遠幌加別2017
北海道には地名が少ない。若菜・稚南部・清水沢と並ぶ地名は全て、冷たい水の沢を意味するアイヌ語のワッカナンペを語源に持っている。稚南部隧道を境に南北に分かたれる市域のうち、隧南エリアに遠幌加別の町はあった。
炭住と呼ばれる、炭鉱会社の社宅の前で自転車を停める。草に巻かれ、開口部を板で塞がれた住宅はもう長らく無住だと分かる。青かった屋根は朽ち錆びて吹き飛んでいる。史跡として保存されたものを除き現存最後の炭住らしいが、現存の冠が取れるのもそう遠いことではないだろう。
自転車を借りた冷水山ホテルで買ってきた樺太式サンドの包みを開く。スモークイトウの燻味と鹹味、ブルーベリージャムの甘味と酸味を濃厚なクリームチーズがまとめ上げている。値が張っただけのことはあり、美味い。彼女にも一度食べさせてあげたかったと思う。だが、彼女が暮らした家はご覧のありさま。ご家族の転出先も杳として知れない。
遠幌加別。道産子でも普通に生きていれば一生知ることのない閉ざされた町。汽車は廃線になり、通学バスで朝出て夕方帰ることはできても、車がなければ外から訪れることはまずできない。高校生の僕では普通たどり着けない町を苦労して訪れたのは、30年あまり前に忘れられない日々を過ごした地だからだ。言っていることがおかしいが、そうなのである。
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遠幌加別1985
朝7時半、開発道路沿いでは商店が既にシャッターを開け、夜勤明けでヤマから上がってくる3番方に備えている。あるいは1番方に向けてひと商い終えた後だろうか。黄金期と呼ばれるジャンプが店頭に積まれている。大人の男は劇画しか読まなかったらしいから、この町にはまだ子供の数もこれだけ多いのだろう。黄金期ジャンプに用はない僕もふと思い立って立ち寄った。裸で吊るしてあるスルメを1枚、茶封筒めいた紙袋に入れてもらう。干されてなお厚い身にアミノ酸の粉をたっぷり噴いて、見るからに美味しそうだ。エコなんて言葉はなく、ビニールやプラスチックが遠慮なくバンバン使われていた時代だが、密封個包装はグリコ森永事件を受けてお菓子から普及が始まった段階。こういった昔のままの商いもまだまだ息づいている。新しい方の流れとしてはアルミ蒸着包装のビックリマンチョコがいい場所を占め、ジャンプとセットで買われるのを待っている。しかし、かわりンゴシールとやらだ……。買っておいてもひと財産にならないンゴ。
遠幌加別の町は支夕張川の北岸にあり、鉄道と道路沿いに細長く伸びている。炭住は東の端、炭鉱鉄道の駅は西の端。したがって町の全長1kmを毎朝通り抜けることになる。炭住のすぐ側、ボロボロの汽車が倉庫代わりに置いてある所が石炭積込場だが、ここから人間は乗せてくれない。なにぶんホームがなく、ホッパーと呼ばれるコンクリートの巨大ファンネルから汽車の箱にザラザラ流し込む。無理に乗せてもらうと石炭の下敷きになって室蘭の製鉄所まで連れて行かれるわけで。セメント樽の中の手紙になってしまうと思われ。
道道を往く。ダジャレのようだが内地の県道が北海道では道道になる。開発道路と通称されるのは国が北海道開拓を直営していた頃の名前の名残だ。スカイラインの背面みたいな愛嬌のある顔をした軽セダンが走ってくる。行き交う車は多くないが、企業城下町らしく、みなダイヤのマークがフロントに輝いている。丸いライト、黒染めのフロントグリル、はっきり分かれた黒やグレーのバンパーがレトロだ。長いボンネットに低いキャブ。裾までピカピカにして走らせる21世紀の車と違って、昭和の車は汚したりぶつけたりする前提だったのかもしれない。
この町で朝を迎えたのはもう何度目になるだろうか。21世紀の高校生が歩くには時代錯誤な昭和60年4月の通学路を、僕は勝手知ったる他人の体で歩んでいる。3本白線の黒いセーラー服。足首まであるスケ番みたいなロングスカートは、どうもこれが当時の標準仕様らしい。
朝起きたら女の子になっていました。という事態は、2017年の日本では大したよくあることとされている。ある朝、僕も不安な気持ちを抱えて目覚め、謎の少女に変わっている自分を発見した。
朝起きて少し体が女っぽかった時、どう確認するかで性格診断ができるといわれる。胸元に手を当ててみる。手のひらにジャストフィットする慎ましやかなサイズであるが、やわっこくて結構なお手前だ。股間? そんなの触らなくてもないのが分かるじゃろ(失った過去にはこだわらない合理的なタイプ)。
部屋にも全く見覚えがない。ただ、北海道であることだけはすぐに分かった。しばれた二重窓に、汗ばむほどの暖房。拓殖銀行のカレンダー。え、拓銀? 1985年……1985!? 2000年以前の世界って実在したのか。知識としては知ってたけどな。見つけた鏡の中から、前髪にツボ押し器を巻き込んだ困り顔の少女が見つめ返している。昔の人間だからって瓜実顔のお多福ではなく、ちょっと眉が太ましいものの少女の前に美を付けられる。肩を隠すぐらいのセミロングヘア。髪の毛の取り回しには悩まなくて済みそうだ。いやいやそんなことに安心している場合じゃない。
ひとつ疑問として、胸だけが北海道らしくない。北海道の女子高生は日本一胸囲が大きいはずだ。道民はでっかいどうと言われるとイラッとするが、ちっこいよりでっかい方がいいのは自明である。確認のためにもう一度掌を被せてみる。うん、いいわこれ。大きさより手触りだと思います! 揉むよりも、そこはかとなく覆ってやわらかさと心音を感じるのがすごく心地良い。いつまでも触っていたくなる。隣で目を覚ました見知らぬ妹氏に怪訝そうな顔をされつつも、幸い毒虫じゃないから箒で掃き出されなかった。
クマった髪をこの俺様がクマーと思いながら梳かしていると妹氏に髪型を変えるのか聞かれる。いつもはボリューミーに広げてモサらせているらしい。まじで。アフロみたいなモジャモジャヘアーが持て囃されたよりは後の時代のはずだと思うが……。素材は良いんだからサラサラストレートにティモテすればいいのに。なんだか人買いのような気分になってきた。
よくあること「とされている」と表現するのは、本当によくあるわけがないからだ。2017年の日本では、大ヒット映画になぞらえて遠隔地の異性との精神入れ替わりを気取るのが流行っている。実際は出会いを求めて旅に出たり、違う自分として振る舞ってみるムーブメントだ。ネットのみならず、雑誌や新聞にも新しい自分を発見してみようと記事が載っている。そういう流行に関心のない僕もどうやら影響されて入れ替わりの夢を見るに至ったんだろう、常識的に考えて。やれやれ、ブームとは恐ろしい。
……と思っていた頃が僕にもありました。割り切って女子高生の1日を楽しんだ翌日の僕は、日付がきれいに丸1日飛んでいて悩むことになった。失われた1日、僕は身に覚えのない言動をして動いていたそうなのである。なにそれこわい。
次に昭和のJKとして目覚めた時にせっせと会話の端から情報収集して、ここはまだ生きていた炭鉱町であることが分かってきた。エネルギー革命で追い込まれたものの、オイルショックを受けて国産エネルギーである石炭の活用が決まり、延命している。夢の設定が充実してきたにしては聞いたこともない新知識が入ってきすぎる。しかも、手に入れた新知識を検索してみると、正しいのだ。
引き出しの底にしまいこんだ記憶を脳が整理するのが、夢だ。たまたま聞き知って忘れていた知識を夢で再生したと考えるのが正常な判断。しかし、これは考えにくい。21世紀の日本では、労働運動と強く紐付いていた炭鉱を語ることがタブーに近い。北海道発展の原動力になった特化施設だが、歴史の闇に葬られている。国のエネルギー政策に翻弄された恨みも強く遺っている。さらに跡地の再開発に失敗して傷口を広げた所も多々あり、そちらの意味でまだ生傷。思い出したくない・思い出してほしくない関係者がまだまだ多い。そんな風土でたまたまあれこれ聞きかじることなどないのである。
どうも非科学的な考えを認めざるを得ない……、昭和60年の炭鉱町の女子高生と意識が1日入れ替わっていると考える方が妥当に思える。ビジネスと従業員サービスを兼ねて炭鉱が1日3本走らせている札幌直行バスで遊びに行ってはいけない。本当に入れ替わっていて欠席が付くと可哀想だ。対して、夢や妄想の中で慎重になっても少し面白みに欠けるだけで特に問題はない。いやー初回にあんまりはっちゃけなくてよかった。ま、途中でクラスメートに掴まえてもらえなかったら、札幌どころか学校への行き方も分からなかったのだが。
そうして数日から半月間隔の間欠スパンでTSささっている僕である。定石通り、スカートに戸惑いはある。でも短すぎてパンツ見えそうとかスースーするじゃないんだよな……。正反対で、長すぎる! 裾捌きを気にしながら歩かないとロングスカートを巻き込むのだ。歩きにくいようにして楚々とした立ち居振る舞いを身に着けさせるのが元家政高校の良妻賢母教育ってやつなのか。21世紀には逆差別利権化しているフェミニストの主張も、女性解放運動当時は正論だったと身に沁みる。主に足運びに沁みる。
TSというのはトランスセクシャル。体の性転換のことである。最近のブームでは、TG・TSどちらの設定で遊ぶのか派閥争いも起きているようだ。体を基準に捉え、精神が越境したと見なすのがTG。精神を基準に、体が転換すると解するのがTS。男から女になって男に惹かれる葛藤がTGの醍醐味で、女子とキャッキャウフフするのがTSの意義であるらしい。ふむ……。入れ替わりは主観的にはまぎれもなくTSの方になるな。
「司、おはよー」
林業集落との落合で、仲良しらしいクラスメートが足を止めて待ち受けていた。僕と体の持ち主の昭和JKは偶然にも名前が同じらしく、うっかり聞き落とさずに済んでいる。最初の時もこんな風に呼びかけられて、学校まで連れて行ってもらったものだった。
「ご安全に、真奈美」
「またネジ飛びモードじゃないかい……」
こういう鉱業と林業の町ではいつでも誰でも「ご安全に」が挨拶だという知識は嘘だった。今ではそう理解しているのだが、初回にやらかしてしまったのを踏襲する。変な状態を見せていく方が今日は要介護だなと把握してもらえる。なおこの時代は、要介護なんてネットスラングどころか、壊れてるという表現もまだナウなヤングの間でバカウケしていないようだ。ヘヴィと言って通じなかったマーティの気持ちを味わうことになる。
もともとの遠幌加別はこの林業集落と、山奥の小さな遠幌炭鉱だ。そこに東から地下を掘り進んできた南大夕張炭鉱が地上連絡エレベーターと社宅を建ててなんとなくくっついた。だから駅や小学校、郵便局は、古い集落に近い西側にある。これは娘がいまさら1km歩きをぼやいているのを聞きつけて親父さんが教えてくれたことである。言っては悪いが、一介の炭鉱夫ではなかなか持っていそうにない知識だ。幹部か技師なんじゃないかと思う。周囲に木造羽目板の漁師町のようなあばら屋が並ぶ中、このJK一家はコンクリート建てのアパートに住んでいる。どちらも社宅であり、その中で優遇されるには理由があるだろう。
遠幌加別川にかかる橋を渡る。鉄道の橋と並行している。何せ炭鉱鉄道だからSLを使い続け、SLが日常的に人を乗せて走る国内最後の路線となった頃には撮り鉄がカメラの放列を敷いたと伝えられている。しぶしぶ軽油機関車に切り替えてからはもう、見向きもされていないようであるが。
深い谷底からはもうひとつ謎のレンガ積みの橋の跡が立ち上がっている。鉄道以前にあった運炭馬車道を避けて線路を敷いたところ、結局馬車道を汽車道に作り直して要らなくなったものと言われている。
この橋のさなかで急に冷える。神送りされなかった鹿の呪いともっぱらの噂だ。橋が多いから鹿の臓物がよく引っかかっているのだそうで……。上流で猟師が血抜きついでに捌いて残滓を投げるのだ。ちょうどこの辺の丘の上に小学校があり、目撃した小学生のトラウマになって怪談ができる。ワイルドだな、昭和。現代だと駆除した鹿はそのまま堆肥に埋められるためこういうことは起きない。全部持ち帰って処理しないといけないので、肉に臭みが回ってしまい、食用に適さなくなるのである。せいぜい物好きな観光客にジビエや鹿カレーとして供されるぐらいだ。内臓をその辺に投げ捨てて肉を確保する時代と、産廃処理ルールに基づき食べられる肉ごと埋めて堆肥化してしまう時代。隔世の感がある。
神送りというのはあれだ、イヨマンテだ。正確にはイヨマンテは熊祭だから、鹿だと一般名詞的なカムイノミと呼ぶのが正しいか。アイヌは動物のことを異世界人がお土産の肉を付けて降りてきたものと考えており、食べかすにお礼を言って神の国に送り返すとまたお土産をつけて遊びに来ると信じていた。残滓にも粗略な扱いをすると罰が当たるという感覚。実際的に考えると、適当に投げといたら子供が怯えたりクマが漁りに来たりするからちゃんと貝塚に埋めろみたいな教訓かも分からんね。意外と現代に通じる教えだ。
ま、橋で気温が下がる実際の理由は呪いなどではない。高速道の渡河区間だけ凍結するのと同じだろう。道央道も室蘭に届かないこの頃はそういう常識がまだなく、怪異に思えたに違いない。
遠幌加別駅はオシャレなのか耐震補強なのか、斜めぶっちがいの木材が配された、北海道でもちょっと見かけない感じの木造だった。石炭ストーブがカンカンに焚かれている、がらんどうの待合室。落ちかけた蛍光灯。升目の多い黒板に1日上下3本ずつの時刻が侘びしく載っていて、衰退が傍目にも分かる。切符代は1駅隣の終点清水沢まで40円になっている。21世紀の日本をお騒がせ中のJL北海道だと初乗り170円である。炭鉱鉄道は福利厚生を兼ねてちょっと安い可能性があるが、さっき30円だったビックリマンもワンピースマンだと100円。やはり数倍になっている。ここ20年変わっていないといわれる日本の物価も、さらに12年前からだとバブル崩壊までにかなりインフレたようだ。
砂利敷のホーム。麗々と筆で描きつけた駅名が味わい深い。
「んーフォトジェニック。いい写真になりそう」
デジカメがまだないのが惜しい。ビデオカメラの普及が始まり、静止画しか撮れないデジカメは発売する意味がないと考えられて開発が止まった頃のようだ。
「あー。前に映画撮りに来た時、お爺ちゃんが活動写真って言ってたっけねー」
「映画なんか撮ってたんだ」
「ん。狩勝峠?」
知らない映画だなぁ。映画祭をやっているのは、幸せの黄色いハンカチ以外にもロケ地になってきたからだったのか。
ホームの向こうには山と川に挟まれた遠幌加別には珍しい広っ場が広がっている。貨車積み前の丸太を積んでいたスペースらしい。最近町中に合板工場を作ってそちらで加工するようになり、使わなくなったということだ。採って出しの一次産業から製品に加工する二次産業へ転換し、働く人を村や町に引き止めようとする動きが、この頃日本中の過疎地で起きている。遠幌加別も炭鉱があるから安泰とは思ってなかったんだな。
煉瓦色のディーゼル車が引いてくる木造のボロ汽車に乗り込んだ。なんと客車にも煙突が生えていてストーブが燃えている。火事になったらどうするんだろ? 石炭がいくらでもあるからって、昭和おっかねえな。ストーブのあるところの壁には燃え移らないようにトタン板を立てかけてあるけどさ。それぐらいで許されてしまう緩さが、時代だ。特急のエンジンが頻繁に吹き飛んで炎上する21世紀の北海道ではとても許されない。
ストーブのところの窓には坑内員募集とステッカーが貼ってあり、学生にアピールしている。スクラップ&ビルドで人余りだったが、規模縮小してずっと続けるつもりでいたから新人の若者は必要だったのだ。
さあ、今日はこのストーブを使ってみよう。うっかり触れてしまわないよう鳥籠みたいに囲われていても、投炭口のある側だけは必然的に開いている。僕は抱えてきたスルメをガサッと取り出す。いつかぜひ持ち込んで焼いてやろうと決めていたのだ。
「あっさごは~ん。レッツ焼きます」
10分しかないからサクサク行かないとね。しっかり固まったゲソを持ち、お世辞にもきれいとは言いにくいストーブの天辺、平らなヤカン台にちょんと置く。
「♪いか いか もーやけたかな いいかな いかが!」※自作楽曲
「えーと。司? それは、おかしいんでないかい……」
「急にフレーズが頭に浮かんで来たので」
しまったな、21世紀の宣伝ソングは良くない。誰かの頭に残って先に発表されたらパラドックスになる。
「じゃなくて。アタリメを焼くのがねー?」
「冬の風物詩、ストーブ列車」
ストーブを指差して訴えてみる。テレビで例年、今年も湿原号の運転が始まりましたと言って焼きスルメが取り上げられるほど、ストーブ列車では一般的な行為だ。湯沸かしなどに使ってほしくない場所には球形で何も載せられないダルマストーブを設置するのが北海道での嗜み。載せられるなら載せていいのである。21世紀の世の中では言い切れなくなっているが、緩く活用されていた昭和なら。
「なわけないっしょや」
真奈美フレンドはフルフル首を振る。おかしいな。焦っていて確認しなかった周囲を見回すと、ついと目を逸らされる。突然スルメなんか焼き出した僕をまじまじと見ていたようだ。……うむ。まずったか?
奇行の目撃者は限られている。東高は先だって廃校になり、北高へはバスが便利、なのだそうである。だから汽車通学は少ない。少なければ共犯にしてしまえばいい。
さっとひっくり返せば白くぷっくり火ぶくれができており、香ばしさが弾けてふわりと立ちのぼる。しゃぶりつきたくなる思いを抑えながら裏もじりじりと炙り、いよいよ焼き上がりを迎える。熱さをこらえて指先で裂き、口に放り込めば、海の滋味が何とも言われず、
(うまい……)
のである。
「改革の味、ペレストロイカのおすそ分けです」
言いながら真奈美フレンドの口にも押し込んでやる。
「……ヘペレポロイカ? あ、美味ひぃ」
この時期に現れた言葉だと思うが、まだなのか? 正確にいつから使われ始めたかは知らないからな。
スルメをちぎっては近くの席にもおすそ分け。口止めの賄賂だから受け取ってほしい。これがローカル線の旅の醍醐味であるかどうかはともかく、立って乗るのも苦痛な大都会の鮨詰め通学より豊穣ではあるだろう。だからってこちらの生活をメインにしたいとは思わないが、統合後の経済至上で失われたものも確かにあるみたいだ。限界集落じゃなく、まだ現役だった鉱山町でこのまったり感だから、お年寄りが昭和の国家分裂時代を懐かしむ気持ちも理解できるように思える。
道道より徐々に高くなる線路。火力発電所を石炭コンベアが取り巻く、21世紀ならば人気絶景間違いなしの産業風景を見下ろして清水沢に着いた。ここでは人間より石炭の方が偉いので、邪魔にならないよう隅にホームが設けられている。国鉄に至っては石炭を溜めておくスペースの向こうに追いやられているありさまだ。この時間、高校最寄り駅までの国鉄の汽車はないので、1駅分をバスに乗る。通学が妙に不便なのは、炭鉱用だった東高が先述の通りなくなってしまったせいだ。近くて不便な南高か、バス1本だが遠い北高か。改善が望まれるところであるが、炭鉱そのものもこの5年後にあえなく閉山することを僕だけが知っている。