エピローグ ⑬
公園の広場にポツンと一本だけ植わっている銀杏の木。周りは整地されていて、こっそりとバスケをするには申し分ない環境。薄暗くて少し離れれば顔も判別できないほどだったが、ワンオンワンなのでそれも特に苦にはならない。ただ、相手の目が見え難いのと、相手の身体の動きを瞬時に把握するのに難があった。とはいえ、それもお互いに同じ条件だからと割り切ってしまえば、割かしどうでもいいことだった。
「あと7本。」
ゴール下でボールを拾い上げたハルに対して、治子が告げた。2人は最初に10本先取した方が勝ちというルールでワンオンワンを繰り返しているのだ。次の仕事も決まっていなければ、当然明日も仕事をしないので、2人は時間が経つのも気にせずバスケをしていた。薄暗い公園に治子1人の嬌声、悲鳴、笑い声が響いたが、その声は誰の耳にも届かず、夜の澄んだ空に吸い込まれていく。周りには幼稚園児もその保護者も、不良少年も浮浪者も、草臥れた営業も失業者も、誰もいない。
「あと2本。」
8本目のゴールを決めたハルが治子を睨みながら言った。遊びではあったが、ハルは真剣だった。負けた方がマッサージをする、という勝者へのご褒美もプレイ中は頭から消え去り、とにかく相手に勝とうと一生懸命だった。
「ふん、これ決めて先にリーチ掛けさせてもらうよ。」
真剣なのは治子も同じだった。
「あ、あそこに人がいる!」
ドリブルしながら、治子が小さく叫んだ。
「は? なに見え透いた嘘言ってんの? そんなの通用すると思ってんの?」
その治子の言葉はハルの視線を誘導するための作戦だとハルは思った。
「いや、マジで。人がいるんだって。」
逆に治子の方が視線をハルから外して訴えた。ハルはその隙を逃さず、治子からボールを奪う。
「なかなか迫真の演技だったけど、策士策に溺れるってなぁ、いまの治子のことを言うんだろうね。」
ハルがドヤ顔で治子に告げる。
そんなハルの表情など一切目に入らない治子は人影の方を見ながら、
「いや、あそこだって。見てみって。」
しつこく繰り返す治子に辟易しながら、ハルが治子の示す方を見ると、確かに人影がある。しかも大人ではなく、子供のようだった。こんな時間に? って、別にどうってことはないんだけど……とハルは思った。近所の子が夜涼みに来てるんだろう、くらいの感覚。
「いるけど、別にいいんじゃない? なんか子供みたいだし、暗いから分かんないでしょ?」
ハルの頭の中にはもう治子とのワンオンワンのことしかなかったので、他者の視線に対して、結構大胆になっていた。
「そんなことより続きしよ?」
そう言って治子にボールを放るハル。
プレイを再開してまもなく、気が付けば、その子供が2人の近くまで来ていた。ゴールを設置した銀杏の木の近くのベンチに、その子はちょこんと座っていた。さすがに近過ぎるので無視するわけにもゆかず、2人はその子の方へ歩み寄った。
「ハル、この子……。」
「うん、Yだね。私のことも見えてるみたい。」
「消しとく?」
「ええ!? なんでいきなり?」
「そらぁ、Y同士がお互いを意識したとき、それ即ち殺し合いの始まりを意味するとかって言うじゃん?」
「いや、聞いたことないし。」
「うん、私の中のルールだからね。」
「ちょっと黙ってなよ。」
「へえへえ。」
物騒なことを口走る治子を背後に押しやって、ハルがその子と相対する。子供は8~10歳くらいに見える女の子だった。
「こんばんは。」
ハルがまずはふつうに挨拶した。
女の子は黙ってハルの顔をじっと見ている。
「ほら、挨拶をシカトとか、完全に喧嘩売ってんじゃん。」
外野から野次が飛ぶ。が、ハルはそんなの気にしない。
「なにしてるの? 迷子になった?」
女の子はその言葉にも返事をしない。
「天国へ連れてったげようか?」
「お、なかなか気が合うじゃないですか。」
ハルの言葉に外野が同意を示す。
「もう、冗談だから。」
「本気だったら面白かったのに。」
「私も入れて。」
2人のとりとめのない会話に女の子が割って入った。
「は? 私たち遊んでんじゃないのよ。バスケしてるの。」
治子が女の子を突き離すように言った。
「そうなの。いまは勝負の途中なんだ。だから、もしまた会えたら、そのとき遊ぼうね?」
そして、ハルも女の子の要望を切って捨てた。
2人はいま、真剣勝負の真最中だったから、子供に構っている暇なんてなかった。むしろ、人影が幽霊でよかったくらいに2人は思っていた。