死んで花実が咲くものか 60
「なんかノックアウトさんまで変なこと言い始めたな。」
「ノックアウトて……。」
tamaのKOの読み方に違和感を覚える美佳。KOといえばtamaが助かったあと、幽霊に対し次は自分を指名しろと書き込んだ人であり、いわば自分を犠牲にして他者を守ろうとした気高い精神の持ち主。そんな人に対し、ノックアウトって呼ぶのはいかがなものかと美佳は感じたのだ。
「え? ケーオーでノックアウトじゃん?」
そんな美佳の気持ちなど知りもせず、tamaはケロっとした顔で聞き返す。
「いや、そうだけど。やっぱ、なんかね。」
あいにく、美佳も読み方の件に関しては反論しづらい。以前、777をスリーセブンと読むか、ナナナナナナと読むかでtamaと対立したからだ。そのとき、美佳はスリーセブンを推した。だからKOをノックアウトと読むのは、以前の美佳の感覚をtamaは踏襲したとも考えられたので、余計になにも言えなかった。
「ケーオーか? ケーオーって読めばいいのか?」
一方、tamaは美佳の難しい表情から彼女の言いたいことを察したようだったが、そう尋ねる彼の声音はやや怒気を含んでいる。
「ふふ、ごめん、どっちでもいいよ。」
そう言って笑みを見せる美佳。
「いや、ホントどっちでもいいんだけどさ、ケーオーさんもハルさんも場を荒らすようなこと書いたり鎮めようとしたり、なにがしたいんだろ?」
tamaはharuの書き込みでharu自身にみんなの矛先が向かないかが心配だったのだが、予期したとおり、CRにはharuを叱責する声が次々に挙がった。なにしろCRの中では、haruは幽霊との戦いに協力しなかったことになっていたから、周りのharuに対する見方は冷ややかなものだった。
周りからの叱責に対し、haruがすいませんを繰り返すと、KOが謝る必要はないよと茶々を入れるものだから、haruとKOを中心としたやり取りはまったく収拾が付く気配がなく、そのうえ、今度は先程まで謝罪に否定的だったKOが謝り出し、haruが茶々を入れ始める始末。
「おいおい、どうすんだ? これ。」
「知らないよ。」
「そうだ!」
tamaがなにか思い付いたようで、なにかを打ち込み始めた。
22:38 ;tama
HaruさんとKOさんのヘンテコな書き込みは半分幽霊が書いてるんじゃないですか? 当人が書き込んでないのに、勝手に書き込まれる現象って、これまでの幽霊のときと同じじゃないですか。きっとこれまでとは別の、悪戯好きの幽霊が悪さしてるんです
「なるほどね。ま、そのとおりなんだろうけども。ただ、悪戯してる方が人間で、謝ってるのが幽霊ってとこがあべこべなんだけどね。」
美佳はやれやれと思ったが、2人がPCの前で席を取り合って書き込み合っている様子を想像すると、ちょっと愉快な気分になった。
「KOさんも、たぶん、ハルさんだったんだろうね。」
HaruとKOの書き込みの類似性を鑑みると、そう思えてならなかった。KOというのはハルさんの別のIDで、きっとPCとスマホとで別々に登録してるんだろう、と美佳は思った。
tamaの書き込みを受けてCRも落ち着きを取り戻せばいいな、と思っていた2人だったが、予想に反してharuとKOに対する攻撃は止まなかった。というのも、haruとKOの両人が落ち着くどころか周りと張り合っているからだった。
その状況を見兼ねた美佳が助け舟を出した。
22:45 ;miya
いまだから言いますが、haruさん、KOさんには幽霊に関する件でとてもお世話になったんです
いまはおそらく、幽霊が消えたことに安心して、少しふざけてるだけなんだと思うんです
どうかみなさん、haruさんとKOさんを責めないでください
続けて、
22:45 ;miya
haruさん、KOさん、改めて言います
このたびは本当にありがとうございました
と、書き込んだ。
22:46 ;tama
自分も、ありがとうございました
それにtamaも続いた。
ここまですればharuとKOに対し誰も文句を言うまい、と美佳は思った。
だが、haruとKOは静かになったものの、ほかの人にとってはharuが協力していたという新事実の暴露を受け、miyaとtamaに対する質問がチラホラ見られるようになった。それらに対しては、詳しくはお話できないんです、とだけ返した。
「ああ~、これ、なんだか今日ではい終わりって感じじゃなさそうだね。」
美佳が呆れたようにtamaに言った。
「だな。まあ、エロスさんの友達の件もあるから、無実の確認が取れるまでは、オレもときどきCRに入るかもだし。」
「ああ、だね。」
この一件が片付いたら、もうこのサイトを開くことはないだろうな、と美佳は思った。この2週間は彼女にとって、非日常的な経験の連続だった。それらの経験は確実に彼女を強くした。だから、≪死んで花実が咲くものか≫にはもう用はなくなったのだ。
そして、携帯の画面に目を落とす。
「ミ、ミヤちゃん。」
不意にtamaが口ごもりながら美佳を呼んだ。彼はこれから彼女に、また会えるかどうかを尋ねようとしているのだ。幽霊が消えたことによって、彼女との縁が切れることを彼はずっと心配していた。これまではお互いに幽霊にやられそうになっていたから、わざわざ約束して、毎日のように会っていた。だが、これからは違う。特に会うべき理由がなければ、会うことのない間柄。学校も違うし、住んでいる町も違う。
だから次に会う約束を彼女と交わしたかったのだ。
だが、彼に呼ばれた彼女はチラっと彼を見たあと、
「なに?」
と言って、視線をまた画面に戻した。そんな彼女の横顔を見ながら、彼が言葉を発しようとしたとき、
「そういえばさぁ、タマ、公園にいたとき、私のこと美佳って呼んでたよね?」
彼女の方が先に口を開き、ジト目で彼のことを睨みながらそんなことを言った。
「え? そうだったっけ? もう忘れたわ。」
慌てて言い訳する彼。ちょっと焦り気味の彼の様子が彼女にはおかしかった。
「いいんだよ、別に。これからはミヤじゃなくて、美佳でいいよ。」
「ホント!?」
パァっと明るくなる彼の表情が彼女には可愛く見えた。そんな彼に黙って頷く彼女。
「じゃあ、オレのことは……。」
「いいです。」
彼の言葉の先を察した彼女は、彼の言葉を遮るように口を挟んだ。
「キミはタマのままでいいんだ。これからもタマってことで、よろしくね。」
「はあ? なんで!?」
「そんなの、タマの方が男らしいからに決まってんじゃん!」
男らしいから……というのはtamaが初対面のときに説明して彼女を怒らせた理由だったから、皮肉で言っただけで、本当のところは、タマという名前の方が小猫のような可愛らしさがあると思ったからだった。
そうしてまた携帯を確認すると、まもなくharuの書き込みが現われた。
22:55 ;haru
miya、tama、こちらこそありがとう。またいつか
22:55 ;KO
どこかでね
「きゃあ!」
その書き込みを見て、美佳は歓声を上げた。
「見て! タマ! またいつか、だって!」
「それがどしたん?」
興奮する美佳とは対照的に、特になんの感想もなさそうなtama。
「つまり、また会ってくれるってことでしょ!?」
「んあ、逆にも取れそうだけど、どうなんだろ?」
「もうッ。」
「でも、電話掛けるって言ってんだから、大丈夫だよ。」
「それはそうかもしれないけど、向こうからそう言ってくれたってのが大事なんでしょぉ?」
「それはあるかも。」
今晩はいつもよりもダラダラと喋り続けていた。夜が更けてくると、空気が一層冷え込み、2人はいつしか肩を寄せ合った。2人とも相手から離れ難い気持ちにさせられていたのだ。今日、なにもなくバイバイしてしまうと、もう会えないかもしれないという予感を両者ともに感じていた。
そんな2人の気持ちとは関係なく、終電の時刻が迫ってくる。
tamaは言わなきゃ言わなきゃと、ずっと気が気でなかった。タイムリミットはもう残されていない。さっき、出鼻を挫かれて言い出せずにいたが、ここで振られても、それならそれでもう会えないだけだから、同じ学校の誰かに告白するよりはまだマシだろ……などと、彼は様々なシュミレーションをしながら、モジモジしていた。雰囲気は良い感じなのに、脈もありそうなのに、この期に及んで振られるかもと彼が考えしまうのは、彼女が自分のことを名前で呼ばないと言ったことが大きな理由だった。
一方、美佳は自分のことを名前で呼ぶことを許したり、彼にくっついてみたりと、自分が彼に好意を抱いていることはあの手この手で伝えているつもりだった。ただ、タマという呼び方だけはどうしても譲れなかった。名前を覚えようという気がないわけではない。といっても、現時点では覚えていないのだが……、ただ、彼がタマであることは彼女にとって重要なことだったのだ。
「ねえ、もうそろそろ最終だよ?」
美佳が上目遣いで、甘えるような声で彼に告げた。
「美佳……。」
彼はここで言わなきゃと、満を持して彼女に声を掛けた。
「なに?」
内心、彼がなにを言ってくれるのだろうと期待しているのに、あえて興味なさそうに彼を見る彼女。
「愛してるから一発やらせて。」
一瞬、彼女は時が止まったかのような感覚に襲われた。背筋に寒いものを感じて、身震いした。
「……死ねや。」
彼の目を射ぬかんばかりに睨みつけてそう吐き捨てると、彼女はサッとベンチから腰を上げて、勢いよく歩き始めた。
「待って! いまの男らしくなかった!?」
彼女の背を追い、焦りながら彼が言った。
「意味が分からない。」
背後から声を掛ける彼に、彼女は振り向きもせずに答えた。
「ご、ごめん。さっきのは冗談だったんだ。」
「え? 面白くもないのに? なんでそんな冗談言ったのかがこれまた分からないな。」
「あ、そ、そう! 幽霊がとッ憑いてオレに言わせたんだよ。」
「は? 言い訳ならもっとマシなこと言えよ。」
「ちょっと、待ってよ!」
「待たない。もう終電だし。」
公園の出口付近に差し掛かる頃、U駅から延びる高架橋の上を、最終1本前の上り電車が東京方面に走ってゆくのが見えた。
「私、あの次のに乗るから、タマはその次のに乗って帰ってね。同じ電車に乗りたくないから。」
彼女はカンカンだったので、彼にそう言った。
「それは無茶だろぉ!? あれの次って終電じゃん!? その次なんてないじゃん!」
彼女は彼に一歩先んじて公園を出ると、くるりと彼の方を向いて言った。
「え? 終電の次は始発じゃん。」
彼は言葉を失い、踵を返して駅へ向かう彼女の背を見送ることしかできなかった。一瞬、彼女の乗る車両とは違う車両に乗ろうかとも考えたが、ここで彼女に逆らっては再起の芽がなくなってしまうと思い、その場に留まった。
まもなく、U駅の高架橋を最終の電車が走ってゆくのが見えた。
電車のお尻が闇に消えてゆくのを見届けると、彼はまた元いたベンチに戻り、途方に暮れた。
男らしいってなんだろ?
さっきまで隣にいた美佳がいない寂しさ。もう彼女と会えないかもしれないという寂しさ。いなくなったことでより一層tamaの気持ちは美佳のことでいっぱいになってしまって、帰るアテがなくなったことへの焦燥も寒空に吹く風の冷たさへの恨みもいまの彼にはなかった。
なああああああ……。
彼は一人で悶え苦しんでいた。
そこへチロリン♪、と一通のメールが届く。
こんな夜更けに誰だろ? と思いメールを開くと、差出人の欄に ≪miyaさん≫ の文字。それを見ただけで彼の胸は高鳴った。
本文に視線を移すと、
≪明日、学校終わったら西門の前で待ってるから、謝りに来てよね!≫
と書いてあった。
美佳あああ!!
彼は心の中で叫んだ。
≪行く! 絶対行く! 明日、また時間が読めたらメールするよ!≫
彼は心の中で何度も何度も美佳に感謝した。明日はいくらでも謝ってやるぞ! そして、明日こそ真面目に告白するんだ!
彼女のメールによって生気を取り戻した彼はついに公園を出て、人気のなくなった薄暗いUの町に姿を消した。