配慮不足、知識不足、言葉不足
氷崎、冬部、雪平、犬(人狼)
氷崎視点
「犬。飯だぞ」
店主が床に置いた餌皿には、牛脂をふんだんに使ったチャーハンが盛りつけられていた。
喫茶店で昼食を終えたところの客二人が声を失い、無言で犬へと視線を向ける。
固唾を飲んで見守られる中、口輪を外された焦茶色の獣が嬉々としてチャーハンに食らいついた。長いマズルで器用にがっつき、飛び散った米まで一粒残さず平らげていく。
「……おい、店長?」
思わずと口を出した上官を見て、氷崎は安心して静観に徹し――
「どうした? 追加の注文か」
「いや、何だ、その……犬のエサ、それでいいのか?」
「本人の好みだ。脂が入っていないと文句を言う」
「……そんなに細かく意思表示すんのか。賢いな」
「欲望に正直なだけだ。賢いならテーブルマナーのひとつでも躾けている」
「犬のしつけってそこまでやるか……?」
――ピントのずれた会話の応酬に内心ひどく頭を抱えた。
本気? さすがに冗談……のトーンじゃないのが本当に嫌だ。
一から十まで変だらけだ。犬は雑食とは言うけれど、そのチャーハンはどう見ても高脂肪食が過ぎて健康上問題がないかとか。そもそも犬との十全の意思疎通は難しいとか。テーブルマナーに至っては意味がわからない。
大のおとな二人も揃ってこれとか嘘だと言ってほしい。
氷崎は周囲を見回す。喫茶店は閑散としていて、客は彼らだけだ。目の前のフワフワしたボケ合戦に冷や水をぶっかけてくれる大人は誰もいない。
武術外の分野の知識が多少やわらかめな上官はともかく。店主は諌める側だろうという氷崎の目算は完全にはずれた。頭のネジが緩めなバイトを実力行使で黙らせてまで店の治安を維持していたのは記憶違いだったろうか。
「……あの、店長さん」
参加したくはなかったけれど、これ以上の惨状も嫌すぎて氷崎は腹を括った。
「ん?」
「僕も犬は詳しくないですけど、あんまり人間の食べ物は与えないほうがいいんじゃないですか」
「普通の犬ではないから大丈夫だ。胃腸が特別に強く出来ている」
人間たちの心配などつゆ知らず、チャーハンを平らげた獣が満足げに丸くなる。
ぺろりと口の周りを舐め、大きな舌でネギの欠片を拭いとった。
――これは本当に犬だろうか。
氷崎は端末を取り出し、片手間に鑑別手段を検索した。
犬に近い獣。狼、ジャッカル、コヨーテ。外見の印象なら狼がそれらしいが。
ひとまず家畜化する以前の犬と捉えて――ネギで中毒を起こさない理由は分からなくとも――食習慣、習性、骨格や顔つき。そのあたりから差異を見出すことはできないだろうか。
「店長さん、犬を触ってもいいですか」
「……? 構わない。口輪を着けるから待ってくれ」
当の犬は「勝手に許可するな」と言いたげに唸っている。
店主を威嚇する犬が嫌々口輪をつけられるまで、氷崎は背後で静かに待ち。
「よし、いいぞ。……ただこいつは、犬として愛想の良いほうでは」
「大丈夫です。ありがとうございます」
首の付け根を背後から押さえて、伏せの姿勢を取らせた。
「ギャンッ!?」
「暴れないでね。怪我するよ」
焦げ茶色の毛皮を探り、皮膚の下の肋骨を数えていく。
骨格や筋肉。解剖上の差異があるなら確実かと結論付けた結果の行動は、ヒトとは異なる構造という点で難航した。
脚は細身だ。瞬発力より持久力に秀でているのかもしれない。
口輪越しの観察でも、歯や顎はかなり大型。家庭で飼うには立派すぎるほど。
間違ってもチャーハンを食べて発達した顎ではないだろうと仮説が立って、試しに骨でも砕かせてみれば知れることかと周りを見――
「……氷崎。そこまでにしとけ。犬が怯えてる」
「っくく、……好奇心旺盛で良いことだ。気に入ったなら少し貸そうか」
「おい店長……飼い主のあんたが馬鹿言うな。こいつが可哀想だろ」
冬部の言葉に賛同するように、キャインと覇気のない鳴き声が響いた。
拘束が緩んだ隙に逃げ出した犬は、飼い主を見切って冬部の背中に身を寄せた。
くつくつと楽しげに笑う店主ばかりが、上機嫌に氷崎を眺めている。
「暴力に訴えずこれを鎮静させたのは二人目だ。きっと調教師の資質がある」
「やめてもらっていいですか?」
身体に合った食事を与えてください




