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私じゃない⑧

「夜中のは覚えていないってことでいいね? そしたらさ、治子が泣いたってのは、なんで?」


 寝起きの頭をフル稼働させて、姉は先程の治子の言葉を次のように解釈した。


 夜中に泣いた記憶はないが、治子が記憶している時間の中で、確かに彼女自身もまた泣いたのだ……と。記憶にない間に泣いたのは、それが自分のことであっても、自分とは関係ないって感じ? それで、“ 私も泣いたんだ ”という言い回しになったんだろう。


 では、最初に戻るが、記憶している方の泣いた理由とはなんだ? そして、記憶から抹消された、夜中に泣いた事実。そのときの悲しみこそ、実は治子にとってより絶望的な理由を孕んでいるのじゃないか、と姉は訝しんだ。


 姉は治子が1人で問題を抱え込んでしまうことを恐れた。家族の前ではいつもと変わらないように振舞っていたから、昨夜のように実は1人で泣いていたんだと知ってしまっては尚更、放っておけなかった。


「うん、なんかね、どんどん時間がなくなってるからさ、怖くなった、かな。」


「時間が、なくなってる?」


「そう、時間が。記憶のない時間って、私にとってはその時間が存在していないのと同じなの。お姉ちゃんたちには、案外ふつうに見えてるかもしれないけどね。」


「う~ん、そのへんの感覚はよく分からないけど。例えば、1日を振り返ってみて、覚えているとき以外の時間は、まったくなかったって感じるわけ? 感覚として。」


「ちょっと違う、ね。例えば、今日は8時間くらいの出来事を記憶してるとするじゃない? だとすると、ああ、明日は8時間くらいか、それよりちょっと少ない時間しか生きられないのかぁ……って感じ。」


 治子は別人格の存在のことは打ち明けなかった。ただ、いま姉に話している感覚については、事実だった。本来の健忘症の場合、どのように記憶を失ってゆくのか彼女は知らなかったが、現状の彼女の実感では、別人格が表に出ているであろう時間帯のことはまったく記憶にないうえに、その間、自分でなにかしているという感覚さえもないのだ。まさに自分の時間を奪われているといった感覚。そして、その奪われる時間が、日を追って増えていることが問題だった。


 一応、別人格が何者なのか、という点については、今朝の日記を見ればなにかが分かるかもしれなかった。


 とはいえ、分かったところで、事態が好転するわけでもないことも分かっていたので、ある意味どうでもよかったのだが。いまの彼女に降り掛かっている災いはこうこうこういうものですと説明されても、その災いにやられてしまう結果が変わらないのであれば、その災いの内容が分かってもしようがないのだ。


「ところで、夜中に私、泣いてたみたいだけど、お姉ちゃん、そのときの私と話してみた?」


 いつもの別人格はいつもの私と同じように振舞っているらしかったが、日記を書こうとして泣いていた奴なら、いつもと変わった反応を示したのではないか、と彼女は思った。だが、残念ながらそのときの姉は治子に声を掛けなかったようだった。


「今日、部活行ける? 無理だったら、私が行って山岡に休みだって言っといてやるけど。」


 姉も中学時代はバスケ部所属だったので、顧問の山岡のことはよく知っていた。


「いいよ。お姉ちゃんは学校でしょ? それに、部活は出るし。」


「ま、出れるなら出た方がいいけどね。」


「そうだよ。」


 わざわざ別人格に自由な時間を開け渡してやる必要はないんだ。午後からは別の部活が体育館を使うから、バスケ部の練習は午前で終わりだけど、それでも、たとえ別人格が朝のうちに出てきたとしても、バスケの練習をしている間にかぎっては、それは私が選択した行動なんだ……と、彼女は思った。


 そして、部屋から姉が出てゆくと、彼女は改めて机の引き出しから日記を取り出した。

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