エピローグ ⑮
深夜、蒸し暑さに目を覚ましたハルは、女の子の幽霊が板の間に横たわっているのに気付いて、彼女にタオルケットを掛けた。
彼女を即消そうとした治子と違って、ハルは彼女に幾らか同情的だった。
彼女がこれまで過ごしてきた時間は、ハル自身が治子と出会う以前に過ごしてきた時間と同じなんじゃないかと思った。いつもは真っ暗で、気付けばときどき思い出の場所に佇んでいて、だけど特になにをするでもない漠然とした時間の中の住人。
伊藤重信……重チー。
顧みれば、重チーは治子との距離がすごく近かったと思う。
当時、Sにいる子供は誰もが遊び相手になり得たし、お互いに声を掛けたり掛けられたりはふつうのことだった。だから彼と出会った日に一緒に遊んだことにも、特に違和感はなかった。
だけど、この子とはなんの縁もないし、歳も離れている。
この子を消すことに躊躇する必要はない。
“Y同士がお互いを意識したとき、それ即ち殺し合いの始まりを意味する”
治子が冗談めかして言っていたが、動き出した幽霊に対して為す術がなかった当時のことを思えば、あながち間違った考えでもなかった。放っておけば、この子だって重信のように生きている人たちに危害を加えるかもしれないのだ。
だけど……、とハルは治子のことを考える。
ハルはずっと前から治子がいつもハルと一緒にいることを気に病んでいた。治子の交友関係といえば美佳、tama、安徳寺の住職、バスケットサークルに商店街のおじさん、おばさん、美容院の店員といった具合に、それほど広くはなく、その多くは付き合いの浅いものだった。サークルには同年代の男性もたくさんいて、これまでにもいくらでもお付き合いに発展させるチャンスはあったのに、治子ときたらそういうことには無関心で、子供のように純粋にバスケを楽しんでいるばかり。
治子は14歳当時の感覚のままでいる……とハルには思えた。
生活のために奇妙な金策に手を出したり、傍にいつもハルがいたり、東京にいるから家族の目が及ばないなど、いろいろと環境の変化はあるものの、基本的に治子は当時の治子のままだった。ハルにとってはそれが懐かしく、また嬉しくもあったし、またそのおかげでハルは幽霊の姿に戻ったあとでも、想像以上に楽しい生活を送ることができていた。明日も、また明日も、この生活が続くといいな……とは願うけれど、それが1年後、2年後も続くとなると話は別だった。それに、働き方も考え直さなければならないし。
変わらなきゃ嘘だよ。私との関係も、周りとの関係も、時の流れとともに、それはどんどん変わってゆくモノなんだ。その先で、誰かと一緒に幸せになりたいと思えたら、それ以上のことはない。そして、治子の思い描く幸せな未来の絵の中に、私がいてはいけないんだ。
もしも自分がいるせいで治子が変われないでいるのだとしたら……。私の居場所を守るために、治子の隣の席をほかの人に開け渡せないでいるのだとしたら……。
そんなふうにハルは思っていたから、女の子の幽霊が治子が変わるきっかけにならないかとも考えたりしたわけだ。
タオルケットの上から女の子の幽霊のおなかをポンポン叩きながら、今度は治子の方を見る。ベッドの上で眠る治子。ベッドの隣にハルの布団が敷いてあり、さらにその隣の板の間に女の子の幽霊が眠っている。こうして見れば狭い部屋に3人すし詰めで賑やかだが、実際は治子1人しかいない。
治子、私のために1人でいちゃダメだよ。
ハルは布団に潜りながら、明日は女の子の幽霊といろいろ話してみよう、と思った。