哲学の自己逃避
目を閉じて考えてみる。
結城先生とついこの間話題にした存在意義について。
哲学の初歩であるだろう。
そもそも哲学っていうものは、小難しい事を小難しく考えて、自分自身がだした結論をより小難しく言いながらも、万人とまではいかないまでも、それなりの人に賛同を得ると言うような学問だと思う。
人は何処から来て何処へ行くのだろうだの命の価値、性善説に性悪説、おおよそ答えの出ない、あるいは出たとしてと言うような題をみずから問うていく。
趣味と言ってしまえば、それなりに理解できるのであるが、学問と言うようなたいそうな言葉で括られれば、怪しむか、取っ付きにくいと、敬遠されるものだ。
しかしながら、その哲学に近い類の行動をしている。
自意識の芽生えだとか、体あるいは精神的な年齢的なものを加味して、中二病あるいは青春と言うような呼ばれ方をするような時期だ。
他人と比べ、自己を評価し、この先の人生を悲観や楽観をし、そして何事もなかったかのように日常へと戻っていく。
存在意義とか考えてしまうのは、仕方の無いことだろう。
ただそれは、滝行で苦行をしているような哲学者から見れば、シャワーで、はしゃいでいる幼児のようなものだろう。
目を閉じて、存在意義とか考えてみて、時間を立てて、もう一度目を開いても、変わらない光景だった。
日常には戻れなかった。
「絶対あそこじゃんか」
「確かにアソコっぽいな井上」
眼前に広がる、牧歌的な緑が生い茂る風景、数えきれない大量のヤギ、そんな牧歌的風景から見える山には、暗黒雲と名付けられそうなどす黒い雲が渦巻いている。
「アイドルを目指している魔王がいるんだろ」
「魔王目指した魔王の間違いだろ」
南野社長から脅迫めいた志願書が届いたそうだ。
【アイドル目指しているのでスカウトしに来てください、来なければそちらの会社に出向いて潰れるまで暴れてやります、魔王三姉妹より】
聞く限り、最初からそっちが来いよと思う文面だ。
来たら暴れますと言うから来させるなと言うことで南野社長も僕等を向かわせたのだろうか。
「暴れるなら私の出番だったんだけどなぁ」
「キュアトロールや魔王三姉妹とやらに会社内で暴れるより、どこかで暴れて欲しいだろうね」
牧歌的なこの場所から、暗黒雲が渦巻く山へと僕とキュアトロールはあるきだした。