生霊 ⑤ (仮)
リビングに現われた女はまるで身体に血が通っていないかのように肌が白く、肌の露出した部分には瘤だらけの太い静脈がくまなく這っていた。とはいえ、決して筋肉質というわけではなく、ただただ病に蝕まれているかのような身体だった。そして、焦点が定まらない目が彼女の不気味さに拍車を掛けていた。黒目はキョロキョロと絶え間なく揺れて、彼の方をじっと見るということがなかった。
容姿は虚弱病弱なのに、これまで彼は圧倒的な力で彼女に組み敷かれてきた。
組み敷かれたあと、彼を待っていたのは彼女による拷問にも似た暴力だった。
だが、彼も彼女に対し、無抵抗だったわけではなかった。
夢に彼女が現われ始めてから三度目には彼女をやっつけようと思い、暴力を振ることを厭わなかった。素手では太刀打ちできなかったので、その翌日にはスパナや包丁を使って女を殴り、切り付けた。だが、殴っても切っても、彼女に堪えたような様子は見られなかった。
彼はこの夢が“ 幽波紋”による攻撃じゃないかと疑ったりもしたが、幽波紋は幽波紋使いでないと視認できないはずだ、と考えを改めた。っていうか、そもそもアレは漫画じゃないか!
この1週間で彼はこの女が夢を支配する“ 化物 ”だと認識して、次こそは、次こそはこの化物をやっつけてやる、とずっと考えてきた。
そして、今晩は夢の中の部屋を破壊する作戦を決行するつもりだった。
「おう、お前が何者なのか知らねえけどよぉ! やるなら夢の中でコソコソしてねえで、外でかかってきやがれってんだ!」
そう啖呵を切ると、彼はリビングに突っ立っている彼女を蹴り倒した。
それから流れるような動きでガスの元栓を開けて、部屋の中にガスを放出させた。彼の履いているズボンのポケットにはライターが入っていた。ガスが部屋全体に充満したタイミングで着火すれば、この部屋と一緒に化物も木っ端微塵になるはずだ。
この部屋の崩壊は夢の世界の崩壊と同義……であってほしい、と彼は願った。爆発後、彼は無事に夢から目覚める、という算段。
蹴られて転がった彼女は起き上がると、ノロノロと化物らしい緩慢な動きで彼に近寄った。揉み合いになった挙句、彼はいつものように彼女に組み敷かれた。彼女は焦点の定まらない目で彼を見据え、口の端を二ィっと吊り上げた。
その表情に、彼の背筋が一瞬凍りつく。
彼に馬乗りになった彼女が彼の耳を齧り、引き千切る。
激しい痛みと痺れが脳内を駆け巡ったが、夢の中で耳を千切られるのもすでに体験済みだったから、それは予期していたとおりの痛みに過ぎなかった。
といっても、反撃ができなければ状況は好転しない。
彼女による激しい攻めにボロボロになりながらも、しばらくすると彼はガスの匂いを嗅ぎ取った。床に転がった状態の彼の鼻にまで臭ってきたということは、ガスが部屋中に充満してきた証拠。彼は落ち着いてポケットからライターを取り出すと、火を点けた。
瞬間、空気が歪み、続く轟音とともに彼の意識は消し飛んだ。
目が覚めた。
いままでの目覚めと異なり、今朝は酷い夢を見た、という感じがした。昨日までのような、優しく甘い印象はなかった。とはいえ、どんな夢だったかとなると、やはり記憶が覚束ない。
寝起きなのに心臓の拍動が妙な気がした。
彼は確実に昨日よりもやつれていたが、それでも遅刻することなく出社した。
会社で彼を見た同僚の女であるハルがクスッと笑った。
「今日の幽霊の髪型、とても芸術的だわ。」