存在意義の青春
数学の小テストが渡されて数十分、あらかた回答欄を埋め、最終問題も四苦八苦しながら書き終わる。
故にA=Bである。
いや、それはもう最初からAだろうと突っ込みたくなる。
元々そういう証明をせよと出題されているのだから、そういう答えになるのだが。
なっていないとおかしいのだけど。
仮定と過程があっていなければ、正しい答えにたどり着く事が、出来ないとしても、たどり着いた先が徒労に思えることがある。
わかりきっている事を何故証明するのかと突っ込みたくなる。
小難しい言い回しと、小難しい理論でお前の正しさを証明しなければならないこっちの身にもなれ、二等辺三角形がと思う事もある。
だけど、しょうがない、二等辺三角形は自分で自分を証明しようがない。
まぁ徒労を紛らわせるには、数学の授業が終わるまでの暇つぶし程度には役に立ったと思う。
「授業中に存在意義とか考えていた、暇な井上君は、そんなに、暇だったら部室の掃除でもします?」
「しませんよ」
数学の授業中に不審な挙動をしていたので悩みとかあるのかと結城先生が、他の教師に挙動を注意深く見守ったりする様に言われたようだ。
不本意ながら前科者として目を光らせていると言うことなのだろうか、今も真面目だというのに、問題児として定義されてしまったのだろう。
「悲しいですねぇ」
「井上君、例えどんな残酷な現実でも目を背ける事なく立ち向かう若さがありますよ、井上君にはそれしかないとも言えます」
「別に僕が悲しい存在というわけじゃないです」
「井上君=悲しい存在は成り立つと思いますよ」
「確かに、結城先生とキュアトロール、ガチャ運とマイナス要素ありますけど」
「陰険とか卑怯とか、不真面目を付け加えるとより井上君に近づきますね」
「結城先生、事実無根を付け加えたら、遠ざかりますよ」
ん? 悲しい存在から遠ざかったほうがいいのではと首を傾げたが、まぁなんか不毛だけが目の前に現れる気がする。
「まぁ悲しい存在意義だとか決め付けるのはやめときなさい、そもそも存在を証明しようとか、考えるとホントにキリはないし、痛い目見るわよ」
「………別に悲しい存在とか決めつけてなんかいませんよ」
結城先生が真面目に悲しそうに見てくるなんて、案外真面目に生徒たる僕の事を考えているのかもしれない。
「あっ違ったわ 痛い目で見られるわよ井上君」