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私じゃない⑫

 ↑


 質問文のあとに私は名前を書いた。

 

 もう一度聞きます。


 名前は?


 ↑


 ごめんなさい。

 書き忘れてたね。

 

 私の名前は小島ハル。


 3ヶ月前に亡くなった小島ナツの姉だよ。


 治子は以前、ナツから、ナツの姉は昔の土砂災害で死んだと聞かされてたよね。それは紛れもない事実だけど、死後、私は成仏しなかったみたい。それこそ伊藤重信が言っていたのと同じで、ずっと暗闇の中にいる感じなのだけど、時としてS町に現われては、ぼんやりしているという感じだったかと思う。ま、いまは、その当時のことはあまり覚えてない。そういうも感じだった気がする……というだけ。


 そうそう、キレイにまとめようとするから、伝えないといけないことが書き切れなかったりするんだ。だから、もう割と適当に書いてくよ。いいよね?


 私が暗闇とS町との境界で呆けていたある日、そう、この出来事だけはいまも鮮明に覚えてる。


 県道沿いに前まで魚屋があったじゃない? もちろん、当時はまだ魚屋もあってさ、その脇の坂を、小さな女の子が覚束ない足取りで下ってた。その子、坂道の端の方を歩いてて、一歩間違えれば側溝に落ちちゃいそうだったのね。危ないって思ったの。死んでからというもの、それまで誰かに関心を寄せたことなんて1度もなかったのに、なんか不思議な感じだった。


 私は彼女に近寄って行って、確か「危ないからこっちに寄って。そんなに端を歩いちゃダメだよ?」と声を掛けたと思う。でも、彼女は私の声に気付かないようだったから、私は彼女を抱えて道の真ん中に移動させようと思ったのね。で、彼女に触れたときだったんだけど、そこで私の意識はなくなったの。


 その当時の意識を取り戻したのが、2日前、この日記を読んだとき。それまでは治子とは違う人格であっても、まだ私が小島ハルだとは認識してなかったからね。だから、私が私であると分かって、すごく安心した。自分が何者なのかって、自分にとってすごく重要なことなんだと初めて知ったわ。一方で、ごめんなさい。治子の意識を奪っているのが辛かった。いま思えば、坂道を下ってた子が治子だったんだろうね。よく分からないけどね。本当に私にも、なぜこんなことになっているかが分からないんだ。前例があれば、あるいは前例を知っていれば、また違うんだろうけれど、あいにく、私はそんなの知らないし。だからって、治子がこうなってるのが私のせいじゃないとは言わない。


 ごめんなさい。


 だから私は治子の言うとおりにするわ。


 こう生きろと言われれば、そう生きるよ。


 オリンピックで金メダルを取れとか、NASAに入れとか言われたら、それは無理かもしれないけど。あくまで、できる範囲でね。


 死ねと言われれば、死んでもいいわ。


 治子の身体から出てけと言われても、それはやり方が分からないから、できないのが残念だけれど。


 治子のままで暮らせと言われれば、私はハルだったことを忘れて、治子として暮らし続けるわ。


 死ねと言われれば、死んでもいいわ。


 治子が消えてしまったあとになるけれど、絶対に約束は守るわ。


 名前を尋ねられてたから、教えたよ。


 だから私の質問にも答えて。


 治子はどうしたい?


 これからの治子にどう生きてほしい?


 正体を周知しろと言われれば、みんなに言うわ。


 死ねと言われれば、死んでもいいの。


 ごめんなさい。


 小島ハル


 いけない。また書き忘れるところだった。


 お姉ちゃんが私のことを治子じゃないことに勘付いてるみたい。正確には、私のことを『 記憶のない方の治子 』と言ってたわ。私と治子で振舞いに差が出てるみたいね。


 もし、治子が私に治子であることを望むなら、治子の様子も教えてちょうだい。ふつうに日記を書いてくれると、助かるかも。


 今日、お昼に朋子と恵美と一緒にKに遊びに行ったよ。治子が約束したんだろうから、知ってると思うけど。


 朋子は好きなアイドルグループEの新曲のCDを買ってた。いま、朋子はEにハマってるみたい。ちょっと前まではMが好きって言ってたのに、私には初耳だったから一応、書いとくね。ま、Mの新曲は恵美が買っててさ、結局2人で貸しっこするようだけど。




 治子が目覚めたのは翌日、日曜日の朝だった。


 目を覚ますと、自分の意識が戻っていたという感じ。時計に目をやると時計の針は5時40分を指している。眠っている時間まで加えると、実に半日以上、別人が治子として動いていたことになり、さすがに彼女もウンザリした。悔しさが込み上げてきて、掛け布団を持つ手に力が入った。


 それからのっそりとベッドから起き出すと、習慣のように日記を読んで、その日、彼女は初めて部活をさぼった。

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