死んで花実が咲くものか 51
名前を尋ねられて、
「ハル……小島ハルだよ。」
一瞬、治子がどういう答えを欲しているのか、という疑問が脳裏を掠めたが、最早なんの憂慮もない身であったので、ハルははっきりとそう答えた。
目覚めたばかりの治子に対し、これからはあなたが治子だ、ということを暗に伝えたのだ。
その言葉に対し、治子は一切反応を示さない。ただ、
「その子から出なよ。」
とだけ、乾いた言葉を漏らした。
もしかすると、美佳の身体から出た途端に殺されるかもしれない……。
消え去るのは怖くなかった。ただ、なにも伝えられずに別れてしまうのかと思うと、切なくなった。
「ちょっとだけ待って。」
ハルがそう言うと、治子は眉根を寄せてハルを睨み、前髪を掻き上げ、タマの前に覚束ない足取りで歩んでゆくハルの様子を見守った。
「タマ……、美佳も聞いて。」
最期の別れと、ハルはそう切り出した。
「ハルさん?」
まだ状況を理解していないtamaはハルが憑依している美佳を前にして、若干困惑した。
「例のサイトを騒がせていた幽霊、タマと美佳を襲った幽霊は消滅したから。もう安心していいよ。」
そう言ってハルが微笑むと、それは美佳の表情にもリンクした。
「チャットに終息宣言を書き込んで、みんなのことも安心させてあげて。」
「はい。」
「あと、2人とはこれでお別れだよ。短い間だったけど、いろいろあったし、私が切望していた結果に導いてくれて、ホントに感謝してる。ありがとう。」
「え? お別れって?」
「そのままの意味だよ。美佳の中から出たら、2人には私の姿は見えなくなるし、声も聞こえなくなる。つまり、いないのと同義になるわけね。」
「え? は?」
「はっきり言えば、私は児島治子じゃないの。騙してたわけじゃないんだけどね。タイミング次第で、ホントが嘘になったり、嘘がホントになったりするんだ。さっきまでは、確かに私が小島治子だった。でも、彼女が目覚めたから、私は児島治子じゃなくなったっていうね。だから、彼女は私じゃないの。でも、彼女は小島治子なんだけどね。でも、彼女は2人のことは知らない。ああ、なんだか説明するのが難しいわ。」
「ぜ、全部は分かりませんが、つまり、ハルさんは消えて、ハルさんとは別人の人が残るってことっスか?」
「そういうこと。美佳、身体、ボロボロにしちゃってごめんなさい。」
「そういうことって、どういうことなのかやっぱいまいち分からないんスけど!」
「私が美佳の中から出れば、すぐ分かるよ。」
「ハルさん?」
「2人とも、いい人生を送ってね。改めて、ありがとう。じゃ、バイバイ。」
ハルが身体から出てゆき、一瞬、前後不覚に陥りよろめいた美佳はその場に膝を付いた。ハルがかなり無茶をしたせいで身体の節々が痛みに悲鳴を上げているが、いまの美佳は痛みに構っていられなかった。
「ハルさん! まだそこにいるよね!?」
彼女は顔を上げてそう叫んだ。
「美佳!」
只事でない彼女の様子に、tamaが彼女に駆け寄った。
「美佳、大丈夫か!?」
あらぬ方角を見詰めたままの彼女を心配する彼だったが、彼女はそんな彼の言葉に気付くことなく、
「逃げて!」
と、また声を荒げた。
「美佳! どうしたんだ? もしかして、ハルさんがそこにいるのか!?」
彼は彼女の肩を揺すりながらそう言って、彼女の視線の先を見たが、当然、そこにはなにもなく、もうtamaにはなにがなにやら分からなくなっていた。ただ、確かなのは、自分たちを殺そうとしていた幽霊が死んでも、異常事態はまだ続いているということだけだった。
「タマ……。」
彼に気付いた彼女は彼の腕を掴んで言った。
「ハルさんが、あの人に殺される。」
“ あの人 ”と言った美佳の視線の先には、治子が立っていた。