死んで花実が咲くものか 35
11月18日の水曜日、朝。
携帯のアラームのおかげでなんとか6時30分に目を覚ました美佳は、母がお弁当を作っている音のするリビングへひょこひょこと向かった。
「おはよう。」
と掠れた声で挨拶して、テーブルに座って頭を抱え、う~、と唸ってみせた。母が娘の苦しそうな様子に気が付き、
「どうしたの? 気分悪い?」
と尋ねてきたのを幸い、美佳は
「なんか、頭が驚異的に痛いんだよね。」
と嘘を吐いた。
「あらあら、熱はあるの?」
この母の言葉に、なぜ頭痛なのに熱なのか……、と美佳は思ったが、もしや仮病を疑われているのではないかと思い、改めて計測するのではなく、とりあえずやや高めの体温を申告し、事を荒立てることなく学校を休むことに成功した。
そこではたと思う。
あっ、夕方、タマと会う約束してたんだった……と。
8時を回ると父が起きてきた。
朝の連続テレビ小説を観終わった父に、彼女が今晩相談したいことがある旨を伝えると、父は死にそうな様相の娘を前にして不憫に思ったのか、今日は早く帰るようにすると彼女に約束した。
朝、昼は美佳は自室に籠って身体を休めている振りをした。
午前9時前に父が会社に出掛けていった。
午後1時少し前、母が派遣会社に出掛けていった。
夕方、美佳は誰もいない部屋を抜け出し、tamaと会ったものの、一言二言交わしただけですぐに別れた。電話で断ってもよかったのかもしれなかったが、約束していたわけだし、本日のtamaとの思い出が欲しかったというのもあった。実際、
「オレはできなかったけど、ミヤちゃんは説得がんばってね。」
という月並な言葉に励まされた。
そして、夜になり父が帰宅し、晩酌を始めた頃合い。
美佳は本題を切り出す前のジャブとして、幽霊の話をしてみた。
「ちょっと聞くんだけど、幽霊っていると思う?」
彼女の問いに対し、予想されていたことだが父の返事は否定的なものだった。
父は娘の現実離れした質問に接して、どうせ怪談だとか心霊写真、都市伝説などの噂が学校で流行っているのだろう、くらいにしか考えなかったのだ。
「美佳、サンタクロースはいる、いない?」
父は父で、娘がどこまで本気で戯言を吐いているのか確認しようと試みた。
「いない。」
うむ、と父は思った。
「この世には神も仏も?」
「いないね。」
「夢見る少女じゃ?」
「いられない?」
「じゃあ、幽霊は?」
「いや、これがいるらしいんっスよ。」
先程までの娘の回答に満足していた父はここで驚かされた。
「いやいや、そこは連続でいないって答えるとこだろぉ? 神も仏もいないのに、どうして幽霊がいるんだよ? 父さん的には、100歩譲って神と仏の存在は認めてもいいが、幽霊だけはいないと断言できる。なぜなら、歴史が証明してるからな。」
「え? 証明されてるの?」
「ちなみに、美佳の言うところの幽霊ってのは、番長皿屋敷のお菊さんみたいな、恨めしや~って奴だろ?」
「そうそう。たぶんね。」
「そんなのがいるんだとしたら、殺人の容疑者が法廷に立つことはまずないだろう。みんなでああでもないこうでもないって言いながら、懲役1年にしましょうか? いえ、2年が妥当でしょう? いやいや、さっさと死刑にしちまいましょうって、殺された人の気持ちなんかそっちのけでのほほんと話し合ってるんだぜ? 1万歩譲って幽霊がいるとするなら、幽霊って奴はみんな最高にお人好しだな。」
「なるほど。」
「それに、幽霊がいるなら現行の宗教も滅びてなきゃ嘘だろ? あいつらときたら、漫画や映画の幽霊なんかよりよっぽど大きなスケールで殺し合ってきてるじゃないか。その最中、殺されて幽霊になった奴はなにしてたんだ? 幽霊になった途端に殺し合いがアホらしくなって、一服やってたってんなら、話は分かるがな。」
「おっしゃること一々御尤もでございます。」
「まあ、それでも父さんも頭から幽霊を否定するわけじゃないんだ。この世にはいないってだけで、あの世にはいるかもしれないし……、亡くなられた方の魂の話だからね、無暗に否定したりはしないさ。ただ、フィクションだとしても、死者を玩具にして面白がるべきじゃない、と、父さんは思うよ。」
真面目か!? と美佳は思ったが、口には出さなかった。ただ、
「常識的だね。」
とだけ返した。
それは決して悪いことではないのだから。殊、父親という立場の人間にかぎっては真面目が一番だ。だが、いまの彼女には父のその性格が障害になった。来週の火曜に死ぬんだと伝えて、なぜ? と聞かれたときに、幽霊に殺されるんだと言っても、相手にされないことは明白。そこでさらに2億円あれば助かりますぜ、などと言おうものなら、娘が親に対して詐術を用いるのか!! と怒髪天を突くに違いない。
パチンっと頭の隅でスイッチが切り替わった気がした。
美佳の中で一切の欲も焦りも消え失せ、心が全ての動きを止めた。
明鏡止水の心境。
いまは全てがクリアに見えた。来週の火曜に死にゆく自分の運命も、それにどう向き合えばいいかも……。
Yuiが校舎から飛び降りる間際に、“ 先立つ不孝を許してください ”という遺書めいたメモをなぜ残したかが、いまなら分かる気がした。
死んだ理由を明確にしたかったからだろうな、と彼女は思った。
娘が謎の不審死を遂げるよりは、自殺という確たる死因があった方がyuiの家族にとってまだ娘を失ったことへの未練は少なかろう、とyuiは考えたに違いない。
あの当時はまだ幽霊の存在に誰も気付いていなかったし、mimiとtakeが死んだだけで、まだCR内の自殺予告の真偽については検証段階だったから、yuiは家族に自分が死ぬことを黙っていたのだろう。
真偽を知ったうえで、予告後の数日を過ごしている私が話せないでいるんだ。
誰が真面目な顔して幽霊に殺されるなどと、ほかの誰かに話せるものか。
「誰がどんなに否定したって肯定したって、いるものはいるし、いないものはいない。それだけのことだよ。」
だから彼女は本題を切り出すことなく、そう言い残して父との話を切り上げた。
――――――――――
「というのが父とのおおよそのやり取りです。いまお話したように、父は幽霊の存在に否定的ですので、アテにはなりませんね。」
11月19日の晩。
美佳はtamaを伴い、JRI駅前の喫茶店で治子と会っていた。
美佳としては、本当はもう治子と長話をするつもりはなかったから、治子と顔を合わせたときにまず第一声で謝罪を述べ、次に、次回の自殺予告者には治子の方からコンタクトを取ってくれと懇願した。自分とtamaと治子の繋がりを最後に、治子がこの怪奇現象から手を引くのが懸念されたからだ。
一方、治子は美佳の様子の変貌ぶりに目を見張った。
目に宿る光りも話し方も、これまでの美佳とは異なったからだ。
まるで営業ができると勘違いしている先輩社員が後輩に接するようなスカした感じと、オタク気質な早口に捲し立てる感じと、棒読みの特訓中な感じを足して3で割ったような喋り方。
生気が感じられない表情。
それでいて次の人への配慮の言葉も出てくる。
諦観というよりは、達観してしまったのかしら? と治子は思った。
そして、治子は話し合いを遠慮した美佳の頭にそっと手を置くと、優しく撫でた。
治子の目には美佳が泣いているようにも見えていた。表向きは憮然としているものの、心の内のどこかに押し込められたこれまでの美佳が、きっと泣いているに違いない。きっとそのことには美佳自身も気付いていないのだろうけれど……そんなことを思うと、治子はとりあえず話を聞こうじゃないか、という気になって、約束どおり美佳とtamaを喫茶店に誘ったのだった。
そこで美佳と父とのやり取りを耳にした治子は言った。
「私の気持ちが少しは分かってもらえたかしら?」
と。




