表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/10

遠幌加別1985

 遠幌加別一帯ではお湯や暖房が使い放題だ。最近娘が時々仕事の話を聞いてくれて嬉しい親父さんによると、乙種炭山と言ってメタンガスも一緒に出るらしい。油田でガスが出るのと同じようなものだろう。そのガスはメタノールに合成して売る他、炭鉱で使う電気を作るために燃やすから、廃熱がお湯として供給されるのである。ただし、せっかくお湯使い放題でもお風呂はない。石炭の粉まみれになる職場だから会社にあり、自宅には必要ないのである。……いやいや家族はどうしろってのさ。


 というわけで共同浴場にやってきたのだ。家族や近隣住民用にも銭湯が無料開放されているのだった。うーん、体の持ち主に風呂禁止と言われてるんですけどね……。今までは風邪気味を理由に遠慮してきたが、「馨を連れて行って来て」とお袋さんに妹氏を託されてはどうしようもなかった。お湯をかぶると男に戻ってしまう畏れが一般常識として刷り込まれているせいもあり、夢のつもりの頃でも女湯突撃してみたことはない。……大丈夫だよな?


 これで男子中高生が女になっていたらやってみたいことのグランドスラムを達成してしまう。女湯は更衣室のように全く何もなかったというオチにはなりようがない。入っているのがお婆ちゃんばっかりだったとしても、入れ替わっているJK司さんの体で入浴することになる。自分の体が謎の力により変化したタイプのTSならその点はクリアなのだが、何と言っても他人の体だからなぁ……。罪悪感がある。

 こそこそと脱衣所の隅で服を脱ぎ、かっちりバスタオルを巻いてガード。後はそこらじゅうを蠢く肌色を湯気で認識しなければいい。妹氏の手を引いていざ浴場へ。この一歩は男子にとって夢の一歩だが、そんないいものじゃない。

「司」

 呼びかけられてつい振り返ったのがいけなかった。無防備な友達の肌がばっちり目に入ってしまって、慌てて視線を逸らす。

「ちょ……っ、前隠して真奈美……。恥ずかしい」

「うん? ほらぁタオル巻きなさい。司が恥ずかしがってるっしょ」

 弟くんにこつんと拳骨を落とす。違うわ。そんなもん見慣れとるわ。

 弟くんの視線がちらちら顔と胸を往復しているのが分かる。気持ちは心の底からよく理解できるが、バレないようにしなさい。

「今日はお父さん出かけてるもんだからさ、こっちに連れてきててね……。ほら出るよ」

「姉ちゃん、おれ、髪洗ってなかった! 洗ってくる!」

「何、いまさら。もう上がりたいんだけど」

 これはギルティかな。内湯がないのが当然の町ではばったり出会ってしまうのは仕方ない。わざとじゃなかったんです。だが、故意に粘ろうとするのは許されざるよ。

「分かった。私が洗ってあげる」

「したら任せていい?」

 男子ってのは解き放つとどこでチラチラ見てるか分からない生き物だ。制御下に置いておこう。というわけで、弟くんを連行する。少し釘を差しておきたいとも思うが、思春期の男子というのはお姉さんに優しくメッされるのもご褒美に読み替えるバカである。サービスになってしまう。

「シャンプーするから目つぶってー」

 で、目をつぶらせて、

「流すから目つぶってー」

 で、目をつぶらせて、

「リンス沁みるから目つぶってー」

 で、目をつぶらせて、

「はい流すよー」

 で、目をつぶらせて、

「後はお姉ちゃんに乾かしてもらってー」

 で、放り出す。OK、完封した。


 羨ましがった妹氏も同じように洗ってあげる。本人の髪は洗わなくていいな。メンテにこだわりがあるかもしれないし。バスタオルから出た腕とかだけ洗っとこう。浴槽もパス、タオル巻きで入れない。お風呂に入るなという命令は破ったが、最大限の努力はしたと思う。認めてほしい。

 回収した妹氏の洗い髪をざっと拭いて肌色空間から脱出。どっと疲れた。



 家に帰ると、ちゃぶ台代わりのコタツでは、親父さんが行者ニンニクをどっさり載せた冷奴で晩酌と洒落込んでいた。何が入っているのか疑問なほど奥行きのあるテレビでナイター巨神戦が始まっている。Jリーグがまだなかった時代。Jリーグローンチクラブじゃないコンサドーレは母体すら札幌にいない。今球団移転で揉めている北海道日本ハムだって、本拠地は東京ドームどころか、後楽園か神宮あたりのはずだ。もちろん、道民はみんな巨人ファンだった。

「おぅ。エリマキトカゲのポスターもらってきてやったぞ」

「わあ! えりまき!」

 妹氏が親父さんに筒を渡されて輪ゴムを解いた。四菱ミラージュ。車のポスターだ。ポスターの写真はヘッドライトケースの嵌った近代的な角目で、そうそう吊り目三次元カットになる前の車のライトはこんなのだったよなと記憶にある感じ。町で見かけるのが古いモデルだと分かる。最新型を企業城下町で見ていないのは、あまり炭鉱が活況ではない証左か。考えすぎか。

「今度はウパがいい! ウーパールーパー!」

「おお、ウーパールーパーがいいか」

 親父さんは若干困り顔だ。同じ財閥グループの広告ポスターならもらいやすいだろうが他社はなぁ。なかなか子供には分からない話である。まあウーパールーパーは居酒屋の唐揚げメニューになるまでにかなり広まったようで、何らかのグッズは手に入れられるんじゃないかな……。そもそも遠幌加別川にはサンショウウオが生息しているのでアルビノの誕生を待てばいいだけである。

「7時からアラレちゃん見せてねー」

「ん、おぅ」

 妹氏が言い置いてポスターを手にテテッと走っていくと、親父さんが鷹揚に頷く。ビデオがないか、あっても同時録画できなかった時代にはチャンネル争いが壮絶だったと聞くが、このお宅は平和裡に譲り合うようだ。


 木桶に入った酢飯を渡されてパタパタと扇ぎ続ける。これ結構えらいな。昭和の人は大変だ。21世紀では木桶とかご家庭にない。酢飯作るぐらいなら基本、寿司状態で買うからね。この時代は主婦が楽できるようにといって合わせ調味料が出てきた時代だ。何でも買ってきて食べるなんて思いもよらない。

 お袋さんは細く切ったニンジン、カンピョウ、高野豆腐と煮付けたものを煮汁から上げている。味を変えたシイタケや薄揚げも小鍋にあった。巻き寿司や稲荷寿司は具から作るものであったようだ。手が込んでいる。

 毎日身欠きニシンや塊炭飴を齧っていたイメージの昭和の炭鉱町だが、スイーツや冷凍食品が弱いぐらいで、食生活のバリエーションは結構豊かだ。廃墟の炭鉱しか知らない21世紀人には想像しにくいことに、最盛期には札幌よりも文化の到来が早かったらしい。しかし、流通の制約は大きい。青函トンネルがまだなく、内地の生鮮食品があまり入ってこない。道産の葉物が出ない春先のこの時期は根菜や保存食を活かして乗り切る工夫が見られる。前回はカレーだったな。根菜と角切り豚肉をリンゴとハチミツでじっくり煮込んだ、ノーマルなバーモントカレーの味がした。

 ざるそばの下に敷いてあるようなやつに海苔、ご飯、具材と重ねて、巻く。最後にぎゅっと固めて巻き上がり。初めてにしては上手くできたんじゃないだろうか。切ってもらった巻き寿司と、表裏2種類の稲荷寿司、澄まし汁、あとは常備菜で夕食になる。



 食事を終え、アラレちゃん昔話を見て、見るともなくテレビを見続けている。普段スキップする広告も時代が感じられて面白い。カセットテープや写真フィルムのCMが頻繁で、この頃はフィルム文明だったことが分かる。未来ではバランス栄養食が当たり前になっているなんて盛大なことをカロリーメイトのCMが大言壮語する。確かになっているよなぁ。好きなものを食べてサプリで補う、ドラえもんの予言がより近い未来図だが。

『カウントはツースリー、フルカウント』

 それ既にバッターアウトだろ、と授業でやったソフトボールの感覚で思ってしまうコール。野球のルールってそういえばよく知らない。

 オリンピックからも外されたマイナー競技を知っていると想像しにくいことだが、この頃は野球観戦が娯楽の殿堂だった。スポーツ観戦のもうひとつの雄だったプロレスはテレビのカラー化で流血が気持ち悪く見えるようになり、廃れて久しいという話だ。変わりにキン肉マンのアニメをやっている。

『バッターは不調のバース。クリーンナップを迎えて、ここは勝負でしょうかねえ。ええ。バースも大きいのを狙いたいところでしょうね』

 おや。伝説の助っ人バースだ。ちょっこし真剣に見ておこうか。

『初球打ちっセンターへ、これは伸びる、伸びる、入ったーっ、入りました今シーズン1号はバース! バックスクリーン直撃の逆転3ラン!』

 おー。これはいいもの見たな。バースの初ホームランをリアルタイム観戦なんて、今時の高校生には絶対にできない経験だ。当たり前だが。

『打球っ! クロマティ追わないっ! ホームランッ!』

 って次もホームランだ。そしてその次もホームラン。こんなにぽんぽん出るもんだったんだな……。

 再逆転を目指す巨人もレフトスタンドに1発、2発、3連発放り込む。この豪快な試合を見れば野球が人気だったのもやはり理解できる。この頃までは結構、メジャーチックにベースボールしていたんだな。これ以降、ドーム球場化でフィールドが広くなり、ホームランが入りにくくなってサッカー人気にシフトしていくんだろう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ