エピローグ ⑪
日曜夜のI区の区民体育館。
地域のバスケットボールサークルに所属していた治子は、メンバーと並んでのモップ掛けを終えて、これから帰路に着こうとしていた。
「児島さん、よかったらこれからご飯食べに行きません?」
サークルメンバーの男が体育館のエントランスで治子に声を掛けたが、
「いえ、私、この子を家まで送ってかないといけないんで。」
と、彼女はお決まりになった彼への断り文句を告げた。
「もちろん、花沢さんも一緒に。帰りは僕が車で送りますよ。」
「ありがとうございます。でも、すいません。この子。門限がありますんで、寄り道とかできないんです。なので、また機会があれば。」
「そうですか。じゃあ、また来週。」
そう言って体育館をあとにする男。治子の隣に立っていた美佳が
「お疲れさまでした。」
と男の背に声を掛けた。
「じゃ、行こっか?」
治子はそう言うと、美佳と並んで有料駐車場の方に向かった。街灯にヌラリと輝く白色のSUV。治子の所有する新車だが、すでにフロントのバンパー側面に凹みが見られるのはご愛敬。なにしろ車を買ったのも最近のことなら、免許を取ったのも最近のことなのだ。で、どうせまたどっかにぶっつけるから、という理由で彼女は錆止めスプレーだけを塗布したまま、凹み自体は放っているのだ。
「いいんですか? 小笠原さん、前から治子さんのこと誘ってますけど。」
「いいのいいの。別に私のタイプじゃないし。それよりも美佳と一緒にご飯食べに行く方が楽しいわ。」
「それはありがとうございますけども……。」
美佳は治子が自分に気を遣い過ぎて、せっかくのチャンスを逃しているような気がしてならなかった。
カチャっとロックが外れる音と共に、サイドランプが明滅する。
「お金払ってくるから乗ってて。ハルもね。」
「失礼します。」
美佳はドアを開けると、そう呟いて助手席に腰を掛けた。まもなく後部ドアが開閉すると、それでハルが乗車したのだと分かった。
「ねえ、ハルさんは治子さんの男性関係とか気にならないんですか?」
料金を支払っている治子をフロントガラス越しに見ながら言うと、その直後、背後から髪の毛をワシャワシャされて小さく悲鳴を上げる美佳。
「ええ? 私なんかマズイこと言いましたぁ!?」
後ろに振り向いてそう言うと、今度は首根っこを緩く掴まれた。
「や~め~て~く~だ~さ~いぃ! すいません、もう言いません! 男の話はNGで!」
ガチャっとドアが開くと、
「あら、ハルと遊んでくれてたの? さすが美佳ね。」
と治子。彼女はフロントガラス越しに見悶えている美佳を見ていたのだ。
「ちょっと治子さん! 私、ハルさんと話したいことがあるんで、ちょっと通訳してもらっていいですか!?」
少し語気も荒っぽい美佳の言葉を治子が了承する。
「ハルさん! 治子さんの男関係について聞くと、なにかマズイことでもあるんですか!?」
言い終えると同時に、また首根っこを掴まれる美佳。
「おおおおおおお、おおおおおお、す~い~ま~せ~ん~!!」
そして、また身悶える美佳。そんな2人を見て、微笑む治子。
「なんか分かんないけど、ハル、とっても楽しそうだよ。」
治子が美佳に伝えると、
「いやいや、楽しそうにされても困るんですけどぉ?」
と美佳が憤慨する。
そんな彼女の様子を鼻で笑う治子。
ハルがこんなふうに遊べる相手は、いまのところ治子と美佳、そしてtamaの3人だけだった。ハルの存在やハルと治子との繋がりは絶対に他人に知られてはならない。だから、治子は無意識に他人と一定の距離を置いてしまう。ましてや男性とのお付き合いなど、いまの彼女には考えられないことだった。部屋はハルのおかげでいつも綺麗だし、いろいろなモノが2人分揃えてあるしで、誰かに部屋の中を見られてしまうと要らぬ詮索を受けかねない。
ハルはよく私に尽くしてくれている、と治子は思っていた。だから治子も、せっかくだからハルにもいまの生活を楽しんでほしかった。
一度、ハルに、
「幽霊の友達って作れるものなの?」
と尋ねたことがあった。
「それは謎だね。」
というのがハルの回答だった。
「私の方はどうでもいいんだけど、そっちはどうなの? タマは? まだ美佳がバスケするのに反対してる?」
エンジンを掛けながら、見悶える美佳に尋ねる治子。
「そうですね。アイツはなんか、私が勝手にいろんなことをするのが面白くないのか知らないけど、一々口出ししてきますからね。ほっといたらいいんです。アイツの場合、私を束縛したいのか、逆に私に束縛してほしいのか、よく分からないですけど。」
「ふ、タマだったら、たぶん、束縛されたいんじゃない?」
「無理だな。面倒臭いッスもん。」
「まあね。」
そんな話をしながら、治子は自分とハルの関係について考えてみた。
私は特にハルを束縛してないし、ハルも私を束縛していないよね。ってか、そういう関係じゃあないか。