エピローグ ⑲
今朝のハルの口応えの原因が小影にあるのではないかと考えた治子だったが、その点に関して追及するのは無意味だと思い、口をつぐんだ。
治子自身も口にこそ出さないが分かっている。
自分のしている仕事が社会的に間違っていることだということを。
だが、治子個人に限定して言えば、そのかぎりではない、というのが彼女の見解だった。
いつもハルに聞かせていたのは“ 自身の仕事を正当化するための理由 ”の中でも枝葉の部分。その根幹ともいえる本音の部分は、ハルに憑かれたことに起因するものだった。
一般人が経るはずの段階をすっ飛ばされて、大人の社会に放り込まれたことによる恐怖と不安。
失われた10年間を取り戻すためにも残り少ない若い時期を労働のために浪費するわけにはいかないという焦り。
霊視能力に加え、ハルが傍にいるという一種の才能。
これら本音の一部は、“ とどのつまりが、生きてくためだ ”というように、冷静さを欠いた結果として先程、ハルに伝わっている。
だが、彼女は絶対、直接的にハルのせいだとは言わない。
言えば、ハルとの関係が崩壊すると思っていたから。
「ああ、分かってる。ごめん。言い過ぎたわ。」
テーブルに片肘付いてうなだれながら、一言、治子がハルに謝った。
謝罪を受け、ハルの顔には悲痛の色が浮かんだ。
「ねえ、ちょっとさ、別の仕事の話をしよ? これまでの話とは関係のない、新しい仕事の話。」
治子がハルに真剣に謝るというのは稀有なことだった。
治子の心がいま、痛いって言ってんだ……、そう思うと、ハルも思わず痛そうな顔になってしまった。だからハルは治子の心の傷口に薬を塗る思いで、精一杯がんばって笑みを浮かべながら、明るく言った。その瞳には薄らと涙も浮かんでいた。
「どんな仕事よぉ?」
治子はそんなハルの涙に気付かないふりをして、うなだれたまま、ぶっきらぼうに尋ねた。
「私と治子の2人にしかできない仕事でぇ、誰かに感謝される仕事! ありがとうって言われながら、100万円貰うって感じ。」
「いまの仕事でも安徳寺の先生はお礼言われてるでしょ。仕掛けを作る裏方やメーカーの人間は基本、エンドユーザーとは対面しないからさ。」
「またそうやって屁理屈ばっか! そういうことじゃないでしょぉ?」
「ふ、ああ、分かってる。分かってるよ。」
治子はいつだってハルが自分のことを思ってくれていることを知っていた。
「そうだよ。治子は最初から私の言いたいこととか分かってるくせに、変なこと言って煙に巻こうとするから性質が悪いんだ。」
「それは随分な言い様だね。」
「自覚してるくせに。」
「ああ、それも分かってる。」
「ほら! もう、最悪。」
だからハルと本気の言い合いになれば、勝てないことも知っていた。
いくら自分が理論武装してみせたって、最後まで攻め込むこともできないし、そうして攻めあぐねている間に、結局、ハルの深い愛情に打ちのめされてしまうのだから。
本当にありがとう……と治子はハルに対して思う。
いまの仕事に代わる新しい仕事の話なんてまったく進展をみせていないのに、すでに治子はハルに軍配を上げようと思っていた。
「でも、水戸黄門ごっこも私は好きだったんだけどな。」
ぽつりと治子が言った。
「え? 水戸黄門ごっこ?」
「そ。私が黄門様で、ハルが助さん格さんで、標的が悪代官、取り巻きが越後屋っていうね。」
「ああ、仕事の話か。」
治子の突飛な発言をハルは鼻で笑った。
治子がいまの仕事に対してそんなイメージを持っていたであろうことは予想していたから、まさにそのとおりだったことがおかしかった。
「私には印籠はなかったけれど、たとえ黄門様に印籠がなかったからって、彼が正義でなくなるかと言えば、そうじゃないけどね。ま、そのときは相手が平伏しないだろうから、チャンバラの結末は暴れん坊将軍みたいになるんだろうけれど。」
「将軍様の方はちゃんと成敗するからね。連れもちゃんと敵を斬るし。」
「人の命って儚いね。」
「生き物の中では長い方の部類に入るんじゃない?」
「はは、変なこと言ってごめん。」
「大丈夫だよ。治子は変な奴なんだから。」
「ハルほどじゃないけどね。」
2人の雰囲気が和やかになったからか、小影がトコトコと2人の傍までやってきて、
「仲直りしたの?」
と眉をへの字に曲げて尋ねた。
「いや、してないよ。ウチらそもそも喧嘩とかしてないし、最初から仲良いし。」
治子は前屈みになって、小さな小影の顔を覗き込みながら、小影の両のほっぺを軽く抓んだ。
「もう、だからそうやって冗談ばっか!」
子供相手に捻くれたことを言う治子を叱るハル。
小影の横に伸びた顔を見て、小影はかわいいのぉ、と微笑む治子。その一方で、なんでこの子ウチにいるんだろ? と思った。
ま、いっか。
「ハル、小影の食器とか買いに行こっか?」
治子が小影を抱え上げて、ハルに提案すると、
「行くぅ!」
治子に抱っこされた小影が、治子の腕の中で嬉しそうに答えた。