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エピローグ ①

 その噂は今年の春先から囁かれ始めた。


 A区にある西阿木ハイツという木造アパートの204号室には出る……。


 という、都市伝説のような嘘か真か分からない噂話。


 言い出しっぺが誰だか分からなくても、怪談として面白ければ誰かがそれに便乗してまたほかの誰かに語り、あるいはインターネットを通じて怪談は広く知られるに至り、様々な尾ヒレが付いてオリジナルとは異なる亜種も次々に誕生する。


 最初は引っ越しシーズンにたまたま204号室を借りた人が体験しただけの話に過ぎなかったが、一度噂になると、幽霊見たさに借りようとする人たちが後を絶たなくなった。


 ふつうなら誰かが入居してしまえば、それからしばらく新たに別の人が入居するまでに一定の期間が空くはずだと思われるのだが、その204号室に関しては違った。入居した人は決まって一週間以内に引っ越してゆくからだ。


 その部屋で過ごした人たちは決まってこう言った。


「佐藤琢磨っていう人の夢を見ることになるんだ。」


 と。


 部屋の回転率の良さも手伝って、噂は次第に真実味を帯びていった。




―――――――――




「で、実際にそこに入居した人たちによれば、睡眠時に幽霊は出るっていうんだよね。いわゆる夢で逢いましょうってヤツ? 寝てたら、夢の中で、目が覚める。目覚めるとそこは自分の部屋。なのに、雰囲気が全然違うんだって。間取りは同じ、家具や寝具も自分で持ち込んだ物が置かれているみたいなのね。だけど、なにかしら違和感がある。よく見回してみれば、壁や床に汚れが……いや、これは汚れじゃない。さらに目を凝らすと、ようやくその汚れが文字であることに気付くのね。そこに書かれているのは、幽霊がオレを殺しに来るだとか、幽霊はオレを狙っているだとか、ここはオレの夢の中だって、まるで誰かが自分になにかを伝えようとしているみたいな、文章なの。で、その文字を追っていくと、これはオレが書いた、オレってのは佐藤琢磨で、いまのお前から見れば昨日までのお前のことだっていう、落書きがあるらしくってね、そこで、大体の人は恐ろしくなるみたい。そりゃそうよね。自分が見てるはずの夢なのに、実は別の人の夢の中だなんて言われたら、誰だってビックリするわ。それに、落書きに登場する佐藤琢磨って人物が昨日までの自分のことだって書いてあったら、え?ってなるよね。しかもその文字ってのがふつうのペンとかで書かれたものじゃなくって、ちょっと赤味を帯びた浅黒い色をしていて、まるで血が乾いたときの色と同じだっていうの。そんなふうに、しばらく部屋の中で過ごしてるとね……、ピンポーン(大声)!って、玄関のチャイムが鳴るんだ。ピンポーン、ピンポーンって何度も、何度も、同じ間隔で、鳴り続けるの。夢の中の人は、ドアを開けると思う? それとも、やり過ごすと思う?」


 蒸し暑い夏の夜、とあるアパートの一室。冷房は利かせているものの、怪談話に興じるための雰囲気作りに消灯して、明かりは小さな丸テーブルの上に灯された蝋燭1本のみ。


 くだんの噂を披露する小柄な若い女が同室のもう1人の20代の女に尋ねた。若い女は襟付きの白い長袖シャツに紺色のプリーツスカートという装いで、テーブルの前に足を崩している。もう1人の20代の女はTシャツにボクサーパンツという恰好で、お風呂上がりの濡れた髪を首から提げたタオルで拭きつつ、若い女の怪談話に耳を傾けている。


「え? なんでいきなりクイズになったの? いや、それは真面目な話、人それぞれじゃない?」


 尋ねられた女はその質問の意図が分からないまま、とりあえず思ったままを答えた。


「ピンポーン!」


 すると若い方の女が、まだあどけない顔に悪戯な笑みを浮かべて、嬉しそうに大声を発した。暗がりの中で突如響いた大声にビクッとなる20代の女。


「おい、お前それが言いたくてクイズ出したんだろ?」


 20代の女は質問の真意を知り、辟易している様子。対する若い女は


「そこに気が付くとは、まさに以心伝心ってヤツ?」


 と、まったく悪びれた様子がない。それどころか、まるでいまのやり取りがなかったかのように、スッと先程までの調子に戻り、さらに淡々と話を続ける。


「でね、ピンポーンって鳴り続けるチャイムに応じて、ドアを開けるじゃない? 誰かなって、外を見るけど、誰もいない。悪戯かなって、部屋に戻ろうとすると、なんと、部屋の中に、女の幽霊が立ってるんだって! 見た目は本当に幽霊か化物かってくらい怖いらしいのね。でも、その女の幽霊は特になにをするでもないんだって。ただ、あなたじゃない、て言ったあと、膝を崩してさめざめと泣き始めるらしいの。その人が寝てる間、ずっと、女の泣き声が、聴こえてくるの。毎晩、毎晩。それで、入居者は精神的に参っちゃうみたい。」


「ドアを開けなかったらどうなるの?」


「ピンポーンってチャイムを無視してると、しばらくすると、女の幽霊が物凄い勢いで部屋の中へ突進してくるらしいよ。で、体当たりされるんだって。ドッカーンって。だけど、幽霊と目が合うとね、やっぱりさっきと同じで、あなたじゃないって、また泣き始めるみたい。」


「じゃあ、開けた方がお得ね。」


「実際、そういうパターンがあるのかどうかは、分からないの。人によっては、幾通りもパターンが存在するのは、元の噂に脚色を加えたんだろうと考えてるらしいし。」


「ふ~ん。ま、都市伝説ってそんなもんじゃない?」


「中には一週間以上、その部屋に住み続けて、起きてるときにも、部屋の中に女の幽霊が出てくるようになったって言ってる人もいるんだ。」


「みんないろいろ試してるんだねぇ。」


「ここまで聞いてさ、治子はこの話、ホントだと思う? 嘘だと思う?」


 若い女が2度目のクイズを出す。


「う~ん、真夏の夜に怪談話してくれるって言うから、聞かせてもらったけれど、腑に落ちない点があるんだよね。佐藤琢磨って名前が出てくるのは、ハルの脚色? それともオリジナル?」


 ヒントを求めるように、治子と呼ばれた20代の女が尋ねる。


「オリジナル。私自身は、この噂話に一切脚色を加えてないよ。」


「なら、ホント、なのかな。」


「ピンポーン!」


「いや、それはもういいから。って、そう言い切れるってことは、もしかしてハル、もう現地調査してきたわけ?」


「うん。現地調査は約1年前に済ませてる。」


 そう言って意味深な視線を治子に向ける、ハルと呼ばれた若い女。


 噂が出回り始めたのは今年の春先のことだから、それなのに1年前に現地調査を済ませてきたということは、これはなにかあるな? と、治子は訝しんだ。

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