半々判子
判子を押すと言うのは、実に簡単である。
何故何処かのお偉いさんがやる様に、目を通した振りで、たかだか判子を押すという事で、仕事をやっているとでも思えるのか、前々から疑問に感じていた。
簡単にホイホイと押してしまえるのは、きっと偉い人ならではの特権なのだろう。
自分を困らせる事なんて出来やしないと目算を誤っているか、自意識が高いかのどちらかだ。
全くもって羨ましい限りだ。
信じられる確かなものが存在しているという事だ。
虚構にしろ、実在するにしろ、自分が信じられるという事は素晴らしいとしか言いようのない事だ。
それを否定してしまうことが、否定されてしまうことが、おきなければそれはそれは幸せに生きていけるはずだからだ。
ペラペラと薄い紙切れ1枚が、今日のありえない出来事があったにしては、その心許ない薄さ故に、否定するには、いやに現実的であるとも言える。
浮かれて簡単にホイホイと押してしまえと、車で自宅まで送って貰った時には、深く考えることなどないとまで思っていた。
お風呂に入った時には、うろ覚えのアニソンを口ずさんでいた。
一人での夕飯のカップ麺をすする時には、テレビのバラエティ番組でツボに入りむせてしまったぐらいだ。
振り返ってみると、本当に魔法少女キュアトロールなどと訳のわからない存在と出会って色々あったに当日にしては、何も考えていない。
何も考えなかった癖に、判子を押すという簡単な事が出来ていない。
たかだか学生である僕が、ニュースとかで聞き覚えのある守秘義務だの、交通費支給だのが、それこそ並んでいる書面を眠気が襲うほどまで、斜め読みを幾度も幾度も繰り返しても、未だに押せていない。
これを押してしまえば、騒々しい魔法少女キュアトロールの相棒として働くことになる。
お気楽な学生でいられなくなるかもしれない。
判子を押してしまえば、きっと何か変われるだろう。
でもそれは、何か何故か僕自身を否定する気がするのだ。
まぁそれでも、朝になれば、きっと歪んだ判子に苦笑する気がする。
良いからサッサと押せと言う今日出会ったばかりの魔法少女の幻聴が聞こえる前に、眠気のせいだと言わんばかりに、僕はこれからの現実に、手の震えがとまらないまま歪んだ判子を押す。
怖いのか楽しみなのかは知るよしもない。