負けて吠えもせず、振り出しに。
殴る。
単純明快な行為である。
単純明快な行為であるが故に、その行為を誰もが体験してしまうことが多い。
人のみならず、動物や無機物を含めたらの話だ。
ドラマや映画などの娯楽であるまいしこのご時世だとボクシングの様なスポーツあるいはそれに準じる様な武道でもなければそうそう体験しようとは思わないだろう。
殴るという行為は理性と知性とは程遠いものであるからだ。
知性と理性を併せもつのであれば、その行為を忌避したがることが正しいと判断する。
しかしその判断をしない者もいる。
その判断は正しくないと判断する者もいる。
そいつは野蛮であるし暴力的な存在であるといえよう。
もちろん、理性とか知性があるのならば、そういった暴力的な存在とは一歩でも二歩でも距離を置き、むしろ関わらない方が賢明な判断であり、正しい判断であるということになる。
暴力的な存在にわざわざ喧嘩を売るということは、暴力に屈しないなにかしらの理念があるかもしくはただただ愚か者であるかだろう。
「ちょっと止めてくださいよ」
こちら側に助けを求めてきたキュアトロールのいうところの猫なのに変態であるかもしくは、僕からただただ愚か者としか見えないシャムとなのった猫はキュアトロールに殴られていた。
キュアトロールの仲間である僕に何故か助けを求めてきているが、無理だということを言うだけでも、こちらに飛び火しそうなのであらん限りの拒絶のジェスチャーをするしかない。
ジェスチャーだと伝わりづらいかとも思ったけれど、拙くても単純なジェスチャーは、きちんと理解してくれたようである。
助けを求めているならまだまだ、余裕はある様に思えるので、どうにかこうにか頑張ってと心より願うしかないというのが、僕の無力だ。
シャムは次第に当たり前ながらだんだんと怯えながら謝罪の言葉が途切れ途切れに聞こえてくるが、マウントポジションで優位に一方的に殴り続けているキュアトロールに聞こえているのか疑問ではある。
シャムが悪役っぽい言葉を言い終わったのか終わって無かったのかわからぬうちに殴った。
シャムも僕も唖然としている間にさらに殴った。
殴って殴って殴り倒して、マウントポジションとってさらに殴っている。
猫の性どうのこうのという文言を言っていた事さえ霞む様にあり得ないほど、いきなりの事である。
どこか物陰でみていたのかネズミたちもチューと弱々しく鳴き声が聞こえて立ち去った。
僕も早くこの場から立ち去りたいと思うぐらいの時間が経った頃、キュアトロールがスッキリと汗を拭い、長靴を奪いとり勝ちどきをあげ、シャムを解放する頃には、シャムは可哀想に出会った時とはうって変わって、何も語らずトボトボフラフラしながら、長靴を履かず何処かへと去って行った。
「井上、これが魔法少女キュアトロールの愛の力よ」
「愛の力すげー」
戦利品の長靴をいらないとばかりにポイっと僕に投げ捨てる姿の何処らへんに愛があるのか、いやそもそもそれは愛の力かなのか知らないが、愛の一文字は絶対に余計だろう。
「邪魔者はいなくなったし、ライバルに勝ったとか何とかで、その長靴差し出せば解決だな」
「いやそもそも、力示したところでかぐや姫を幸せにする証明にはならないんだけど」
「あぁそれもそうか、まぁライバルが減ったんだからよしとしよう」
確かにそうでも考えないと、一方的に殴られ長靴まで剥ぎ取られたシャムが可哀想だ。
幸せを手にできなかったシャムの長靴をその場に置き捨てた僕が思う事ではないけれど。
「とりあえず、考えてみるよかぐや姫の幸せを表す物を」
「本当面倒だよな」