南清水沢1985
「ごきげんよう」
「ご、ごきっ!?」
挨拶をしたりしなかったりしつつ教室に入ると、男子がパッチに興じていた。パソコンをアップデートするあれじゃないぞ。KITACAよりひと回り小さいぐらいのカードや牛乳キャップサイズの紙メダルを叩き付けて、ひっくり返したり机から落とし合ったりする旧世紀の遊びのことだ。既にファミコンが出ている時代にこんなアナログな遊戯が遊ばれていることに最初はびっくりしたものである。
リーゼントの生徒もいて「こいつは ヤクいぜ!」と警戒してしまうが、オラつきもせず小学生のような遊びに参加している。別段DQN高校ではないようだ。
催事で配られるうちわぐらい大きな丸パッチにはキン肉マンのミニフィギュアを載せ、机の上で両端トントンやっている。デカ丸パッチは土俵。振動で寄り切らせるのだがキン消しの安定は悪く、強く叩くと転んで負けになる。なかなか考えられている。どうもこれは紙相撲という古典遊戯のコマをミニフィギュアに置き換えた遊びらしい。
80s'考古学サイトでは大きなパッチは実用性のない懸賞賞品、キン消しは機械式鉛筆で飛ばして遊んだものと考察されている。現実はだいぶ様相が違う。確かに男子はみんなスペースシャトルやスーパーカーの絵がついたトランスフォーム式筆箱を持っていて、筆記具を砲身かミサイルに見立てたランチャーに変形させてはドヤ顔をしている。南北決戦があると思われていた時代の男の子らしい感性といえる。しかし、実際に何か撃ち出して遊ぶ実弾演習はついぞ見かけていない。まあ、危ないからと言って小学生時代に禁止されたのかもしれないな。
「……な、何か?」
興味に押ささるが如く前に出てしまったせいで、デュエルしていた男子が挙動不審だ。
「ちょっこし見せてもらっていい?」
「ん」
名刺を上納するかのように両手でガンダム角パッチを1枚渡された。ボール紙製で、ペラいトレカの感覚でいると結構持ち重りがする。やっぱり21世紀に親しんだものだとKITACAやウィズユーSAPICAが近い。あるいは、それほど親しみはないが、花札や百人一首。京都の花札メーカーだった任天堂がファミコンやゲームボーイを出したのも実は必然なのか。
ボール紙同士の衝角戦でパッチはどんどんアメていくけれど、気にしている様子はない。この時代のおもちゃはまだ、コレクションとしてのトレカやフィギュアより、身体性を持った物理的な道具の性格が強かったことが分かる。
「へぇ、こんな風になってたんだ」
裏にサイコロと共にボークだのヒットだの書いてあって、野球カードゲームとしても遊べたことがわかる。これは知らなかった。ぶつけ合いが廃れた後、数字を競って伏せカードオープンするターン制バトルに進化したのもむべなるかな。
「ありがと、参考になった」
「いや、なんもなんも……」
終始警戒されていて申し訳ない気分になる。交流の(多分)ない女子が突然寄ってきて「ほほうカリおっさんか見せろ参考になったぞありがたく思え」とか言い出したら僕だってそうなる。こそっと隠した中にピタピタの銀色宇宙服の松本零士ヒロインがあったのも見て取れてしまった。本当男子ってうんごめん。女子に立ち入ってほしくない領域だったね。こちらの中身は不適切なjpgも見飽きている未来の男子高生なので気にせず続けてほしい。この先ゲームボーイに交代するまで続いていく、アナログ遊戯最末期のひとコマを記憶に焼き付けておくから。
男子中高生に女の子になっていたら何がしたいか尋ねたら、ほぼ、胸・女湯・女子更衣室の3点セットで決まりだろう。即物的に、全部単語だ。中には可愛いメイド服が着てみたいとかあるかもしれないが……それは別に男でも着ればいいので除外させてもらおう。
次の授業は合同体育。全男子憧れのパラダイスが門戸を開いている。こんな時、TS者の対応にはテンプレートがある。
「気分が優れないんで見学します!」
回避一択! 憧れは憧れのままだからいいのだ。素直に勇躍飛び込むのは卑劣な感じがしてどうもあずましくない。
しかし、フレンドに回り込まれてしまった。
「こーらー。サボってるとまた出席足りなくなるっしょ」
「こいつ体育サボってんのか……」
「こいつって。自分のことでないかい」
見学なら単位はもらえてしかるべきじゃないかと思うんだが、昔は欠席扱いだっのか? だったら落とさない方がいいだろうな。サボりだの、その、女の子の日だのが溜まって出席がやばくなった時、この1日が単位取得の可否に効いてくるかもしれない。そもそも単位制だったのかもよく分からないんだな。
前言を翻すようだが、更衣室という行き届いた設備はない。校舎が火事で焼失して再建中であり、最低限の教室数しかない。本来なら生徒数減少でいくらでも空き教室があって、鍵を拝借してこっそり着替えれば問題なく済むのに、妙な史実が僕を追い込んでくる。
体操着袋を持って隣のクラスに向かう。隣のクラスの男子と交代して男子部屋と女子部屋を構成するようだ。昔は高校まで男女一緒に着替えたものですよなんてネットの書き込みが体験談風エロ小説だったことにひとまず胸を撫で下ろした。よく考えると何ひとつ解決していない。
「真奈美、体操着は?」
荷物の少ないフレンドに聞いてみると、返事代わりにセーラー服の首許をちょいちょいと引っ張ってみせ、ズバッと思い切りよく脱いだ。
「うわっ……あ、中に着込んでたのね」
あとはジャージを穿いてスカートを外すだけ。不慣れな僕以外、誰も肌が見えてしまうような女子力の低い着替え方はしていない。もちろん、ブルマなどという昭和破廉恥装束が北海道に存在していようはずもない。あ、あれ。艶っぽい場面が何もないぞ。肩透かしだ。ほっとしたような、残念なような。
女子は適度に走ってればいいよ的に始まった混成サッカー。クラスを半分に割った人が多すぎるピッチで、男子のボールのやり取りを遠巻きにする。パスが出るたび、マークが外れてボールについていく。まあサッカーの試合というより、試合形式で体を動かす授業だからこれでいいんだと思う。サッカー部は既に存在していて、戦術的な動きをさせようと思えば教えられるはずだ。
味方のシュートは止められたようだ。DFが蹴り戻したボールをキーパーが拾い上げる。待て。
「ちょ、今のバックパス! 反則っしょ!」
「ほ?」
「ほじゃなくて。自分のチームのキーパーにボールを送るのって反則のはず……」
「んなルールあったっけな?」
なかったという結論になった。サッカーの競技規則が年々細かく改正されているのは知っているが、バックパスルールもなかったか、広まってなかったか。
この調子だとオフサイドもなかったりしそうだ。サッカーが急激に人気を博したのが逆説的に納得できる。ルールが増えて理解しにくくなり、技術も上がって堅くなったスポーツは、マニア向けになっていくからな……。例えば2017年のフィギュアスケートはどんなタイプの4回転を何度織り交ぜるかで技術点を競うものに進化して、素人目にはよく分からなくなってきた。1980年代だと伊藤みどりのトリプルアクセルが大喝采だ。
スレていない川という言葉がある。北海道では川で釣りをするとサケ泥棒として水産局の監視員にドヤされるのだが、サケが遡上しない源流部では釣って良い。アクセスが悪くクマがうろついているような所だと釣り人も稀で、魚が警戒心を持っていない。そういう状況を指す言葉だ。
20世紀の授業サッカーはちょうどそんな感じだ。空気を醒めさせてしまったお詫びに女子乱入で盛り上げに入ってみたら、面白いようにフェイントに引っ掛かってくれる。スレてなさすぎて通用しない技があるほどだ。ある程度先読みして惑わされてくれないと抜き去りにくいんだよね。
全力疾走で攻め上がる体力があるか分からないからころころドリブルしていく。当たり前のように塞がれて、カバディ状態でお見合いになる。昭和男子はボールはスライディングタックルで獲るものと思っていて、怪我させてしまいそうな女子相手だと攻めあぐねる様子だ。フィジカル面の不利がそういう遠慮で埋め合わされるなら、オーバーヘッドキックとキン肉バスターを同列の架空技だと思っている時代の相手にテクニカルで負ける気はしない。
ちょっと疲れてきたのでオーバーラップしてきた味方にパス。間を置かずまたボールが返ってくる。シュートまで打たせてくれる心づもりのようだ。ゴール前にいた運動部っぽいガタイの男子が半分本気出してそうに駆けてくる。
「こちとら小学生から授業でサッカーやってるんだ、よっと!」
「なにィ!!」
ちょいと右前に蹴り出したボールを、爪先で左へ切り返す。向かってきたディフェンダーを背後に置き去りにした。自分だけが未来の知識・技術を持っていて無双できるのは気持ちがいいな。ダメ人間の感想である。
「いー、ぐる、しょっ!」
大地を這い損ねて浮いた甘いシュートをキーパーは捕ろうともせず、アッパーカットを繰り出して見事にゴールへ弾き込んだ。一呼吸遅れて、わっと歓声がわく。
「いやいや! 今のは捕れたっしょー。廬山昇龍覇かいっ」
思わず突っ込んでしまった。聖闘士星矢の読みすぎ。本当男子ってバカよねーってか。
「ろ、ろざん……?」
おや、反応が悪い。廬山昇龍覇とダイヤモンドダストぐらいは初期から出てる……よね? 高校生もジャンプ読まないんだろうか?
「いや、なぁ?」
「悪い。キャッチするとふっとばされるべや? したっけ、パンチングの方が強いべ」
「ああ、もりさきくんネタなのかぁ……」
読んでるじゃねーか。リアルタイム世代の知識は一味違った。僕はネットで人口に膾炙しているネタしか知らないんだよな……。
「お? キャプ翼知ってたっけ?」
「パラパラねー」
危ない危ない、ネットで見たは通じないんだ。元に戻った時に話を振られて理解できなくても困らないようにしておかないと。