エピローグ ⑰
時刻は午前10時過ぎ。
6畳間の洋室、開け放たれた窓にかかったレースのカーテンを微風が揺らすと、物干し竿にかけた洋服もふわふわ翻り、ラベンダーの香りとともに温かな日差しが部屋へと差し込んでくる。
テレビのワイドショーからは数組の家庭が抱える夫婦間の問題をあれこれを話す声が響く。
小さな丸テーブルの上にコーヒーカップが2つ、湯気を立てていた。
テーブルを囲み、膝を崩して向かい合う治子とハル。
治子はハルの仕事拒否の言葉を受け、短くそれに応じると、
「はい、この話はこれで終わりね。」
と、明るい調子で言い放ち、早々に話を切り上げようとした。だが、今朝のハルはまだ引き下がらない。
「ねえ、この際はっきり言っとくけど、治子のやってる仕事ってのは、盗人と同じだよ。」
いつにない剣幕のハル。彼女がここまで直接的な単語を用いて治子の仕事を否定するのは初めてのことだった。
「ん? いま、話は終わりって言ったんだけど。」
治子の顔から笑みが消えた。
「小影のこともあるから、今朝はとことん話し合いたいんだよ。」
「じゃあ、話しなよ。聞くだけ聞いてあげる。でも、私からはなにも言わないよ。」
「それじゃ意味ないじゃん。聞いたら、返事してくれなきゃ。私は治子の仕事に対する上っ面だけの耳触りの良い言い訳じゃなくて、本音が聞きたいんだ。」
「そんなの、言うわけないじゃん。」
「なんで?」
「なあ、あんまり質問と理屈で私を追い込むなよ。あんまり口が過ぎると、こっちだって言いたくないことまで言わなくちゃならない羽目になるんだから。そのくらい、分かるでしょ?」
治子が肘をテーブルに付くと、ガチャンとコーヒーカップが揺れた。一瞬、ビクっとハルは肩を竦めた。厭な雰囲気になるなと感じたが、それでも彼女は勇気を出してまた一歩踏み込む。
「むしろ、その言いたくないことってのを聞きたいんだよ。それを聞かずに、話は終われない。」
「お前なんなんだよ? 朝っぱらから気分悪いわ。」
案の定、治子の様子が苛立たしそうなものへと一変する。
「一緒に暮らしてるんだから、隠し事はやめてよ。」
言いながら、ハルはこの台詞に罰の悪さを感じた。いつから私はこんなふうに言えるほど偉くなった?
「分かった分かった。じゃあ、これだけ言うよ。とどのつまりが、生きるためにやってんだ。」
投遣りとも思える言い方で答える治子。
「答えになってないよ。だからって泥棒をしていいわけじゃないでしょ?」
「そうやってまたお前は、上っ面だけの耳触りの良い言葉、を私に吐かせるための質問をするんだ? そういうのはいままで散々話してあげたつもりなんだけど。」
「生きるためって言ってるけど、だったらほかにもやりようがあるでしょ?って言ってんの。盗人稼業なんていまどき流行りゃしないんだから。」
「良い悪いで語るなよ。そういうのは不特定多数の前で講演でもしてやればいいんだ。いまハルは私に話してるんでしょ? じゃあ、私のための言葉を選べよ。一般論なんて私は知らない。なぜなら、私が一般的じゃないから。」
オブラートに包んではあるものの、治子の本音が徐々に吐露されているのをハルは感じた。それらの言葉は耳に優しくないモノばかりで、聞けば聞くほど治子のろくでもない考え方が明るみになっていった。