死んで花実が咲くものか 47
U公園の外周をぐるりと巡る歩道沿いに立つ街灯が煌々と輝き、公園内を微かに照らしていた。頭上に月は輝いていても、星は見えない。tamaのいる辺りからだと、美佳の姿は暗がりの中に踊る真黒な影としか視認できず、その影がなにをしているのかとなると、最早遠目には分からなかった。
それでもtamaは、いつ彼女が倒れやしないかとヒヤヒヤしながら、彼女の影の動きを必死に目で追った。彼には幽霊の姿が見えなかったから、どちらが優勢なのかさえも分からない。彼女と幽霊の状況がまったく分からないから、自分がいま、なにをすればいいのかも分からなかった。
治子の指示に従い続けるなら、逃げろと言われたのだから、このままここに留まり続けるのが正解だろう。それに、意識のない治子を置いてこの場を離れるわけにもいかなかった。ただ、治子がやられそうになったとして、その事実に気付くこともなく、あとになって彼女がやられたという結果を知って……ということを想像すると、逃げる以外に、自分にもなにかほかにできることがあるんじゃないか……やらなければならないことがあるんじゃないか……と考えずにはいられなかった。
どうしよう、と思いながら、彼はチラリとベンチで眠る治子を見た。美佳のいる暗がりとは異なり、治子のいるベンチとその周りは街灯に照らされていて明るかった。草木は緑に、足元の砂利は白色に、鈍く光っていた。
彼女は青いジーンズにスタジャンという、ふだんのスーツ姿の彼女からは想像も付かないラフな装いだったが、その恰好は静かに眠るには寒そうに見えて、彼はいつか美佳に巻いてやったマフラーを、今度は治子の首に巻いた。それから、肩に提げていた鞄を枕代わりにしようと、彼女の頭の下に滑り込ませた。ふと、思い付いて彼は自分の着ていたコートを脱ぐと、それを掛け布団代わりに治子に掛けてやった。こうしておけば、すでに男がいる女に見えるから、もし自分がここを離れたとしても、彼女が襲われる危険は少なくなるだろう、と彼は考えたのだ。
コートを掛けてやると、気のせいか、彼女の顔が少し安らいだように彼の目には映った。
そのとき、彼女から
「ん。」
と声が漏れた。
その様子を見て彼は、
寝言と同じ原理なのかな?
と思った。
まさかと思い美佳の方に目をやると、まだ彼女の影は動いていた。
まだハルさんは美佳の中だよな……。
―――――――――――
治子と幽霊は互いに死力を尽くして闘っていた。治子といっても、現在、彼女は美佳に憑依しているから、身体は美佳のものなのだが。
戦況としては、ここまで優勢を維持していたのは治子だったが、彼女はすでに自分の体力に限界を感じており、次に幽霊が鋭い一撃を放ってきたなら、避ける自信はなかった。一方、幽霊も度重なる彼女の攻撃によって何度も意識を刈り取られそうになっており、いまはその存在を現世に繋ぎ止めておくのに必死。そんなだから、彼女を仕留めることのできそうな一撃を放つ余力など、すでに幽霊にもなかった。
だが、そんなそれぞれの切羽詰まった状況などお互い知る由もなく、膠着状態の中、2人はそれぞれに活路を見出すべく思考を巡らせていた。
そして、最初に口火を切ったのは幽霊の方だった。
「そういやさあ、おばさんの身体って、一緒にいた男が担いで行ったじゃない?」
質問口調の幽霊の言葉だったが、突然話しかけられたため、治子には幽霊の言葉の半分程度しか聴き取れなかった。
え? なんて言った?
と、治子は幽霊を睨んだ。
「おばさん、その子を守るためにその子に憑依したんだろうけど、自分の身体は守らなくっていいのかな?」
幽霊の二言目に治子はハッとした。
いま、治子の身体の傍にはおそらくtamaがいる。もし、彼が操られてしまったら……。
―――――――――――
美佳が動かなくなった!?
美佳の様子を祈るように見守っていたtamaは、彼女の影が動きを止めたことで、手に汗を握った。彼女が幽霊に組み付かれているのか、身体を休めているだけなのか、それとも決着したのか……まさか、やられてしまったなんてことは……、という、いくつかの可能性が彼の頭を過ぎった。
いますぐ美佳の傍に駆けつけたい衝動に駆られたが、自分の無力さが最初の一歩を踏み出すことをためらわせた。
行ってどうする? でも、行かなくてどうする?
彼が逡巡していたそのとき、不意に人の気配を感じてそちらに目を向けると、目に飛び込んできたのはベンチの上に上半身を起こした治子の姿だった。
ハルさんが戻ってきた?
「ハルさん! 大丈夫ですか!?」
彼は身体を起こした治子に声を掛けた。
声を掛けられて、彼の方を向いた彼女だったが、彼女の表情は彼に声を掛けられて驚いている、という感じ。なんかハルさんの感じがいつもと違うぞ、と彼の頭に疑問符が浮かんだ。
「ハルさん!?」
幽霊になにかしらやられたのではないかと心配になり、もう一度彼が彼女の名を呼ぶと、オドオドした調子で彼女はこう言った。
「え、ええっと、すいません。誰ですか?」
その言葉を聞いた瞬間、あまりのショックに彼の目の前は真っ暗になった。