくれる?」


「何がいいの?」


 女性のほうでも、キッチンの前に立ったまま、コーヒーを飲んでいます。


「えっと、なんでもいいんだよ。卵でもチーズでもサーモンでも……俺、ベーグルって絶対単体じゃ食べないんだ」


「へえ……」


(だったら自分で作ったら?)という顔を女性は明らかにしていましたが、それでも冷蔵庫から卵をだすと、ベーコンエッグを作り、それをベーグルの間に挟んでくれたのです。


「ありがとう。なんか悪いな。君、俺の彼女ってわけでもないのに……」


「ほんとにそうよ。第一わたし自身、ここまで男にサービスしたことって、これまでの人生で一度もないんだから」


「そ、そうだよな。君くらいのクラスの女ってことになると、そりゃそうだろうな」


 女性がコーヒーのマグを片手に自分の隣に座ると、秀一はドギマギしました。最初は気が転倒していて気づきませんでしたが、彼女は本当に綺麗でした。おそらく、ただ容姿ということだけで比較したら、二階堂京子よりも彼女のほうが美しかったかもしれません。


「それで、これからあなたどうするの?」


「どうって……」


 秀一は暫くベーコンエッグベーグルを食べるのに夢中で、彼女が何を言っているのかわかりませんでした。


「わたしのことじゃないわよ。本当は今日入籍するはずだったのに、もう彼女と待ち合わせた時間も過ぎちゃってるんでしょ?これからそのこと、平謝りして恋人の女性に『やっぱり君と結婚したいんだ!』って言うつもり?」


「そうだな……まあ、なんにしてもまずは謝らなきゃな。もちろん、結婚しようっていう前日に他の女性と寝たことをじゃなく、単に今日の約束すっぽかしちゃったってことをさ。それで、相手のほうでさ、『こんな大事な日になんの連絡もないだなんて、信じらんないっ!!』って言ったら、もうこの件についてはお流れってことになるかもしれない」


「お流れって……」


『それこそ信じらんない』という顔をして、女性のほうでは怒った顔をしていました。


「その子と何年つきあってるのか知らないけど、本当に彼女のことが好きなら、平謝りに謝って、『頼むから俺と結婚してくれ』って言うのが普通なんじゃないの?それとも、本当は結婚したくないんだけど、でもそろそろ年貢の納め時とかっていうやつで、仕方なしにとかっていう、そういうパターン?」


「そういうわけじゃないよ。俺みたいなフラフラしたのが結婚しようっていうんだから、そこにはそれなりのちゃんとした理由があるんだ。ただ、色々と複雑な事情があって……」


「ふう~ん」


 秀一は、なんだか自分が居心地の悪い椅子に座らされているような気分になって、ベーグルの残りを急いでコーヒーで飲みこみました。


「ごめん。俺、実をいうときのうのこと、よく覚えてなくて……たぶん、家で飲みすぎたんだと思うんだ。それで、フラフラ外に出てまた飲んじゃったんだろうな。その、身勝手なようで申し訳ないんだけど、俺、なんか酔っ払って変なこと言ってなかった?」


「さあ……どうかしらね。わたしが聞いたのは『明日結婚する』、『でも、結婚したくないわけじゃなくて、迷ってるんだ』……みたいなことをグダグダ繰り返ししゃべってたっていうことくらいじゃないかしら」


「そっか。そんならいいんだ。いや、よくないか……俺、君にどうしたらいいのかな」


(それをわたしに聞く?)という顔をして、女性はまた笑っています。


「まあ、一晩のゆきずりの相手ってことで、わたしは構わないけど。実際、きのうのあなた、結構面白かったわよ。ノリでつい、わたしがお持ち帰りしたいって感じたくらいね。だからべつに責任とって欲しいとか、そんなことは思ってないから心配しなくていいわよ」


「かたじけない」


 そんな言い方をして秀一が去っていったので、女性のほうでは最後、カウンターに突っ伏して、大笑いしていたくらいでした。


「ほんっと、サイテーな男……」


 そして、彼女は笑いが収まると、携帯を手にして、ある番号にかけました。


「ええ。任務のほうは完了しました。……はい。特に何も疑ってはいないようです。これからすぐ役所へ行くということはなさそうですが、このことをきっかけに別れるといいんですが……いえ、問題は京子のほうじゃなく、涼子のほうなんですよ。ええ。本人はそのことには気づいていないというのか、どうやら知らされていないようです。……やめてください。そんな男と本当に寝るわけがないじゃないですか。でも、本人は本当にそう信じたみたいですよ。……それじゃ、またご連絡します」




 >>続く。






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