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遠幌加別1985

 昭和の授業を受けてみて驚くのは、とにかく英語以外は授業のレベルが高いことだ。教え方の意味ではなく、教わる内容の多さの意味で。基礎解析とかいって、数学のベース授業で指数対数に微積までさっくり出てくる。これは自慢だが、ダブルミーニングで北大にもっとも近い高校と呼ばれる学校に通っている僕だから、聞いて分かる。21世紀の普通の高校生を連れてきたらとてもついていけないだろう。他校より偏差値が低めと思われる元女子高でこれである。あの有名な「二次方程式を解けても社会では何の役にも立たない」という理念で上級国民と一般国民を分離した愚民化ゆとり政策がいかに日本の国力を削いだか分かろうというものだ。


 放課後に高校生が遊びに行くようなところはないのでさっさと帰ることにする。こう表現すると寂れて店のない田舎を想像してしまうがそれは違う。南大夕張(これが遠幌加別の町にくっついている方)と真谷地の2つの炭鉱が生きていて、仕事上がりに飲みに行くようなところはまだ活気があるようだ。女子高生だから知りませんけど。炭鉱のソウルフードといわれている夕張名物カレーそばを男子が食べに行ったりは、しないようである。聞いてみると存在はしたが、まだ特定の店の名物メニューの扱いだ。

 放課後でなく休日なら高校生が遊びに行くようなところもある。閉山した炭鉱を使った石炭の歴史村がこの当時は遊具もある遊園地としてオープンしている。あちゃあ、オープンしてしまってますか。維持費が出せなくなって遊具が雪で物理的に潰れる未来を知っていると、現在も歴史学習施設として残されている石炭博物館とSL館を中心にした小規模な施設か、札幌から人を呼ぶ気なら商業施設にしておけばと思うが……。バブってるこの時代にその想像は難しかっただろうな。以前には錦沢遊園地というスイッチバック遊園地があったらしい。炭都は遊園地ぐらい擁して当然という感覚の都市規模を誇っていたのである。

「司ー、今日家来ない?」

 同じ遠幌加別在住のベストフレンド(推測)、真奈美からお誘いがかかる。

「一緒に帰って噂とかされると恥ずかしいから行くー」

「どういうことなの……」

 いやね、断るのも不自然かなと思って。このまま頻々と入れ替わるならもう少し交友関係を教え合っておく必要があるな。ちなみに帰りの汽車は帰宅部用と部活生用の2本しかないから一緒に帰るも何もない。


 まず宿題を済ませているとフレンドが突っ伏してゴモクソ並べ始めた。

「あーもう。三角関数なんか勉強して何の役に立つのー?」

 それを問うてしまうのか? よろしい、ならば説明しよう。

「紀元前3世紀。カルタゴに付いた小都市国家シラクサの数学者アルキメデスは、三角関数で投石機の弾道計算を行い、ローマ帝国を相手取って2年戦い抜いたのです」

「ほへ……」

 ま、近代の砲にはこの距離ならこの仰角とアタリをつけた射表が刻んであり、現代の砲に至ってはコンピューター制御に追尾機能まであるわけですが……。対北開戦を見越して1985年の札幌に配備されている大砲も多分コンピューターで弾道計算できる。ぴゅう太とか超漢字とかで。超漢字は組み込み用だから割とマジで入ってそう。

 しかしその肝心の距離を弾き出すにもまた三角関数が役立つ。大仰な電子機材が用意できない場合や、レーダーやソナーでping送るとリプライは狙撃で返ってきてしまう場合、三角関数表で距離を弾き出せる。

「2地点から測った方角と角度で、距離だの山の高さだのが自動的に分かったりします」

 黄色い三脚とメジャーを持ったグループがよく街角にいるだろう。あれは三角関数を使って道路工事用の基礎データを計測するお仕事だ。GPSもそうで、複数の人工衛星からのデータを三角関数で処理している。コンピューターに頼れない時や、入力する時間が惜しい一瞬の判断のために勉強はしておいた方がいい。古代地中海文明や戦国時代の住人と入れ替わった時に役立つぞ。なお暗黒中世ヨーロッパや江戸時代には何か作ると人心を惑わせたとして魔女狩り手鎖所払いが待っているから、変な絵馬を作って奉納する程度が無難だ。

 授業内容を削減するなら代わりにこういう話をすればいいと思うんだよ。とにかく覚えろと言って叩き込まれる公理定理より、授業に挟まれる雑談の方が頭に残る。自分の願う進路に必要なのに役立たないと思って切ってしまう危険が減るし、用途を知って本当に要らないなら投げ捨てるのもひとつの判断ではあるだろう。


「終わったぁ~。おやつにしない?」

 宿題を終えてノートをぱたんと閉じたフレンドが寝転がりながら言う。

「お構いなく」

 夕食前だしなあ。宿題終わってちょっと遊んだら帰らないと、という時間である。

「アイスケーキ食べるっしょ?」

「アイスケーキ……!」

 地方でもコンビニで生ケーキが手に入る現代では廃れた文明である。ささっと買いに行くことができない昭和の御代には、不意の来客に備えて冷凍庫にそういうものが常備されていたという。昭和レトロ、ありがたくごちそうになろうじゃないですか。

 おかーさんアイスケーキ切ってー、自分で切りなさい、勉強見てもらってありがとうねえ、いやなんもなんもこちらこそ、と通り一遍の挨拶をしてばたばたする。エスキモーという知らないメーカーの箱がごそっと出てきた。知らないことはないかな。小さい頃あったような気もするが最近見かけない。

 食卓で切り出してもらう。ゴージャスなビジュアル。うねうねと重ねたホイップ状のアイスがバブリーな豪華さを醸し出している。これは子供は好きだわ。もらったピースをスプーンでひと匙掬ってみる。味は……普通にアイスだな。21世紀札幌舌で普通に美味いと感じる水準に至っているんだから、この頃比較対象だった他のラクトアイスと比べれば群を抜いて濃厚なはず。何層にも挟まった薄いチョコがけの層が砕けていく感触もまた心地良い。

「しゃっこーい。パリパリチョコのミルフィーユやあ……!」

 変な顔で見られる。そういや、この表現もまだないんだな。イケメンアイドルをやっていたかやっていないかぐらいの時期か。

「ただいまー」

 黒いランドセルを背負った男子がドアを蹴破るように帰ってくる。

 当時は黒いランドセルは男子、赤いランドセルは女子と判別できるようになっていた。これは冠位十二階や諸法度の階級別服制と同じ流れにあるルールで、外見から容易に社会的立場を見分けられるようにする工夫。低学年じゃ男も女も見た目が対して変わらないが、本人は間違えられるとショックである。そこで色分けして大人が間違わないようにしていたものだ。「差別ではなく区別」というやつである。現代ではもちろん、個人の好みで選んでいい。女子は水色のランドセルを結構好むし、男子には赤黒や銀赤の厨二ランドセルが人気だ。関係者はランドセルの色に依らず個人情報データを同定でき、無関係な大人には分からない方が安全。またジェンダーフリーの観点から、女子がボウズ呼ばわりされたり男子がお嬢ちゃんと呼ばれたりしても一概に否定せず、暖かく受け入れて支援すべきだという考え方も根強い。

 弟さん? と話の接穂に聞きそうになったが、何度も遊びに来ているようなのにその発言はおかしい。

「お邪魔してます」

 ぺこりと頭を下げておく。

「え、あ、う? ゆ、ゆっく」

 弟くんはしゃっくりでもしたようにごくりと唾を飲む。んー、驚かせてしまったな。もっと砕けた感じが常態だったのか? ちなみにユックはアイヌ語で鹿のこと。ユックルペシペを鹿ノ谷に意訳せずに由来辺蘂にでもしておけば21世紀頃はゆっくりの聖地になっていただろう。

「ゆっくりしていってください……? 姉ちゃん、おれもアイス」

「これはお客様用だから」

「姉ちゃんも食ってんべ?」

「ご相伴だから。あんたは去れー」

「ちぇー……」

 アイスケーキを凝視し、ちらりとこちらを見、またちらりとアイスケーキに視線を落として、弟くんは名残惜しそうに引っ込んだ。

「そう邪険にしなくても。礼儀正しくていい子じゃない」

「あいつあんたのことお気に入りだからねー。髪型変えたの見て惚れ直したんでないかい」

「そういうのを勝手にバラすのはやめてあげて……」

 近所の美人のお姉さんへの憧れは、いつも見ている家族からは見え見えだろうが、本人的には秘めた想いだからね! あまり小学生男子の純情を踏みにじらない方がいい。どちらかと言えばアイスケーキに心を残しているぐらいの仄かな想いでも、細心のデリカシーをもって扱っていただきたい。こっちも本人不在だからノーカウント。僕の胸の裡に収めておこう。


 傷心で去った弟くんはランドセル放り投げてきました程度のウェイトで戻ってきてテレビ台の下をがさごそ引っ張り出す。

「お……ファミコンだ!」

 体の持ち主のご家庭にはなかったから初めて見た。いいなぁ。

 外部入力を使わずに怪しげな配線を繋いで映し出したのはヱヴァンゲリオンみたいな名前のシューティング。渋いゲームやってるなぁ……。統合前の自由日本は平和ボケしていたというのが定説だが、前線になりそうだった北海道ではやっぱりウォーゲームをやっていたのだな。

「相談なんだけど」

「はい」

「ファミコン、遊ばせてもらえない? アイスの残りあげるから」

「ど、どどどどうぞっ!?」

 真っ赤になった弟くんから首尾よくコントローラーをゲットした。それと、フレンドに新しいスプーンを持ってきてもらう。間接キスだと思ったか? 残念だったな。これは期待する方がおかしいので踏みにじってはいないつもりです。

 意気揚々とスタート。

「あれー? 思った方に飛ばない……」

「ラジコンみたいにヘリが十字キー押した方に回るわけで……」

「あーなるほど俯瞰画面で操作は主観ね、変なの」

「!?」

 後年のリバイバルはキーの入力方向に機体が動くようになっていた。対して、初期のリリースはコントローラーを自機のコントローラーとして旋回するようになっているのだな。画面の向きは北が上の固定で、機体が回転する。下向きの機体を画面右に向けたい時は左を押さないといけない。なんて直感的でない操作方法。

 一人称視点の操作方法なら画面もドライバーズビューでグリグリ動かすべきところ、ドット絵でそれは実現できず、上からの俯瞰マップになってしまっているということだろう。この頃の一人称視点画面は、紙に別途マッピングしないと今どこにいるか分からなくなるダンジョンが限界だったはずだ。

 操作さえ理解できれば問題は少ない。Aボタンを秒間16連射するとアタック。Bボタンがボム。LキーRキーとかは存在しない。

「アパッチ怒りのデストローイ」

 このゲームはシムシティを邪魔するゲームだからまちづくりをどんどん邪魔していく。最大の敵は、美麗なグラフィックに慣れていると画面の状況がよく認識できないことだ。8色ぐらいしか使ってなさそうな画面でルンバのドット絵みたいなのからドット抜けみたいなのが飛んできてもいまひとつ把握しにくい。一旦理解すれば問題ないだろと思うのは今の感覚。画面が液晶じゃないのでくっきりせず、分かってきても見にくいのだ。昔のゲームはこういうところも難しかったんだな。

「あーアレルト来たぁ。これが来ると残機0になるもんだから……」

 弟くんが残念がる。間違ってるぞ、その知識。ALERTは空襲警報で、爆撃機を落とせば問題ない。

「2コンちょうだい」

「はい。……」

「バーイ、ダイコン!」

 このゲームにはメーカー名をマイクで叫ぶと敵機がヘイトを募らせて襲ってくる機能がある。メーカーが移植しなければ自分たちがプレイヤーにボコボコにされることもなかったというメタ事情を認識しているのだろう。

 札幌のメーカーなので、ダイコンは大通コンピュータの略だと思われがちだが、実は違う。昔、炭鉱鉄道を走っていたSLのあだなだ。札幌でSL写真と電子工作部品を売っていたショップがアメリカのゲームの移植を経てゲームメーカーに成長していくのである。後年、JL北海道がSL快速を運転する資金不足で困った時に、「実はダイコンというSLがありまして、そのご縁で後援をいただけませんか」と話を持っていったら「それが社名の由来だよ」と言ってぽんとお金を出してくれたというのは、札幌では割と有名な話だ。この当時は誰も知らないが。

 見辛くてどうしても被弾が嵩む。撃墜されついでに特攻で工場を破壊して1面クリアー。そこで終わりにした。残念、スーパープレイで魅せたかったんだけどなぁ。アナログテレビでやるゲームは難しいや。


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