サトリの話
このような古寺迄きてご苦労だな。
アイドルグループ?
楽しませるかぁ。
楽しませるつまりは娯楽。
娯楽と言うものはいうなれば楽を楽しめるだけの余裕があるものが、興じるものだ。
余裕とは楽であると言うことである。
すなわち楽をしていると言う事になる。
人は、楽を覚えるとどうなるのか?
答えは、堕落する。
そう考えていたお前らのような浅はかな時もあった。
答えは、楽より楽を覚えようと努力するのだ。
なんとも矛盾だらけな答えであるが、それは致し方ないものだ。
狩猟という不確かな労働に見合わないものから農耕へと切りかわりながら、結局税として取られ労働に見合わないものへとなりかわる米の様に。
焚き火から釜戸、炊飯器から電子レンジへ切り替わってもまだご飯を準備するのが億劫であったり、自分ではやらぬが釜戸で炊いたご飯を求める様に。
楽をする側は、常に怨念ように当たり前に楽を求め、更に楽を求める。
楽をする発明の裏には、幾人幾千人の知恵も努力詰まっているのだ。
現状と言うものに満足出来なくなるから堕落をする、堕落したいから努力する。
無限のループに嵌りそうなぐらいそれらは繰り返されていると。
もっと楽をするには、もっと誰かに苦労をと言っているに過ぎないのだ。
誰かの積み上げた努力を否定して、誰かの知られざる苦労を否定して、便利さを求め、堕落を求める。
対価はお客様の笑顔。
そう綺麗事に落ち着かそうとしている。
そう考えた時には、世界は欺瞞に満ちていると言えないだろうか。
「何それ禅問答か何かか? 井上」
「働きたくないって事じゃない?」
「よし殴ろう、サルが坊さんの真似事とかニートか井上ばりのウザさだ」
「殴るのがはやい」
「サトリならミステリアスだと思ったんだけどな、うん隠居系で頭良さそうならミステリアスとは何だったのか」
サトリ、一般的には人の心を読むと言われている。
しかし、それとは同名の違う種もいる。
坊主の袈裟をまとい、人に悟りの道らしき妄言をとき、人の世の愚かさをとき、人の世を惑わすといわれていた。
宗教の弾圧が行われた際、当然の如く討伐された。
また、武者や短気な荒くれ者に殺された逸話もあるが、同名のサトリの話のほうが面白く、あるいはサトリではなく唯の坊主として伝わり、後世に伝わる事は、ほとんど無い。