エピローグ ⑤
1度目の呼び鈴には太一が応対したから、2度目は彩香がドアを開けることに。
ドアを開けてみると、そこには背の低い女の子が立っていた。黒髪に襟のある白いシャツ、紺のスカートに、まだ幼さの残る顔……彩香は一見して、その子は部屋を間違えたか、あるいは宗教関係のビラ配りのマスコットガールだろうと思った。
「夜分遅くに申し訳ありません。こちらのお部屋では、幽霊を歓迎してくださるという風の噂を聴きまして。」
にこやかにそう告げる女の子に
「ごめんなさい。よく分からないけど、別に幽霊もなにも歓迎してないの。お父さんかお母さんは? 一緒じゃないの?」
幽霊という単語に彩香は、やっぱり宗教関係か、と思った。夢の中で、いまも彼女の傍では見知らぬ女が泣いているというのに、不意を突かれた状況に対し思考はあくまで現実的にしか働かなかった。
「むむ、歓迎していないなら、それはそれでいいです。お邪魔します。」
ムスっとした女の子はそう言うが早いか、靴を脱いで彩香の脇を通り抜けて土間から部屋へと歩を進めた。この身勝手な振舞いにはさすがの彩香もムカっときて、女の子の後ろから肩を掴み、
「ちょっと! なに勝手に入ってんの!?」
と強めに叱ると、女の子は首だけ動かして横目に彩香を見ると、
「不法侵入とでも言いたいのかな? でもね、幽霊はいつでもどこでも、たとえそれが夢の中であっても法の外にいるの。」
と説明した。そのとき、初めて彩香は幽霊という単語に反応して、反射的に掴んでいた肩から手を離した。
「え? いま、なんて……。」
自分の耳を疑い、思わずそう尋ねる彩香だったが、女の子はその言葉を聞いていたのかいないのか、
「ちなみに、こちらの幽霊の戦闘力が5だとしたら、私の戦闘力は億千万だから。ゴーだけに……。」
と、足元で啜り泣く女を一瞥したのちに冗談染みたことを言った。
「ちょっとタッちゃん! こっち来てよ!」
パニックに陥り掛けた彩香が太一を大声で呼ぶ。洋室から様子を窺っていた彼も渋々リビングに顔を出した。だが、太一と彩香が雁首揃えたところで、なにをどうすればいいのか、一体、自分たちがどうしたいのかさえ分からなかった。
恐怖と疑念とで表情を強張らせている2人に対し、女の子は話を続ける。
「あなたたちも運がいいですね。こちらの方は今夜で見修めですから。」
2人は黙ったまま女の子の動きを注視した。彼女が何者なのか、というのがいまの2人の最大の関心事だった。女の子はその場にひざまづいて、泣き続ける女の肩に手を置き、その顔を下から覗き込むと、
「ねえ、なんでまだこんなことしてるの?」
と女に話し掛けた。だが、女は嗚咽を漏らすばかりで、女の子の声が聴こえていない様子。
「苦しいの?」
とまた女の子が尋ねる。
「悲しいの?」
女は女の子の問い掛けに一切応じず、ひたすら泣いている。
「知らないってことは思うけど、一応……、あのね、琢磨は、佐藤琢磨は死んだらしいよ。」
醜い姿に、闇の底から這って出てきたかのようなおどろおどろしい泣き声が、女の子の心を締め付けた。
「う~ん……。」
女の子はもう、にっちもさっちもいかないなと思った。
「いま、楽にしてあげるね?」
女の子がそう告げてまもなく、太一と彩香は空気が振動するのを肌で感じた。同時に女の姿がリビングから消えていた。リビングが静寂に包まれる。女の子はしばらくの間、さっきまで女がいた場所を見詰めて、呆然としているようだった。
「あの、さっきの人、成仏したんですか?」
口を開いたのは彩香だった。女の子はその声に反応して、彩香の方を見たが、その目は女の子自身の感情の一切を語っていなかった。その目を見た瞬間、彩香の背筋に悪寒が走った。
「すいません、あなたは一体、どういう方なんですか?」
怖々とした口調ながらも今度は太一が尋ねる。
女の子は足元に視線を落とし、なにかを考えているような素振りを見せたあと、ゆっくりと立ち上がった。
自然と一歩後ずさる太一と彩香。
「私は……。」
女の子が斜め上の方に視線を向けて、やはりなにか考えているよう。そして、
「私は、天上からの使者でございます。あ、天上っていうのは、天国的なことであって、この天井とは違うんですけどね。」
固唾を飲む2人。天上からの使者ということは、いわゆる天使に該当するのだろうが、目の前の女の子の雰囲気は2人のイメージにある天使のそれとは掛け離れていた。女の子の雰囲気は、もっと生々しく、明るく喋っていてもその裏に暗さ悲しさが渦巻いているようで、冗談を言っていてもその裏に一言では言い尽くせない苦悩を秘めていそうな、そういうなんともいえない負のイメージ。
こんな展開、噂にはなかった。夢なら早く醒めてくれ!
2人はそう願わずにはいられなかった。
女の子が一歩、2人の方へ歩を進めた。
「あなた達をサウザンクロスへご招待致します。嬉しいですか? 嬉しくないですか? 嬉しいですよね?」
無邪気な笑顔で言いながら歩み寄ってくる女の子。
その無邪気さの裏に残酷な思惑が隠されているような気がして、まず彩香が洋室の方へ逃げた。
女の子と1人で対峙した太一は、
「サウザンクロスってなんだよ!?」
と声を荒げた。
「おや? サウザンクロスをご存知ない? サウザンクロスっていうのは、銀河鉄道の駅の1つでございます。確か、死者が行き着く終着点、讃美歌と祈りに彩られた天上の地だったかと記憶しているんですが、どうだったかな? たぶん、大体合ってると思いますけど。」
銀河鉄道という単語を聞いて、太一は宮沢賢治の銀河鉄道の夜に思い当たり、そして、この女の子……、クソッ、女の子なんかじゃない、この幽霊はオレたちを殺すつもりなのだ、と悟る。
こんな部屋、借りなけりゃよかったと、彼はいまさら後悔した。