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私じゃない⑬ 直し

 治子が部活をさぼった理由は単純だった。ただ、バスケの練習をする意味を見失っただけだ。


 彼女は日記に目を通したあと、青白い顔をして、母がよく使う鏡台の前に腰掛けた。なお、治子がその鏡台を使ったことはなかった。まだ彼女は化粧をしないし、鏡を見るのは洗面所か子供部屋でだけだった。彼女は家族が声を掛けてもまるで聞こえていないかのように、じっと鏡の前に座っていた。まるで、心ここにあらずといった様子だったので、家族も彼女のことを心配したが、記憶障害の件もあったので、無理矢理に彼女を鏡の前から動かすのを諦めて、しばらく様子を見守ることにした。


 彼女はといえば、鏡に映る自分と対面して、自分のことを考えていた。


 私って何者なんだろ?


 ≪私が私であると分かって、すごく安心した。自分が何者なのかって、自分にとってすごく重要なことなんだと初めて知ったわ≫


 私は私が分からなくなったよ。


 治子はまっすぐに自分の姿を見据えた。


 この身体の中に小島ハルがいるのか、と考えると、なんだか不思議な気分だった。そして、惨めな気分になった。見れば見るほど、見慣れたはずの自分自身の姿であるはずなのに、もうすぐ、それは小島ハルの物になってしまうのだ。


 ふと、ずっと監視していればハルと私が入れ替わる瞬間を見ることができるかもしれない、と治子は思い付いた。あるいは、見張っていれば小島ハルも怖気付いて出てこないかもしれない、と。


 鏡の前でじっと自分を見ているだけという作業は、部活以上に辛い、酷く退屈なものだった。その時間を埋めるように、不安が頭の中に影を差した。


 ≪治子はどうしたい?≫


 まるで自分の優勢が揺るぎないと言わんばかりの物言いだな……、と治子は唇を噛んだが、彼女とハルの間の優劣は治子の目にも明らかだったので、余計に腹立たしかった。


 どうしたいって! どうもこうもあるわけないじゃん!!


 いっそ、完全にこの身体を引き渡す日には足の1本でも2本でも切り落としておいてやろうか。アンパンでもたらふく吸っておいてやろうか。いやいや、引き渡し前に死んでやるという方法もあるか。


 日記のことを考えると、途端に目の前の自分の姿が憎たらしくなった。澄まし顔のその裏で、小島ハルがほくそ笑んでいるように治子の目には映った。


 そうして彼女は狂ったように髪を掻き毟った。

 頭か! 頭がおかしくなってるのか!?

 ああ! 頭ん中に手ぇ突っ込んでひっちゃかめっちゃかにしてやりたいわ!


 数分間、ひとしきり狂ってみせたところで、彼女は背筋を伸ばして自分と向き合った。


 待ってね、落ち着いてね。

 目の前のこの子は児島治子なの。私の幼稚な疑念はともかく、少なくとも周りはそう思ってるわ。最も大切なのはそこよ。私のことはどうでもいいんだ。目の前の子が治子で、私は14年間も自分のことを治子だって勘違いしていた間抜けな道化。


 その道化を治子だと勘違いして育てた間抜けな父と母。私も間抜けなら両親も揃って間抜けときてる! まさにこの親にしてこの子ありって感じじゃない!? 


 私が治子じゃないと打ち明けたら、2人はどんな顔をするだろう? 案外、平然とした顔で


「気付いてしまったのか……」


 とか言いながら、


「実は14歳になったら小島ハルと入れ替わるように本家と契約してたんだよ」


 なんて恐ろしいことを告げてくるとか? そんな“ 世にも奇妙 ”な展開があったとしても、いまの私なら驚かない。


 落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせても、混乱を極めた治子の思考が正常に機能することはなかった。彼女は自分が治子である、ということさえ疑うようになった。


 あらぬことを考え尽くすと、彼女はようやく落ち着きを取り戻し、改めてハルの幽霊が現われないか期待しながら、自分の監視を再開した。土砂崩れで亡くなったって話だから、その亡霊の姿には災害時の爪痕が残っているのだろうか……など、いろいろと妄想を膨らませながら。


 正午を過ぎ、やがて治子の視界はいつものようにホワイトアウトしていった。当然、治子はその際にハルの姿を見ていない。




 ハルは鏡台の前に座っている自分の姿に驚かされた。壁掛け時計に目をやると、時刻は12時05分頃。


 部活は!?


 部活に出掛けていれば、この時間はまだ家にいるはずがなかった。


 ギシギシと、階段を上がってくる足音が聴こえた。続けて引き戸が開き、母が姿を見せた。母はハルが鏡の方ではなく、自分の方を向いているのを見て、いまの治子の様子なら話も通じるだろうか……と思った。それにしても、朝からいままでずっと鏡台の前にいるだなんて!!


「ねえ、治子。いい加減、ご飯食べなさい。あんた、朝からずっと鏡見てるんだよ? 朝ご飯も食べてないんだから。」


 もしかすると治子には今朝の記憶がないのかもしれない、と思い、母はあえて彼女の現状を伝えられるように語り掛けた。


「え? あ、ああ……、うん、じきに下りるよ。」


 ハルは母の言葉に驚いた。母はハルの反応を見て、やはり記憶がないのね……と思ったが、それを口にはせず、


「焼き飯冷めちゃうから、早くね」


 とだけ言い置いて1階へ下りた。


 鏡台の前に残ったハルは、治子は朝ご飯も食べずにずっと鏡台の前にへばり付いていたのか……と思い、そうした治子の意図に思いを馳せながら、ハルもまた鏡に映る治子と向き合った。

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