私じゃない②
平成17年10月10日付けで始まった治子の日記には、あまりその日の出来事が書かれることはなかった。
その日記のおもな内容といえば、誰かと交わした約束のことだったり、彼女が直面していた危機的状況の経過観測の記録といった感じ。
彼女を襲う危機的状況というのは、激しい物忘れのことだ。
若年性痴呆症、記憶喪失……そういった病名が治子の脳裏に浮かび始めたのは約1ヶ月前のこと。
最初はただぼうっとしていて、その間の記憶が抜け落ちてしまっているんだと思っていた。
ほら! よくあるじゃない!? 考え事に没頭してたりして、でも手足だけは動いていて、あんまり過程を覚えてなくてもきちんと作業は完了してたってことってさ。
最初はその程度の物忘れだった。
それが次第に、友達との会話に支障が生じたり、授業中ノートを取っているにもかかわらずその間の記憶がなかったり、といった具合に症状は進行してゆき、本格的な病気を疑い始めることになった。
そして、10月10日、友達と約束を交わした事実を覚えていなかったというのが彼女には衝撃的過ぎて、約束事やいまの症状の進行状況などについては記録を付けようという考えに至ったのが、日記を付け始めたきっかけだ。
日記を付け始めてから10日もすると、彼女は日記を書くときに財布の中のお金の額面を記録するようになった。
その翌々日からは登校前、お昼前、帰宅前にも記録を付けるようになった。
それは彼女の知らない間にお金が減っていないかどうかを確かめるためだった。特に誰かが彼女の財布からお金を盗んでいるとか、そういうことを疑ったのではない。自分自身が知らないうちにお金を遣ってしまっていることを警戒したのだ。
とはいえ、日記の全部が全部、無味乾燥な記録で埋め尽くされていたわけではなく、彼女も戯れに一言二言、その日にあったことを書き留めることもあった。
友達とのこと、部活でのこと、特にふだんはしないような遊びをしたことなどなど……例えば、彼女はバスケットボール部に所属していたのだが、≪ 今日は彩香にワンオンワンで初めて勝った。やったぜ ≫、といった具合に、簡潔に。
激しい物忘れに悩む治子を脅かす症状はほかにもあった。
それは小学生だったころから知っていた症状で、S町、T町における過去の風景が見える、というものだったのだが、これまでは極々稀に、といった感じだったのが、最近になってその頻度が高くなった。ただ、この症状に関しては実生活に支障を来さないので、これまでたいして気にしていなかったのだが、頻度が高くなったことで、一体この症状はなんなのかと彼女は怪しむようになった。
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11月6日(日)
今日、家族でK(S町から車で北に5分ほどにある町)に買い物に出かけた。そのとき、初めてKで過去の風景が見えた。
OK川の川沿いの土手の上は車道になっていてなにもないはずなのに、どういうわけか土手の上というか、川にはみ出すような恰好の木造のボロ屋がずら~っと川下から延々と続く風景が見えた。
Kでは今日が初めてだったが、最近、改めてこの現象に遭遇することが増えた気がする。
●過去の風景
以前、S町からKに延びる国道に軌道が走っている風景を見て、父に確認したところ、昔は確かにSからKに至る電車があったと言ったから、それ以来、私は稀に見ることのできる不思議な風景を過去のものだと断定した。
・S~Kの道路 → 軌道が走っていた
・S町の道路とその先の工場地帯とを遮るフェンス → コンクリ、モルタルの汚れた塀
・S町の戦闘機からの機銃の弾痕がある神社の鳥居 → 弾痕のないまっさらな鳥居
・S~Kに至る道路脇の山の斜面に見られる防空壕跡 → 斜面に土砂崩れ防止のためのコンクリ打設もされていなくて、金網だけが掛けられた状態
・S町の古い街並み(池田さんの家と、その家の脇に続く醤油を作る納屋だけはいまと変化なし)
・T町の鉄筋コンクリの小学校 → 木造の小学校
いずれも過去の風景であることは間違いない。なぜそんな風景が見えるのかは謎だ。ただ、いい加減S町は鳥居の補修をしてやれと思う。
戦前の風景?
だとして、いつ?
池田さんの家は変わらないようだが、あそこの家は相当古い造りの家だし、いつ建築されたのだろう?
ときどき見える過去の風景に共通点はある?
すべては謎だ。
そもそもアレが見える時点でほかの人と違ってるわけだし。
★メモ
特になし
※今日は特に問題なし
1567円也