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肝試し ⑰

 観音像をお堂から盗ったのは修だった。


 盗んだ理由は琢磨がそうしろと言ったからであり、修自身の考えではない。


「観音様を持って帰ろうぜ。」


 とそそのかされた当初こそ修は逡巡したが、


「近所の爺さん婆さんがちょこっと驚くだけさ。どうせ誰も観音様のことなんて気にしてないんだ。」


 などと説得された末に、体操服を入れていた袋に観音像を入れて持ち帰ってしまったのだ。


 家までの道中、観音像入りの袋を肩から引っ提げていると、しばらくの間は路上の人たちの視線や話し声に怯えさせられたが、琢磨と話しながら歩いているうちに良心は痛まなくなり、不安も消え失せていった。


 油断が引き金になり、帰り道の途中、像の入った袋を落としてしまい、像が砕けてしまうと、もう返却の気遣いもなくなった。あとはひたすら盗難の事実を隠蔽するほかないのだ。それが逆に、彼の心を強くした。


 いつもと同じ景色に、いつもと同じ時の移ろい、いつもと同じ友達との会話……。お堂から離れて、いざ日常の1コマに歩を進めると、もうなにも怖いものなどなかった。


 なのにその翌日、治子に幽霊が憑いていると言われたから、修はまた不安になったが、琢磨が彼女の言葉を嘘だと言ったので、修は琢磨の方を信じることにした。




 翌週の月曜日、墨が薄く滲んだような空模様に、しとしとと落ちる雨。


 古ぼけた体育館で行なわれた朝礼で、教頭が言った。


「G山の観音像がなくなったという報告がご近所の方からありました。みなさんが悪戯で隠したというわけではないと思いますが、もし、心当りのある方がいれば、先生に教えてください。」


 修は聞く耳を持たなかった。


 放課後、そんな修を治子が呼びつけた。


 雨は朝から降り続いていたが、治子は傘をささずに屋外に出て、同様に修にも傘をささないように告げた。見た目には細く白い切れぎれの糸が絶え間なく降っているようでも、実際に外に出てみると、それほど雨脚は強くなかった。


 降りしきる雨を気にも留めず、治子は学校のプールの裏、花壇や畑がある一角に向かい、修の前を黙々と歩いた。彼も傘をささずに彼女のあとに黙って従った。


 雨に打たれて、今日は花壇の花も虫も静かに息を潜めていた。


 雨天のおかげで水遣りがないので、今日は誰も花壇に近づく気使いがなく、2人きりで話すのには都合が良かったのだ。


 彼女は彼に観音像盗難の件について糾弾したが、彼が前回に引き続きシラを切ったから、とっておきの意地悪な想像の話を聞かせた。


「たくやんはあっちゃんを利用して真相を確かめようとしてるんだよ?」


 なんのことだか分かっていない彼に、彼女は冷ややかな視線を向けた。


「前のたくやんの顔の落書き、あれは前も言ったけど、幽霊がやったんだ。どの幽霊かっていうと、いま、あっちゃんの後ろにいる幽霊ね。振り向く必要はないよ。どのみち見えないんだから。」


 一瞬、彼の身体が震えたが、彼の素振りなど気にせず彼女は淡々と話を続けた。


「最初ね、私、その幽霊ってとってもユーモアがあって、洒落の通じる幽霊だと思ってたの。だって、観音像に目を描いたら、たくやんの方にも目を描き返したんだよ? しかも居眠りしたタイミングで。観音像の落書きを見たとき、へえって思ったもん。なかなか面白いことするねえって。でも、今度のあっちゃんに憑いてる幽霊は、たくやんのときと様子が違うの。」


「様子が違うって、なにが?」


 彼が語気荒く尋ねたが、彼女は無視した。


「もしかすると、お爺さんの幽霊って、別にユーモアもなければ、洒落の通じる相手でもないのかもしれない。ただ、単純にやられたことをやり返してただけだとしたら、どう? やり返すタイミングとかはよく分からないけれど。」


 彼女がギロリと彼を睨むと、


「盗難の場合はどう仕返しするっていうんだよ?」


 と彼が尋ねた。


「さてね。審判を下すのは幽霊だから、私には分からない。ちなみに、これはたくやんが私に言った台詞ね。審判を下すのは幽霊で、今度やられるのはあっちゃんだから、オレの知ったことじゃないってさ。」


 彼女の言葉に、


「そんなの、僕は聞いてない。」


 と狼狽する彼。そういう態度を示されて、彼女は彼のことが憐れになった。


「たくやんがあっちゃんにそんなこと言うわけないじゃん? 言えば、あっちゃんも怒るでしょ? あ、でもあっちゃんって、たくやんが観音像を盗めと言えば盗むんだし、死ねと言えば死にそうだから、ね? 喧嘩にもならないのかな? あ、そもそも観音像は盗んでないからね、関係ないのかな?」


 彼女は特に彼をからかいたかったわけではなく、ただ、次の手を考えるためにも観音像を盗んだことを認めてほしかっただけだった。彼に対して意地悪を言うのは彼女にとって苦行であり、だから彼と相対したのちの彼女の目には光がなく、死んだ魚と同じ目で、まったく感情の欠落した言葉を吐き続けていたのだ。


 彼は彼女の煽り文句に参ったのか、ついに


「観音様は僕とたくやんの2人で盗ったんだ。」


 と真相を漏らした。その言葉を聞いて、ようやく彼女の目に光が射した。


「じゃあ、いまからダッシュで観音像をお堂の中に返したら? 私、観音様のところで待っててあげるよ?」


 この期に及んで誰を責めるでもないからと、彼女はとにかくやるべきことを彼に伝えたが、彼は首を横に振った。


 像は壊れてしまったし、それに返却の余地がなくなってしまったから、証拠隠滅のために像は砕いて海に投げ捨てたと、彼は言うのだ。


 ここに至って彼女の思惑は破綻した。


 彼を無暗に怯えさせまいとして、いままでの話はすべて嘘でしたと彼女は彼に伝えたが、結果として彼は混乱した挙句、怒りを露わにして彼女の頬を叩くと、そのまま帰っていってしまった。


 彼女は1人取り残されると、お尻が濡れるのも厭わず花壇の淵に腰を下ろし、呆然と暗い空を見上げた。

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